すべてのテディベアを殺せ
まくるめ(枕目)
#1 仕事はゲームじゃないけれど。
「合う仕事が見つかってよかったね。心配してたから」
ユキからのメッセージはシンプルなものだった。
彼女が他の友達にもシンプルなメッセージを送るのか、それとも、親しい相手にはもっと長いメッセージを送るのか、僕は少し考えた。それから、その考えを頭から追い払った。
「おかげさまで。運がよかったと思うよ」
そんな短い返事を書くだけでずいぶん時間を使った。本当はもっと長いメッセージを送りたかったけど、何を書けばいいのかわからなかった。
「つぎの給料が入ったら、お礼に何かプレゼントする」
「どんな仕事?」
「機械を操作するみたいな、そういうの」
ユキからの質問を、僕は曖昧にごまかした。
自分の部屋でテディベアを撃ち殺す仕事。
細かい話は後回しにするとして、ぼくの仕事はそういうものだ。テディベアを数匹殺すだけで、高級コールガールが部屋に呼べるぐらいのカネが入る。呼ばないけど。
もちろん、普通の仕事ではない。
そして誰でもできる仕事でもない。
そして自分はその条件を満たしていた。選ばれていた。
ことのはじまりは、とある奇妙なゲームだった。
バーチャルリアリティ・ファーストパーソン・シューティングゲーム。略してVRFPSというゲームジャンルがある。
仮想現実の中に作られた戦場で、射撃で戦うという内容だ。箱庭で戦争ごっこをすると思ってもらえれば、まあ近い。
僕はこのジャンルを専門にするゲーマーだった。仕事でもないのに専門というのもおかしいかもしれないけれど、プレイするスポーツの種類みたいなものだ。
そのころVRFPSは、仮想現実の技術を利用したゲームの中でも2番目に成功したジャンルと言われていた。1番成功したジャンルは? もちろんポルノ。
話を戻そう、とにかくFPSは、仮想現実の時代にさきがけて成功したゲームジャンルのひとつとなった。まだモニタにゲームを表示していたころには、すでに基本的なアイデアやゲームシステムは完成されていたし、それを仮想空間に拡張するだけでよかった。
それゆえに、このジャンルはもっとも早くマーケットが成熟した。
それほど時間が経たないうちに、大手メーカーのビッグタイトルが出尽くし、システムも洗練されていった。仮想現実シューティングゲームの市場はすでに飽和状態だった。
いっぽうで自主規制も進んだ。アメリカで銃を乱射する事件が起きて、犯人が仮想現実ゲームをプレイしていたせいで、暴力描写がかなりカットされるようになった。
そのぐらいの時期のことだった。
「謎のフリーゲーム」がマニアのあいだで話題になった。
それは「VR-STP-MK3」という機械の型番みたいなタイトルで、無償で配布されていた。詳しい説明らしきものはなく、公式サイトは存在したが、ソフトウェアが要求するコンピュータのスペックと、やたら長くて読む気のしない同意事項があるだけだった。
やけに巨大なクライアントプログラムをダウンロードして起動してみても、グラフィックは一世代前のレベルだった。そのくせ要求するハードウェアのスペックは妙に高かった。
広告は打たれたが、まるでお役所の告知みたいなしろものだった。今どきの広告としてはひどいといっていいもので、逆に目だった。そのくせ、広告費はそうとう潤沢であることが扱いから見てとれた。
アマチュアの自主制作ではなさそうだった。ゲームファンが好きで作ってたら、こんな公開の仕方はしないし、なにより個人のレベルを越えたリソースが使われている。
話題にはなったが、どうせ、どこかの金持ちの道楽だろう、ということに落ち着いた。ほかの話題に押し流されて、すぐにみんな気にしなくなった。ゲームはたくさんあるのだ。
しかし少数の人間は、違う見方をした。
これは、そんなものであるはずはない。
と。僕もそのひとりだった。
それで僕は仕事を得た。
僕の住みかは都心にある商業ビル、ガラスを全体に張ったみたいな細長い建物だ。その五階がまるまる住居だった。会社が用意してくれたので、僕は自分の家の家賃を知らない。
今日は仕事がある日だった。
仕事中は机からいっさい動けないから、席を立つような用事はすべて前もって済ませておかなければならない。トイレなんかも含めてだ。とりあえず換気をしておこうと思って、部屋の窓を開けた。
窓からはスクランブル交差点が見おろせる。
無数の人々が、粒マスタードをかき回したみたいに行き来する。それが止むと車が滑り、また人々が行き来する。その光景は安っぽいドラマの背景シーンみたいで、あまり現実感はない。
眺めていると、足をとめてこちらを見上げている人間がいるのに気づいた。ほとんどの人は流れるように歩いていくのだが、たまに彼のような人がいて、こちらに気づいてじっと見たりする。
彼はずいぶん長いことこっちを見ていた。ベージュのコートを着た若い男だった。表情は遠すぎて僕の視力では読みとれなかったが、明らかに僕に気づいていた。彼は横断歩道の分離帯に置き去りにされていた。
もしかしたら、彼には僕が飛びおり自殺でもしようとしているように見えたのかもしれない。でもそう見えるんなら、彼もちょっとは死にたいんだろう。
水分補給をしておこうと思い、買い物に出た。
ビルの一階はコンビニエンスストアで、買い物はほとんどそこで済ませられた。そこで買えないものは通販を使った。ようするに、僕はほとんどその建物から出ないで生活できた。
ビルの二階から四階にはよくわからない宗教団体のようなものが入っている。たまにその参加者らしい人たちとエレベーターで乗り合わせることがあった。決まって口はきかなかったが、上品そうな中年女性や初老の男性が多かった。
