シーン5
詩織(ナレ) 食事を終えたら帰ると言っていた姉はまだ居座り、食後のコーヒー
をすすっていた。
香織 じゃあ、就職したところの仕事は辞めて、今はカフェで働いてるんだ
ね。
詩織 うん。コーヒーも、お店からもらってきたやつ。
香織 やけんこげん美味しいんやね! なんや、じゃあお店の資産じゃない
のよ
詩織 その話はもういい。
香織 はいはい。‥‥まぁ、色々あるよ。人生。モラハラもセクハラも、嫌
なら逃げちゃって正解だって。今はカフェ店員として頑張ってるんだ
ったら、それでいいんやない?
詩織 ‥‥それでいい、つもりだったんだけど‥‥
香織 だけど?
詩織 やっぱ、高校まで世界目指してたからかな。陸上やめてから、喪失感
みたいなものはずっとあって。何事にも夢中になれてないというか。
亜矢子が頑張ってるのもね。本当に心から応援してるし、結果がいい
と嬉しいんだけど、なんだかね。
香織 嫉妬?
詩織 ううん。そんなんじゃない。羨んだりしてるわけじゃないんだ。視点
はあくまで別の次元にあるというか。
香織 別の次元。
詩織 うん。選手になりたいとか、そういうのはもう、ないから。
香織 夢中になれること、か。難しいね。
詩織 うん。そうだ、ねぇ、私宛の遺書、読んだ?
香織 読むわけないでしょ。そこはプライバシーよ。
詩織 あのひ‥‥お母さん。また手紙で謝ってんのかな。
香織 またって‥‥手紙でなんか謝られたこと、あるの?
詩織 うん。高校3年の学期末にね。親子で手紙を交換するっていうイベン
トがあって。
香織 なにそれ、学校で?
詩織 そう。道徳的な何かで。
香織 義務教育みたいやね。
詩織 そうなのよ。先生側が生徒に内緒で根回しして、親に手紙書かせてて
さ。授業で配られて生徒はびっくりよ。で、その手紙に返事を書きま
しょうって時間があったんだよね。
香織 へぇ。面白そう。
詩織 両親からもらってる子もいたけど、うちは、ね。で、何が書いてある
のかしらなんて覗いてみたらさ、すごいたくさん「ごめんなさい」っ
て書いてあるの。
香織 へぇ。で、それ見てあんたはどう思ったの。
詩織 「嘘やろ」と思ったね。
香織 (大笑い)
詩織 だってさ! 信じられんやん! あの人車で私のこと轢いた翌日なん
て言ったと思う?
香織 (笑いながら)暗がりの中飛び出すあんたの方が悪い。
詩織 だよ! 信じられる? こっちは仕事で忙しいあんたを少しでも楽さ
せてやろうと家事をやってたわけよ!
香織 家事ってゴミ出しでしょう?
詩織 ゴミ出しだけれども! だけれどもさ!
香織 恨むなら夜にゴミ出す制度にしてる福岡市を恨みなさいよ。
詩織 でもさ! あの時の接触事故がなかったら今頃日本代表選手として戦
っていたかもしれないと思うとなんとも
香織 未練タラタラじゃん! 別の次元だか視点だかだったんじゃないの?
詩織 そうなんだけどさぁ!
香織 で? なんて返事書いたの
詩織 ‥‥書いてない。
香織 は?
詩織 書いてないんだよね。
香織 は〜
詩織 しかもあの人そのこと根に持っててさ! 私は書いたのに、とかみん
なもらってるのに、とかいつものヒステリー。きゃんきゃんわめいて
うるさいのなんの。大人気ないったらありゃしない。
香織 いやー、そりゃあなんというか、どっこいだろう。
詩織 そもそもさ! そりが合わないんだよね。あの人短気ですぐ怒る
し? 仕事から帰ってきたらそりゃ不機嫌だし?何かあればすぐ大声
でわめいてさ。ほんと無理!
香織 似たもの親子だと思うけど‥‥
詩織 かおちゃんは分かんないんだよ! かおちゃんは昔からお父さんチー
ムだったじゃん!
香織 あ、今もしかして血液型の話をしてる?
詩織 私とお母さんでBチーム、かおちゃんとお父さんでOチームでさ。何
かとお母さんと一緒にされるのほんと嫌だったんだから!
香織 え、何で分けてたっけそれ‥‥
詩織 小さい頃のお風呂とか! ゴーカートとか!
香織 想像以上に確執が根深いな
詩織 神様仏様みたいに温厚なお父さんが事故で死んじゃってさ、それだけ
でも超絶望なのに、あの人葬式で私に何したと思う?
