1-3
「しかしカヤサキちゃんにはなんで効きが悪いんだろうなあ」
校門から出た瞬間、
「その……カヤサキは僕らのやっていることには全然関係のないやつです。あまり無理やりなにかしようとしないでください」
カヤサキはいいやつだ。だから、あまり僕や先輩がやっていることには巻き込みたくない。
「そうは言うけどね、きみ、他のここの生徒たちにも先生たちにも、“炊井戸ヱイラがこの高校に通っている生徒である”という認知の操作は上手いことアレできてるんだ。カヤサキちゃんだけ上手くいっていないのは、気になるよ」
先輩はすこし意地悪そうに口元を歪ませ「もしかしたら彼女も素養があるのかもよ?」と目を細める――
屋上。それは“外側”にある場所だ。建物の“外側”。でも、その建物の“一部”でもある。そんな場所。
貯水タンクがあったり、空調設備の室外機があったり、駐車場になっていたり、庭園になっていたり、特になにもなかったり、なにやらよくわからない小屋があって人が住んでいたり。
特定の人間には憧れの場所でもある。漫画やアニメや映画で屋上という場所はよく使われ、僕と先輩がそうしているような逢瀬の場所や決着の場所として象徴的に、そして印象的に使われる。
炊井戸ヱイラという少女はそんな屋上という場所に魅了された人だった。
大多数の屋上がそうであるように、なにもない、まっさらな屋上を彼女は好む。その誰にも触れられていない、半ば忘れ去られ朽ちていくしかない無垢な姿を。そして同時に、経年劣化とともに剥げていく塗装と、野生に目覚めたかのように赤茶色に錆びていく手すりを。
屋上は外であると同時に一部でもある。所謂バックヤードのようなものとして扱われていることも多い。だからこそ、内部のシステムに少なからず干渉することができるそうだ。
団地の屋上にある貯水タンクに毒を混ぜたら?
猛暑のなか、高層ビルの屋上に密集した室外機を破壊したら?
「ひどく感覚的な話だ」と彼女は鋭利なハサミで僕の髪の毛を、しょり、しょりと切りながら言っていた。そうやって人の髪を切るように、彼女は容易く干渉していく。
たぶん〈屋上理髪師〉云々の噂も、そうやって自分で流したんじゃないだろうか。
「ひどく、ひどく感覚的だ。まあ、慣れの問題だよ。きみもわかるだろ、人類にとって歴史ある、“道”という場所を支配する〈王さま〉――〈ロードサイド・ウォリアー〉くん」
〈
――奪われたくないものは、奪われないようにしないと、ね。
だから僕たちは、各々の特別な“場所”をめぐって、ときには死んだり生き返ったり、また死んだり生き返ったりしながら延々と闘わなければならない。
王さまたちによる全時空規模の、誰かに仕組まれた気の遠くなるような
僕たちがいるそんな世界のことを、カヤサキは知る必要ない。
――とは思うものの、確かにカヤサキという背の高い女の子が、なぜ先輩の干渉(彼女流に言えば“認知を軽くアレする”)を完全に受けていないのかは、確かに気になるところだった。
干渉するのはヘアカットをするように容易いけれど、同じように繊細さがいるとも言っていたし、単に先輩の力量が足りていない、ということなんだろうか。
それとも、“王と王は引かれ合う”ということなんだろうか。
「ま、カヤサキちゃんはいい子だから、仮に〈王さま〉になったとしてもぼくたちの味方になってくれるでしょ」
先輩は打って変わってあっけらかんとした調子で言う。
「なんの〈王さま〉かにもよりますけどね」
「学校の〈番長〉とかね」
「先輩のほうがルックス的には番長っぽいですけどね」
「ひひひ、ありがと」と先輩ははにかみ、照れくさそうに学帽のつばをさわって帽子の位置調整をする。
本当に番長的なものをリスペクトして学帽を被っていたのか……。というか嬉しいんだ……。
他愛のない会話をしているうちに、繁った青葉が影をつくる並木道を抜けた。商店街にさしかかる。この商店街を更にまっすぐ進むと、僕がいつも利用している駅に着く。そして、だいたいはそこで先輩と別れる。先輩は駅舎の屋上から自分の
現在の東京から、1994年の岐阜県高山市へと。
「そうだ、キルシくんや。今日はぼくの近所の商店街に寄っていかないかい?」
と先輩が提案してくるので、「いいですね」と答えてひとけのない脇道へ逸れた。
夏仕様の薄い生地のスラックスで手のひらをぬぐうと、先輩に差し出す。
先輩は白くて綺麗な手でそっと握ってくる。僕もそっと力を込めて握り返した。
正直、この瞬間がちょっと苦手だった。
いくら親しいといえども、女子と触れ合うのは緊張する。自意識過剰でしかないけれど、手が汗ばんでいないかとかいろいろ気になってしょうがない。手をにぎるときも、どれだけ力を込めればいいのかわからない。ぎゅっとしっかり握ったって、それはそれでなんだかがっついているみたいで気持ち悪いじゃあないか。
そんな僕の心の内を見通して意図的にやっているのか、先輩はやたら僕にスキンシップをはかってきているふしがある。耳かきといい、定期的な散髪といい。
そして僕は先輩のそんな行動を満更でもない気持ちで受け止めている。
僕と先輩は、そういう関係性だった。
「じゃ先輩」
「うん」
「いっせーのーせ、でジャンプですよ」
「いつもどおりでしょ。わかってる」
「先輩たまに意地悪するじゃないですか」
「今回はしないよ」
「じゃ、いきますよ」
いっせーのーせ。
ふたりで声を合わせて、手を握ったまま軽く跳躍をする。
わずかな滞空時間のあと、重力に引っ張られて僕らは地面に――黒いアスファルトに落ちていく。
愛用しているニューバランスのスニーカーがアスファルトに接地した瞬間、アスファルトの硬さではなく、泥を踏んだときのようなどろりとした感触が伝わり、僕も先輩も柔らかくなったアスファルトに、とぷん、と落ちていく。
からだ全体を泥に包み込まれたような感触は一瞬で終わり、僕たちはどこかの道路のどこかのアスファルトから飛び出した。
よっ、はっ、などとかけ声をあげながら僕と先輩は見事に着地を果たした。最初のころはどちらか片方がバランスを崩して尻もちをついたりしていたけれど、いまはそんなこともなく、たまに誇らしげに繋いだ手をバンザイしたりもする。
跳躍に使った道と同じで、着地したここも人通りの少ない道だった。地面から飛び出てきた瞬間を特に誰からも目撃されていないのは、僕が無意識的にそういった場所を選び取っているのか、それともなんらかのシステムが作用しているのか。
「じゃあ行こうか」と先輩は学帽をかぶり直しながら言う。「かき氷でも食べよう」
先輩は微笑みながら商店街の本通りへと歩を進める。
「……」
また、知らないうちに手を離されてしまっていた。
もちろん、跳躍したあとも特に手を繋いでいる意味なんかはないけれど、でも、どことなく寂しい気持ちがあることも確かで、結局僕は先輩と手を繋ぎたいのか、それとも繋ぎたくないのか、どっちなんだろうかと一瞬深く考え込みそうになったけれど、先輩からの「おーい」という声で考えるのをやめた。
〈国道の王さま〉になって――〈ロードサイド・ウォリアー〉だなんて妙な名前の存在になって、道という道を自由自在に行き来できる神さまみたいな力が使えるようになったといっても、僕の自意識は特に変わりはしない。
先輩は〈屋上の王さま〉になるまえとなったあとで、なにか変わったりしたんだろうか。
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