食べ物を買って自分の部屋に戻った。合成グレープサイダーのペットボトルを買って半分だけ飲んだ。水分の摂取量はコントロールする必要があった。指定された時間に入ったら待機状態になるので、できる限り端末の近くにいなきゃいけない。
連絡が入ったのは、夕方だった。
ぼくはコーンフレークを食べていた。それが夕食だった。
そのころ、僕は一ヶ月ぐらい同じコーンフレークを食べ続けていた。べつにそれを食べ続ける理由はなかったが。毎日違ったものを食べる理由もないからそうしていた。
仕事の指示が来ていた。食べながら確認する。指示はそれ専用に作られた通信用のソフトウェアを通して入ってくる。
指示は毎日ではなかった。まったく連絡が来ないこともある。平均すると週に二度ぐらいだが、まるまる一ヶ月のあいだ放置されたこともある。連絡の回数を最小限にする方針らしく、在宅確認をされる事もない。
そういう場合でも給料の支払いは保障された。とにかく、向こうの指定する時間のあいだ、指示があれば応じられるように待機していれば、それでいい。
ようするに、ほとんどの時間はただ待機だ。雨が降りつづいてる国の消防団員みたいなものだ。とはいえ、今日は仕事の日になった。
シャワーを浴びることにした。仕事に入る前にシャワーを浴びるのがさいきん習慣になっていた。シャワールームに入り、湯の温度を確かめてから、風呂場に設置されているテレビに目を向けた。
僕はマンションのところどころにテレビを設置して、つけっぱなしにしている。とはいえ、べつに熱心なテレビ視聴者ではない。熱心だったらつけっぱなしにはしないだろう。単に、なるべくテレビをつけるようにしているというだけだ。
そんなことをする理由は、一種の自己管理だ。
僕は本当に人に会わない生活をしている。一日に一言も発さないことも多い。そういう生活をしていると、たまに外に出たときにまともに話せなくなってしまう。経験上、テレビはいくらかそれを軽減してくれる。宇宙飛行士が無重力空間で筋トレするようなものだ。
テレビというメディアが、この時代でもまだ一定の地位を維持しているのは、そういった効果のせいだろうと僕には思えた。
モニタの中では、バーチャルアイドルが踊っている。彼女の歌も踊りも、動きに合わせて揺れる乳房も踊っている舞台も、音楽もバックダンサーも、すべてCGで合成されたものだ。物理的な実体はいっさいないダンスと音楽。
テレビ業界はけっこう長い間、この手のバーチャルアイドルを非難していた。引きこもりの原因になるとか言って。だが、さいきんは手のひらを返した。
今ではそれぞれのチャンネルが独自のヴァーチャルタレントを持っているし、バーチャルタレント専門の事務所もあるほどだ。彼らは人間のタレントと違って老けないし、ギャラが上がったりしない。スキャンダルも起こさない。スタジオや舞台も要らない。
シャワーを浴び終えても、仕事のログインまでまだ時間があった。ぼくはふたたび窓から外を見おろした。
外はいつの間にか雨になっていた。横断歩道の上をカラフルなカサの群れが流れ、信号が切り替わると、車の群れが流れ、また切り替わると、さっきとは別のカサの群れが流れていく。
僕はその光景をじっと見た。
車はちらほらとライトをつけ始めていた。観察するかぎり、たいていの車は、回りの車の多くがライトをつけた時点でライトをつけているように見える。
だからライトをつけている車が少数派であれば、ほとんどの車はライトをつけない。だが、ある割合の車がライトをつけると、ほとんどの人間が他人に会わせるようだ。ライトをつけている車の比率は急上昇して100%に近づく。水が沸騰するみたいに。
もし、それぞれの運転手がまったく孤独にライトをつけるか決めていたなら、たぶんみんなそれぞれ、自分の感じる暗さに応じてライトをつけるんだろう。それがいいことかどうかはわからないけど。
そんなことを考えていたら、いつの間にかライトをつけている車が多数派になっていた。閾値を過ぎたらしい。
そろそろログインしておかないといけない。
机の上には僕のコンピュータ、医療用ジェルのチューブ、黒い箱、それからゴーグル上のディスプレイがある。黒い箱はコントローラーだ。僕はまずチューブを手にし、中身をこめかみ、後頭部、背中そのほか指定された場所に塗りつけていった。
これもログインの手順だ。
それから、コントローラーから伸びている電極を塗ったジェルの上に貼りつけていく。自分の背中に電極を貼りつけるのはなかなか大変だ。位置がずれている場合は不快なエラー音が鳴る。
電極を装着し終え、ソフトウェアを起動する。パスワードを二種類入力する。その片方は一週間おきに、もうひとつは入力するたびに。
「認証に成功しました。シンクロナイズ補正を行います」
素っ気ない合成音声がひびく。女の人の声だ。
「目を、閉じて、赤い色を、思い浮かべて、ください。腰の、中央に、意識を、集中して、ください。脊椎に、そった、白いラインを、イメージして、ください。右がわに、青い、三角形を、イメージして、ください」
僕はソフトウェアからの指示を言うとおりにしていく。こんな指示がえんえん続き、僕はそれにしたがってえんえん図形や色を想い描いたり、頭の中で手足を動かしたりする。
これがどんな意味を持つのか、正確にはわからない。この「シンクロナイズ」はすぐに終わることもあるし、かなり長い時間続くこともある。前のログインから日が開くほど、長くなるようだ。
「楽な姿勢を、とって。ゴーグルを装着して、ください」
今日はそれほど長くなかった。
「30秒後に、ザイフリートへの、同期を行います。絶対に、動かないでください。くり返します。絶対に、動かないで、ください。15、14、13、12……」
一瞬だけ、こめかみが焼けるように感じる。
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