香織 葬式ってお父さんのお葬式? 何かあったけ
詩織 わたしお葬式初めてでさ。ご焼香のやり方わかんないから教えてって
お母さんに聞いたの。そしたら‥‥
香織 あっ、思い出した! 二礼二拍手!
詩織 そうそれ! 自分の娘に葬式で遺体に向かって二礼二拍手されるお父
さんの気持ち考えたら私今でもやりきれないんだけど!
香織 会場、爆笑の渦だったもんなぁ
詩織 しかもお母さんが一番笑ってた。喪主だよ!?喪主!本当恥さら
し! 死んだほうがいいよ!って‥‥もう死んでんのか。
香織 ‥‥。Bチームはさ、二人とも同じくらい意地っ張りだったよ。あ
と、どっちも子供。だから喧嘩ばっかりしとったんやと思うよ。あん
たが思春期真っ盛りだったってのもあるやろうけど。
詩織 ‥‥。
香織 お父さんが生きてた頃、四人で色んなところに行ったの、あんた覚え
とる?
詩織 ‥‥覚えとる。山やら湖やら、よく連れまわされたわ。
香織 よかった。お父さんが死んだ後、本格的に陸上バカになっていったか
ら、そういうの全部忘れたのかと思った。
詩織 家にいたくなかっただけだよ‥‥。
SE テレビの音「みなさんは、桜前線と同じようにススキにもススキ前
線と呼ばれるものがあるのをご存知ですか?」
詩織 へぇ、ススキ前線なんてあるんだ。
香織 あぁ、私知ってる。昔なんかの資料で読んだわ。桜前線と逆でね、北
から南下していって、沖縄がゴールなんだって。
SE テレビの音「本日はそのススキ前線がはじまる街、山形県新庄市から、ススキ
の草原と月が織りなす幻想的な光景をお届けします」
香織 ここ! いったことあるね!
詩織 マジで?
香織 マジ! 日本一のお月見スポット連れってってやる!って連れて行か
れたことあるよ
詩織 でもここ山形だよ?
香織 あるって。お父さん実家岩手やもん。車で帰省してた時に足伸ばして
行ったんだって。で、あんたがススキ持って帰るってきかなくて、福
岡まで持って帰って。うちにあったススキの神棚、そん時に作ったや
つだもん。
詩織 ‥‥そんな気がしてきた
香織 そうなんだって。
詩織 うわ〜、なんかぞくっとするね。
香織 したした。私ね。子供が生まれたら、こういうところたくさんつれて
いってあげたいんだ。そんで、私が考えたお話を、読み聴かせてあげ
んの。どう、完璧っしょ。
詩織 立派な妄想家が育つと思うわ。
香織 でしょ。
詩織 ‥‥お姉ちゃん。
香織 ん?
詩織 やっぱりあの家、売っちゃダメだ。
香織 ‥‥うん。
詩織 守ってたんだね、あの人。家族の思い出みたいなやつ。桃の節句か
ら、バレンタインとか、クリスマスとかそういうの、やろうやろうっ
て言い出すのはいつもお父さんで。それに私たちがきゃっきゃ参加し
てさ。ああいう楽しかったのを、お母さんは守ってたんだね。
香織 ‥‥うん。私の手がぬくくて、チョコ溶かしまくったこととか、あっ
たねぇ。
詩織 だめだ、どうしよう。どうしてわたし、あの時手紙書かなかったんだ
ろう。変な意地張ってたんだろう。本当は私もわかってたんだ。私、
自分がどれだけ大切に育てられてるのか知ってた。食べ物に慎重なく
らいに気を遣ってくれてたのは、私がスポーツやってたからだよね。
ショックだったと思うんだよ。夫を交通事故で亡くしてるんだよ。娘
まで交通事故であんなことになって、しかもそれが自分の過失でっ
て、絶対しんどかったと思う。
香織 そうだね。詩織がリハビリ頑張ってくれて今があるけど、一度、もう
二度と立てないかもしれませんって言われたことあったじゃん。あん
時の憔悴の仕方と言ったら、なかったわ。
詩織 バカだ私。なんかもう、今更溢れてくるよ。本当バカじゃん。言いた
いこととか、伝えたいこと、こんなにたくさんあるのに。あったの
に。変な意地はって言えなくて。伝えられなかった。言いすぎなくら
い、蛇足なくらい、言葉を書きなぐっときゃよかった。あの時ちゃん
と、伝えておけばよかった。
香織 ‥‥よし。その言葉、ちゃんとまとめて持って行きな。
詩織 え?
香織 手紙に書いてでもいいよ。渡してきな。
詩織 かおちゃん‥‥。
香織 お母さん、中央病院にいるから。3棟303号室。
詩織 え?
香織 オールスリー。
詩織 え、ちょ、ちょっと待てかおちゃん。
香織 あたしさー、お母さん死んだなんて一言も言ってませんけどぉー?
