かつて、NHKスペシャル「映像の世紀」で取り上げられた第一次世界大戦を経験したチャーチルの言葉。
「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。
アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。
そんなことはもう、なくなった。
これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。
一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。」
戦争から、人を殺す実感や罪悪感、嫌悪感を消し去ることは、PTSDの問題などを考えれば、先進的で人道的なのでしょう。
しかしながら神が人に与えた戒律「汝、殺すなかれ」の禁忌を犯すことの代償として殺人を犯すことの罪悪感を与えられるのだとしたら、罪悪感を消し去ることは、別の意味でおぞましく人道に反したことなのかも知れません。
短編に長い文を添えてどうなるというのだろう。
ただ、私は短文がとても苦手だ。
何一つ、予想外の事は起きない。
それこそが悲劇のリアリティだ。
それはホラーのリアルでもある。
主人公性を剥ぎ取り、御都合主義を剥ぎ取ると、
他者に対する怠惰、相手の最適に対する怠惰は、
ごく「普通」に、その「運命」まで怠惰にする。
「なぜコイツを区別しなきゃならないんだ?」
いつだって、世界はモブのモブらしさの味方だ。
人にとって、人とは経験の産物としての技能だ。
前世であれ貰い物スキルであれ、技能こそ個だ。
ならば、英雄になる前の英雄は、こんなものだ。
彼は、英雄で居られるだろうか。
それとも、道半ばで止まるのか。
この「体験」の持ち主が、「技能」の持ち主だ。
それを借りるだけの物は、その道具でしか無い。
彼は英雄のように平凡だ。
大きさとは、区別もされない頭数のことである。
偉大さも、例外ではない。
< 最後は運だけどな それを言っちゃ御仕舞よ
本作はある一人のゲーマーの話だ。
ひきこもりだった彼は、ある日得意とするFPSの腕前を活かしたゲームの仕事を見つけてくる。
その内容は彼がログインしたゲームの中でテディベアを撃ち殺していくだけ。
たったそれだけで、彼の口座にかなりの金額が振り込まれるというものだ。
しかし、彼は気付いていなかったが、実は彼が本当に殺していたのは…………。
と、普通ならそういう展開になりそうなのだが、本作はそういった話運びはしない。
主人公は自分が殺している物の正体を最初から把握していて、それを労働と割り切っているのだ。
「神経コン」や「ポリアンナ」といった近未来技術のサポートを受けた彼がテディベアを殺していく様子は鬼気迫るといったものではない。むしろ、普段の生活と変わらぬ落ち着いた様子である。
その淡々とした語り口に、読者も「近い将来こんな世界が当たり前になってもおかしくない」と作中で書かれている様々な歪みをスルーしてしまいそうになる。
設定面だけではなく、異常な状況を日常の延長線上であるかのように見せかける筆力も含めて、実に面白いSFだ。
(必読!カクヨムで見つけたおすすめ5作品/文=柿崎 憲)