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居間のソファに座り、金曜ロードショーで放送していた『メン・イン・ブラック』を見ていたところ、放送が終わったタイミングでスマホにメッセージが入った。
《星のカーテンの件、忘れていないだろうね》
先輩からだ。こういう催促のメッセージを送ってくるのは珍しい。よっぽど欲しいのだろうか。
《明日の集まりに間に合うよう、今晩とりにいきます》
そう返信を送ると、かわいらしい餅のようなマスコットキャラが全身で喜びを表現するスタンプが送られてきた。かわいい。
違う世界や時代を生きているのに、こうやってふつうにやり取りできるのは不思議だった。時間の流れはある程度同一なんだろうか。どういう仕組みなのか皆目見当がつかない。
さて、僕が通う高校は午前までとはいえ土曜日も授業がある。もうそろそろ眠りたいところだけれど、先輩のお願いなら仕方がない。
とはいっても、もう夜11時だ。僕はまだ高校生だし、明日はふつうに登校しなきゃならないし、そもそも僕の両親は門限にはうるさいタイプだ。別に、親に反抗しようとも思わないので、いったんお風呂に入って準備はしておく。
準備をしたところで、風呂上がりということもあってか眠気がおそってきた。
少し眠ってもいいだろうと思い、夜中の三時にアラームを設定し、そのまま眠りにつく。
スマホがテントロコンコンと軽妙な木琴のリズムを奏で、僕は目が覚める。
時刻を確認してみたら夜中の三時きっかりだった。
夢を見ていた気がするけれど、よく覚えていない。またいつもと同じような、電車に乗ってどこかに行く夢だったと思う。たいていはショッピングモールのような大型商業施設か、どこかの観光地にある土産屋だらけの商店街だ(余談だけれど、夢のなかでよく行く商店街は、
低血圧というわけではないのだけれど、僕は寝起きが若干悪い。なんとか意識を目覚めさせるために、スマホの液晶画面をしばらく見つめる。
ロック時の壁紙は、ヤシの木と浜辺がビビットな色彩で描かれた南国風且つ80年代風のイラストだった。マイアミの雰囲気。マイアミがどんなところかなんて僕は特に知りもしないけれど、とにかく、マイアミの雰囲気だ。
僕が生まれるまえの時代――80年代の流行を模したイラストに、僕はどこか懐かしさも感じていたし、未来も感じていた。こういったものが近年は局所的なリバイバルになっていて、音楽やゲームとか短編映画とか――まあとにかくいろいろなものの題材になったりしている。
80年代の人びとが夢見たようなネオン輝く“ありえたかもしれない未来”にも、それよりむかしの人びとが夢見たレトロフューチャーな“幸福な暮らし”のなかにも、僕は生きていない。でもそういった過去の人らが夢想した未来像には強く惹かれるものがあった。僕はインターネットでそういった画像やら音楽やらをたまに調べていた。
時刻が3:02になる。無理やり上体を起こし、伸びをして、室内灯の紐を引っ張った。天井に張り付いたドーム状のLED室内照明が白く点灯し、ゲームソフトのパッケージやら漫画本やらが適当に積み上げられた6畳ほどの自室を照らす。
寝間着を脱いで、ユニクロとGUでそろえたスポーツウェアに着替えた。コンプレッションタイツ(どういう効果があるのかはよくわからないけれどそれっぽいのでとりあえず買った。あと“コンプレッション”って強そうな響きだ。コンプレッション、コンプレッション)、汗がすぐ乾くドライ効果を謳うハーフパンツと同じくドライ効果を謳うシャツに、念のためポリエステル素材の赤いポケッタブルパーカーも羽織っておく。
ショルダーバッグにはポカリスエットが入った白いプラスチック製の1リットルボトル、スポーツタオル、羊羹、カロリーメイト、ウィダーインゼリー、財布、スマホ用のコンセントと充電ケーブル、その他もろもろ。
どこからどう見ても夜明け前のランニングに出かける男子高校生にしか見えないはずだ。
こっそりと、物音を極力たてないように階段を降りて玄関まで行く。一階玄関脇には両親の寝室がある。一度、僕が立てる物音で起きた母さんに追及されたことはあるけれど、ランニングとかをしているとは言ってあるし、特にそれ以降両親からなにか言われたことはない。
扉を開け、外に出る。気温は摂氏24度ぐらい。涼しくてすごしやすい反面、これからどんどん気温が上昇して昼には暑くなると思うと少し憂鬱だった。
