なぜ「そんなもの」が必要なのか

かつて、NHKスペシャル「映像の世紀」で取り上げられた第一次世界大戦を経験したチャーチルの言葉。
「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。
アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。
そんなことはもう、なくなった。

これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。
一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。」

戦争から、人を殺す実感や罪悪感、嫌悪感を消し去ることは、PTSDの問題などを考えれば、先進的で人道的なのでしょう。
しかしながら神が人に与えた戒律「汝、殺すなかれ」の禁忌を犯すことの代償として殺人を犯すことの罪悪感を与えられるのだとしたら、罪悪感を消し去ることは、別の意味でおぞましく人道に反したことなのかも知れません。