第4話「よかったら、どうぞ?」

「よかったら、どうぞ?」


急な激しい音と共にやってきた雨、木々の間から時折落ちる雫。

慌てて店の外にあるテラス席の片付けをしている私の後ろで、

さっきまで一緒に作業をしていた彼が女の人に声をかけている。

「えっと」

「たぶん、雲の感じだとしばらく止まないと思いますよ。風邪引いちゃいますし、店で温まっていってください。」

語りかけている彼の奥、しばらく外で雨宿りしていたのか、肩のあたりが濡れているスーツ姿の女性は、ちょっと申し訳なさそうに頰を軽く赤らめながら店内へと入っていく。



後ろ姿だけでわかる、冷えた体がぽかぽかするようなお日様のような笑顔を向けているんだろう。

天然なのか、それとも経験によるものなのか、私の同期はそうやって知らず知らず、人の心の中にじんわりと入り込んでくる。

「私が案内するから、奥からタオル持ってきてくれる?」

「お、うん、わかった。」

そんな彼の「お節介」に世話を焼く立場を自然に見せながら演じる、私。

大したことのないことに一生懸命な後ろ姿をちらっと見ながら、お客さんを店内へと案内する。


「すみません、傘がなくて本降りを避けたらすぐに駅まで走ろうかと思ってたんですけど、ご迷惑をおかけしました。」

「いえいえ、こちらこそいきなり店員が声をかけてしまって、せっかくですからゆっくりしていってください。」

ちょっと雨に当たったのか、髪についた小さな水滴がアクセサリのように照明にあたり、小動物的な弱さを魅せる感じが綺麗に映えた。


お待たせしました、と奥から戻ってきた彼が白いタオルを彼女に渡す。

私は仕事を終えたように軽く会釈をして、その場からゆっくりとバックヤードへ去っていく。

自然と後ろから聞こえる和やかなやり取り逃げるように。


「おっ、戻ってきた・・・」

バックヤードに戻ってきた私に向かってトレンチを持ったコックが立っていた。

「どうしたの?」

「ほらよ。注文入るまで、とりあえずこれでもってな。」

乗っているのは、温められたティーポットとカップ。

「それに、だらだら向こうで楽しそうに喋られても困るんだよねぇ。」

よかったら邪魔して来てくんない?と、にやにやと軽い悪戯を楽しむような表情を向けるもう一人の同僚。

「もう・・・そうやって私を悪者にする。」

私は笑いながら文句をいうが、彼は確信犯のように笑いながらキッチンに戻っていく。

仕方ないな、と思いながらも彼から提案された悪戯にちょっと心が軽くなる。

楽しく談笑している二人には悪いが、こっちはこっちで色々と事情があるのだ。

トレンチを持ち、ゆっくりとホールへのドアを開きながら、私はいつもの笑顔で二人に向かって歩き出す。


「ありがとうございました」

最後のお客さんの見送りし、がらんとした店内。

ゆったりとしたピアノジャズが静かになった空間に流れ、私たちは耳を傾けながら黙々と締めの作業に入る。

ほんのちょっと嫉妬の混じった接客に軽く反省してしまうが、あのお客さんはあの後ちゃんと無事に帰ることが出来たんだろうか。

「雨、やまないな」

湿った空気を漂わせ、前よりは静かになったものの、雨音はまだ窓ガラスから小さく鳴り響いている。



「うわ・・・こりゃひでぇな。」

帰り支度を済ませたスタッフが一人、二人と帰っていく。

まだ彼は店長と話し込んでいるらしく、私と同僚は彼より先に上がらせて貰った。

上がったはいいが、二人とも街灯から照らされている止まらない雨のラインを眺めながら、やまないかしばらく待っていた。

「仕方ねぇ。んじゃあ、お先。風邪ひくなよー!」

諦めがついた同僚はばっ、と雨の中を走り去っていく。

たぶん、駅に着く頃にはずぶ濡れだろう。

気をつけてね、と疾走していく姿を見送りつつ店の前で自分もどうしようか考える。

そんなに早くない自分の足だと、このままだと濡れ鼠だ。

お店にストックしていた傘はどうやら昼間の彼女に渡したのが最後だったらしい。

今日は心の反省が多いな、とか雨を眺めながら色々と頭の中でぐるぐる考えを巡らせる。


「あれ?こんな所でどうしたの」

そんな考え事をしながら店の入り口のドアが開いたと思って、

そちらへ目を向けると現れた彼。

「・・・どうして?」

急に声をかけられて、自分の返しがとんちんかんになる。

「え?いや、俺も帰る所だけど。」

「あっ、そっか。えっ、そんなに時間たった?」

慌てて腕時計を見る私。気づかぬうちに、ぼうっとする時間が長かったらしい。


「やっぱり止みそうにないなぁ。」

二人でオレンジ色の街灯に照らされた雨を眺めながら、黒い傘を取り出す彼。

「・・・あれ、もしかして傘ないとか?」

大きな傘を広げながら、彼はこちらに振り向いて尋ねる。

「置き傘とか全部ないみたいで・・・しょうがないから走ろうかなとか思ってた。」

「えっ、本当に?」

さっきの同僚のように、半ば諦めたような表情を彼に向けつつ、余裕をなんとなく見せる私。


「じゃあ、よかったら、どうぞ?」


彼は傘のスペースを半分開けて、私の方を向きながら

「二人で駅まで一緒に行った方がいいって。風邪ひいちゃうからさ」

仕事中に他に向けられていた、ぽかぽかする笑顔を彼は私に向ける。

「いいの?濡れない?」

たぶん、隠せてると思うが、若干の照れが私の行動を鈍らせる。

「大したことないって。大丈夫」

そんな気持ちにお構いもしない彼の行動に促され、

一緒の傘に入りながら二人で駅まで歩いていく。

なるべくゆっくり歩きながら、今日のこと、さっき走って行った同僚の話とか、些細なことを駅に着くまで語り合う。


そう、彼は優しい。

優しい気持ちを自分に向けられているこの時間。

私はちょっと心が暖かくなった。

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喫茶店シリーズ ひじりいさみ @hiziriisami

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