外はまだ真っ暗だった。夜明けまえが一番暗い、とは誰の言葉だったっけ。
暖色系の玄関灯に照らされながら、僕は家の鍵を締め、高校入学時に買ってもらったジーショックで時刻を確認してから、ポケットに入れていたウォークマンを取り出す。
ウォークマンはウォークマンでも、カセットテープを再生するあのウォークマンだ。そのボディに巻きつけていた安物のイヤフォンをほどいて耳にはめ込むと、僕は再生ボタンを親指でガチリと押し込んだ。
テープが回転しだす。
さーっというホワイトノイズのあと、バスドラムの特徴的なイントロが鳴りはじめる。僕は歩きはじめる。
炊井戸先輩からもらったウォーキング用のミックステープだ。ウォークマンも先輩からプレゼントされた。なんでも一部の〈王さま〉たちの間では、こうやって自作のミックステープを制作するのが流行っているらしい。先輩も知り合いの〈団地王〉に影響されたらしい。
さまざまな世界、さまざまな時代を行き来し、見知らぬ音源を探り当ててお気に入りのミックステープをつくりあげる作業は、ユーチューブでプレイリストを構築するのよりはるかに大変そうだけれど、きっと楽しいに違いない。僕も近いうちにやってみたいと思っている。
ウォーキング用のミックステープには、リズムのはっきりとしたシンセポップとかが入っている。知らない曲が大半だけれど、自分の知らない曲を聴くのも悪くはない。そしてなにより、先輩の選んだ曲だし。
僕の家がある住宅地はちょっとした台地にあるので、少し歩くと坂にあたる。この坂をくだると、大きな国道がはしっているのが見える。
国道15号。僕が住まう京浜地区では、主に第一京浜と呼ばれている。
ぼんやりとしたオレンジ色の街灯が、劣化したり補修されたりで色が違ったり凹んだりしているアスファルトをぼうっと照らしていた。
そのうえを乗用車や大型トラックが光の帯をひいて走っていく。右へ。左へ。
国道沿いにはガソリンスタンドにコンビニ、チェーン店のファミレスが点在している。
出光、セブンイレブン、ファミリーマート、ローソン、すき家、むかしからあるけれど入ったことのないラーメン屋が数軒、バーミヤン、すかいらーく、サイゼリヤ、ピザハット、ドトール――
都内の中心地に近い場所であっても――、そこに国道がある限り、大まかな景色や存在する店は“郊外”にある国道沿いと――“ロードサイド”と称される場所とそう変わりはない。
――だなんて知ったふうなこと言ったら実際に郊外に住む人に怒られたけれど、僕には同じように見えてしまう。
僕の住んでいる地区は、閉塞感が凄まじくて息が詰まりそうな町というわけでもなければ、かといって最新のショッピングモールがあるわけでもない、なんとも形容しづらい場所だった。
京浜地区や湾岸地区としか形容のしようがない。
下町といえばきこえは良いと思う。
僕は別にこの町が嫌いではなかったし、むしろ好きだった。
でもその“好き”も結局のところ「むかしから住んでるから」とか「どこそこに出かけるときに交通の便がいいから」とかになってしまう。
ただ純粋に、僕はこの国道のその先へ行きたいと思った。ただ単純に、遠くへ行きたいと思ったし、いろんなものを見たいと思った。
だから僕は、〈王さま〉になった。
「東京に生まれたきみは、果たしてどこに行けばいいんだろうね」
炊井戸先輩の皮肉げな言葉と声色を思い出す。
「きみだけの問題、というわけでもないか……」とつづけて言う先輩はどこか自嘲気味でもあったし、かなしそうでもあった。「ぼくたちはどこにでも行けるけれど、でも……どこに行けばいいんだろうね。どこに行きたいんだろうね。ぼくたちは」
――そもそも、ほんとうに“どこか”とやらに行きたいのか?
僕がまだ子供っぽいだけなのかもしれないし、そして隣の芝が青く見えて仕方がないだけなのかもしれないし、現状をとりあえず否定したいだけなのかもしれない。
それでも、僕はどこかへ行きたかった。フヒトベ先輩がそうしたように。
“いままでありがとうね、キルシくん。……まあ、もう少し、喋りたかったかな”
信号が青になり、停車したトラックのヘッドライトに照らされながら僕は歩く。
よく見ると信号機は薄汚れていて、青色は老いた獣の眼球のように濁っていた。
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