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 炊井戸タクイド先輩が屋上を自由に行き来できるように、僕も国道を自由に行き来できるのだけれど、これはひどく感覚的なことなので言語化するのが難しい。


 強く思えば時空すらも超えられる――というロマンチックな表現しか僕にはできない。ちなみにこれはフヒトベ先輩からの受け売りだ。炊井戸先輩も同じことを言っていたから、どちらかが先に言いだしたことなんだと思う。


 ちなみに最近は路地裏とかにもふつうに行けるようになったので、国道がどうとかロードサイドがどうとか歩道がどうとか、そういった区分けみたいなものはもはや関係ないみたいだった。“道”と呼ばれていれば良い、みたいな。


   僕の前に道はない

   僕の後ろに道は出来る


 ――ある詩人はかつてこんな詩を残したそうだ。僕の場合は前にも後ろにも道がある。先達が残していった道でないと――誰かに敷かれた道でないと僕は〈王さま〉になれない。僕だけじゃない。それはこのゲームに参加している〈王さま〉たち全員に共通したことだ。


 国道、屋上、ファミリーレストラン、ファストフード店、団地、ショッピングモール、送電塔、ダム……皆、誰かがつくった場所を征服し、支配している。


 僕たちは遊び場を与えられたこどもと変わらない。


 もしくは、限定的な箱庭に閉じ込められた獣だ。


 ……さて、強く思えば時空すらも超えられる――と書くとなんだかすこしロマンチックなきがするけれど、これは下手をすると“ひたすら堕ちていく”ということでもあるので、そんなロマンチックでもない。


 場所と場所を渡る際、僕たちはどこかを通過している。


 すんなりとおることもできれば、運悪く、その狭間に堕ちていくやつもいる。まあ、僕のことなんだけど……。


 狭間に堕ちたその先に広がる空間のことを、僕らは〈果て〉と呼んでいた。


〈果て〉の話はまた今度したいと思う。


 とりあえず、強く思うこと。それが大事だった。


「しかし、〈星のカーテン〉とだけ言われてもなあ」


 明け方前の国道沿いを歩く人間なんて全然いないので、僕は声に出してぼやいた。


 強く思っていても、行けない場所は当然ある。


 ここは案内役の出番だろう。


 僕はウォークマンから先輩謹製ミックステープを取り出して、代わりにマーヴル柄の毒々しいフルプリントがなされたカセットテープを挿入する。


 再生ボタンを押す。最初の記録できない部分をとおりすぎたけれど、音は鳴らない。さーっというホワイトノイズがイヤフォンから流れてくるだけだ。


 僕は無を再生しつづけるウォークマンを握りしめると、軽くジャンプをし、柔軟運動をしてから――走りはじめた。


 正直な話、僕は走るのがあまり好きじゃない。単純に疲れるからだ。だから僕は〈ロードサイド・ウォリアー〉のひとりではあるけれど、ほかのやつらみたいに改造しまくった車でデス・レースに参加するとか、そういうことはしない。〈ロードサイド・ウォーカー〉という呼び名の方がよっぽど似合っている。


 しかしいまは、走る必要がある。このゲームにおける案内役――〈君臨号〉を喚び出すには特定の手順が必要なのだ。


 しばし走ると、視界の端に並走している存在が確認できた。


 ぼんやりとした輪郭の、蒸気に覆われたような大型犬ほどの存在が、四足で僕の隣を並走している。


 じっと見つめても、そいつの輪郭ははっきりせず揺らめいていた。そういう存在なのだ、こいつは。


 ボリュームを調整していないのに、耳に流れ込むホワイトノイズのざーっという音がやたら大きくなったかと思うと急に元の音量に戻り、はっ、はっ、はっ、という獣の呼吸音が聞こえてきた。声だけでも、生暖かい吐息が感じられるようだった。


「……〈星のカーテン〉」


 僕が口に出して言うと、並走する獣――〈君臨号〉は首をかすかにこちらへ向け、歩道と車道の境界にあるガードパイプを乗り越えると、そのまま車道へ飛び込んだ。


〈君臨号〉は車たちの間を縫って走り、ときにはボンネットをつたってどんどん前進して行く。あの獣の姿は僕以外には認識できていないし、そしてなによりも存在が曖昧なので、たとえ車にぶつかっても煙のようにすり抜けていってしまう。


 僕も助走をつけてガードパイプに片脚をかけ、ぐっと力を込めて思い切り車道に跳躍する。鉄とアスファルトと文明の運河に飛び込む。


 着地をするとアスファルトを蹴り、腕を振り上げて、加速する。


〈王さま〉の力を使って僕の姿も存在も、あの獣と同じように認識できないくらい曖昧にさせてある。


 加速をつづける僕はどんどん速度を増し、大型トラックも、金髪の青年が駆るビッグスクーターも、夜勤と思しき作業着姿の男性が操る乗用車も、黒塗りのワゴンも、ありとあらゆる車たちを追い越して行く。


 視界にうつる赤や黄色のテールライトも、道路を照らすオレンジ色の光も、国道沿いにあるコンビニが放つ白い光も、ぐにゃりと伸びていきすべては輝く線になった。


 前方には〈君臨号〉。50メートルほどしか離れていない。四足をしゃかしゃかと懸命に動かすあいつは首を後方に向け僕を確認すると、ばうっ、とイヤフォン越しに吠えた。僕が規定速度に達したという合図だ。


 はるか遠くに見える道が山のように盛り上がっていき、ゆるやかな曲線を描きつつも直立する。見慣れた国道は、いまや文字通り天空に向かう道となった。


 他の人々はもちろん気がついてはいない。なぜなら、この道は僕と〈君臨号〉と同じように、世界に薄くかぶさる被膜のようなものだからだ。その被膜は、すぐに消えてしまう蒸気のようなものでしかない。


 速度を保ったままゆるやかな曲線をのぼり、そのまま垂直にそそり立つアスファルトの道を直進して行く。


 雲を越える。かすかな光に目を向けると、水平線の向こう側がやや白みはじめていた。もうすぐで夜が明ける。僕はこのままここで立ち止まって夜明けを迎えたくなるけれど、いまは進むしかない。


 僕は強く思いながら走る。〈星のカーテン〉のところには〈君臨号〉がとりあえず連れて行ってくれるが、願掛けのように。遠くへ行きたいという思いと、炊井戸先輩のもとに帰れるように、と。


 眼下に見える地球の輪郭がだいぶ丸みを帯びてきたところで、僕と〈君臨号〉のからだのまわりに緑色のスパークがぴりぴりとはしりはじめる。やがて全身を繭のように包まれると、強い衝撃とともに射出された。


 目に映る星々の光が尾を引いていき、僕は時空を超える。

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