詩織 はぁ〜???????????
香織 いや遺書渡しただけでさ、葬式は?とか言われるから戸惑っちゃ
た〜。いやー、ちょっと緊張感すらあったわ。うん。
詩織 待て待て待て。お母さん生きとうと? 元気なん?
香織 生きとうよ! 勝手に殺すなっての!!!
詩織 こぉのクソシナリオライター!!
香織 ちょっとごめんって! あんまり叩かんで!
詩織 あっ、ごめん
香織 ‥‥そんな深刻そうな顔せんでもよかよ。もうお腹の中、誰もおらん
けん。
詩織 え?
香織 ダメやったんよ、赤ちゃん。流産しちゃった。
詩織 え‥‥
香織 今回はこのことで関東に来てたの。予想はしてたんだけどねー。旦那
サイドから結構厳しいこと言われちゃった。で、妹の顔でも覗きに行
くかーと思ったらこれやもんね、ちょっと元気出たわ。ありがとう。
詩織 ちょっと、何が本当で、何が嘘なん?
香織 嘘なんて一つも吐いてないよ。死んだとは言ってないって言っただけ
で。本当におっきい病気して入院してる。
詩織 助かるんよね?
香織 わからん。今度手術。五分五分だって言われてるけど、ご本人がめち
ゃくちゃ気落ちしてるんよね。分かる?遺書なんて書いちゃってる
の。私なんかこの前手ぇ握っただけで「かおちゃんの手はあったかい
ね」って泣かれたんだからね。相当きてるよ、あれは。
詩織 そんなの、治るものも治らなそうやね
香織 病は気からやけんね。これ見て。私に宛てた遺書。読んでみ。
詩織 「庭の栗の木を頼みます」‥‥これだけ?
香織 庭の栗の木ってさ、あんたが生まれた年に庭に植えたやつだって知っ
てた?
詩織 知らんかった。そうなん?
香織 そう。でさ、あんたが「こんな家、出てってやるんじゃー!」って勇
んで東京に親の金でご進学あそばした後なんやけどさ
詩織 トゲあるな
香織 栗だけにな。でさ、お母さん、めっちゃあの栗の木丁寧に世話しとた
っぽくて‥‥
詩織 こっわ!
香織 やろ。以上のことからよほど詩織に会いたいんやなと判断した私は、
こうして見栄っ張りな親子の間を保つキューピッドとしてはるばるや
ってきたわけですわ。
詩織 流産のくだりは
香織 それは本当。事実です。
詩織 ‥‥。
香織 大丈夫だよ。さっき夢、話したでしょ。私も諦めないから。
詩織 ‥‥そっか。
香織 そうだよ。
詩織 応援、してる。
香織 うん。ありがとう。さあさ! 荷造り荷造り! 実はさー、もう羽田
からのチケット取っちゃってるんだよね。しいちゃんの分も。
詩織 はー!? 私仕事だったたらどうするつもりやったと?
香織 そんなん休めよ! 母親の一大事だぞ!
詩織 ぐうの音も出ないほど正論だわ‥‥・
香織 ほらー、急いで急いで! コーヒーも持って行こう。これは本当に美
味しかった。
詩織 福岡にも店舗あるから!
香織 え、どこどこ?
詩織(ナレ) こうして私は数時間後には福岡に着陸し、その足で病院へと向かうの
だった。5年ぶりに見る母は痩せて小さくなっていて、昔みたいに不
満を喚き散らすほどの元気はなくなっているように見えた。私の姿を
見るなりあんまり嬉しそうに泣くものだから、正直、もらい泣きしそ
うで、堪えるのに必死だったことを覚えている。姉曰く、機内でたし
なめた5年越しの手紙は、母の病床の引き出しに大切そうにしまって
あるらしい。もらった遺書は、結局読まずじまいだった。読んでしま
ったら、母がそのまま逝ってしまうような気がしてならなくて、母の
目の前で、やや怒りながら、こんなものを書くなと破り捨てた。それ
はそれで母の反感を買ったが、これで闘志に火がついたのなら多少の
悪態も安いものである。明日、東京に帰る。その前に姉に頼み込ん
で、夜、実家の栗があるうちにと栗ご飯の炊き方を教えてもらった。
調理自体は簡単で拍子抜けしたが栗の皮むきにいささか時間がかかる
ことがわかった。姉と、義兄と三人で会話を弾ませながらその作業を
した。楽しかった。ラジオで聞いたが、もうすぐススキ前線が沖縄に
たどり着くらしい。私と、私の周りの人間の、いろんな感情、一切合
財を引き連れて、今日も、短い秋は過ぎていく。
了
ススキ前線 花本ほだか @hanamotohodaka
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