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 屋上から校舎につづく扉を開け、踊り場に降り立つと、むわっとした夏の熱気が僕のからだをつつんだ。となりにいる先輩はやや眉をひそめ、「んふー」と困ったような呆れたようなわざとらしい鼻息をする。


 屋上へと至るこの踊り場は、そもそも生徒が普段寄り付かない。そのせいかろくに換気もされていない。下階へとつづく小窓が開けられていたとしても、屋上の扉が開いていない以上、空気のめぐりが非常に悪い。特にいま、つまり夏場は最悪だ。


 さっきまでいた、終わりを迎えかけている世界の涼しい屋上がすこし名残惜しいけれど、今日はもう帰らないと。


 僕はスラックスのポケットから鍵を取り出すと、屋上の扉をしっかりと施錠した。屋上を統治しているのは炊井戸タクイド先輩なんだから、別に僕が施錠しないで彼女がやってもいいものなのだけれど。どうやら炊井戸先輩は、自分の能力や世界に干渉する、この一見してなんの変哲もない鍵に対して、少なくない執着や思い入れがあるらしい。


 かつてフヒトベ先輩と炊井戸先輩が語り合ったあとも、フヒトベ先輩がこの鍵で施錠していたのだろう。きっと。


 再び「んふー」と盛大な鼻息を立て、先輩は僕を急かす。先輩の顔には早くも玉のような汗が浮かんでいた。それだけ中に着込んでいればそうなるだろう。「暑い」と口に出さないのは、自分からファッションとしてそういう恰好をしている手前、言いにくいからだ。たぶん。


 僕は頷き、先輩とともに階段を降りはじめる。心なしか駆け足気味に。


 降り立ったのは四階で、右手には図書室があった。左手にある小窓からは風が吹き込み、僕や先輩の頬をなでる。階下からは吹奏楽部の練習演奏が聞こえてきた。


 僕がいつも炊井戸先輩と会うために使っているのは、購買や音楽室や図書室等がある特別棟の屋上の扉だった。鍵穴が共通なのか、それともフヒトベ先輩から授かった例の鍵自体が万能なのか、別にどの屋上の扉からでも先輩に会うことは出来たけれど、ひとけの少ない特別棟が一番良いと思ったのだ。たまに踊り場でたむろしている生徒も夏場なのでいないし。


 ちなみに三階は音楽室。二階は美術室。そして一階は購買と飲食スペースになっている。


 僕たちは一階まで降りると自動販売機で飲み物を購入した。僕は麦茶を。先輩はエネルゲンを。


 ふたりして腰に手をあてて一気に呷る。喉を冷えた麦茶がとおっていった。


 ふうと一息つくと、先輩と目が合い、僕たちは偉大なことを成し遂げたかのように力強く頷きあった。一体なぜこんなにも力強く頷きあったのかはよくわからない。


「相変わらず仲がおよろしいですね」


 突然背後から低めの声がかけられる。僕は振り返り、声の主を見上げた。そいつは僕より学年が一つ下で、そして僕よりかなり背が高い。短めの髪の毛が無造作にまとめられているので一瞬美少年っぽく見えるけれど、女子だ。


「なんだ、カヤサキ後輩か」


「ええ、カヤサキです。キル先輩、それと――」


 カヤサキは炊井戸先輩の目を見、ほんのわずか、しかめ面になって言い淀んだ。


「――た、炊井戸、先輩も……。これからお帰りですか?」


「少しお茶をしばいてからね」


 先輩は言い終わると、エネルゲンをひとくち口に含んだ。


「そっちは? カヤサキちゃん、今日は部活じゃないんだろう?」


「まあ、そうなんですが、野暮用が……」


 先輩は、ふうん、と言うとまたもやエネルゲンの黄色い液体を飲み下す。


「先輩さっきからめっちゃ飲んでますね」


  僕が指摘すると先輩は、暑いし、と小さく呟いた。いっちゃうんだ、それ。自分から。まえ指摘したときは誤魔化してたのに。


「暑いならなんでそんな恰好してるんですか?」まえから気になってたんですけど、とカヤサキは素直に尋ね、それに対し先輩は


「かっこいいからさ」


 と答え、再びエネルゲンを口に含んだ。


 飲み下す際の喉の動きをなにげなく見ていたら、先輩の首筋を覆う黒いハイネックがじっとりと汗ばんでいることに気がつき、僕は思わず目をそらした。

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