シーン4

SE      テレビの音(バックでずっと鳴っている)


詩織     (目覚める)私‥‥寝てた?


香織     ええ、それはもうぐっすりとお休みでしたよ。客人にご飯作らせとい

       て家主は寝るってか。何が「コーヒーはうちの資産」よ。もっと立派

       になってから物言えってんだ。


詩織     すいません‥‥。


香織     お箸とかコップ出して。


詩織     お姉ちゃんあのさ‥‥


香織     は?


詩織     恥ずかしいこと言ってたのって亜矢子じゃなくて、もしかしたら私だ

       ったかもしれない‥‥


香織     ‥‥は? まぁいいや。食器並べて。あと炊飯器! ご飯、さっき炊

       きあがったところだからついで。


詩織     ほーい。


SE      炊飯器の蓋の音


詩織     これ‥‥


香織     栗ご飯。実家の栗だよ! 福岡から持ってきたの。あとほら、秋刀魚

       も焼いたよ。秋尽くし。あんたグリル使ったことないでしょ。ピカピ

       カだったよ〜?


詩織(ナレ) ローテーブルいっぱいに、食べ物が並んでいた。私の部屋の食器が総

       動員されていたと思う。オクラのお浸しやきんぴらごぼう。おからと

       ほうれん草の和え物に、大根の煮付け。小鉢ひとつひとつからいい匂

       いがして、寝て起きてすぐの腹をならさんとばかりに、あちらこちら

       から押し寄せてくる。


香織     ほいほいどいて〜


詩織     まだあるの?


香織     まだあるよ! ほら、お豆腐を湯豆腐にしてみました!冷奴で食べる

       のも美味しいけど、ちょっと冷えてきたからね。お湯に通すだけで

       も、ホッとするよ。お試しあれ。


詩織     主婦力‥‥


香織     まぁね。現役バリバリですから。生姜おろしたやつあるから、あとネ

       ギ。豆腐に乗せて。大根おろしも取って!


詩織     うん‥‥。


詩織(ナレ) 薬味というものを、久々に見た気がする。


香織     最後にさつまいもの天ぷら! 今日はパーティじゃ!


詩織     パーティ。


香織     どうせろくなもん食べてないんだろと思ってね。いっぱい食材買って

       きたんだ。っていっても、そこの駅前のスーパーだけど。あそこいい

       ね! 大きなスーパーじゃないけど、品揃えも充実してるし、旬のも

       のがちゃんとある。


詩織     そうなんだ‥‥、あんまり行かないから。


香織     ケーキ屋さんのケーキも美味しかったし。いいところ住んでるね、し

       ぃちゃん。


詩織     ‥‥。


香織     さ! 食べよう! 手を合わせてください!


詩織     園児じゃないんですけど


香織     精神的なところは園児とそう変わりないでしょ。手を合わせてくださ

       い。


詩織    (納得いかない様子で)‥‥合わせました。


香織     いただきます!


詩織     いただきます。


詩織(ナレ) その瞬間、デジャヴのような、目の前の映像とよく似た光景が、私の

       脳内を一瞬ぐわりと包み込んで消えた。


詩織     ‥‥これ‥‥実家だ。


香織     え?


詩織     いや、なんか今、フラッシュバックみたいな。映像がばって見えて、

       そして消えたんだ。


香織     おいおい大丈夫かよ。


詩織     実家だった。実家の食卓だった。


香織     ‥‥まぁ、そんなこともあるんじゃない?


詩織     え?


香織     私なんかまだまだだよ。家を出るときにお母さんから一子相伝のレシ

       ピ本もらってさ。参考にしながら色々作るんだけど、速さがね。あの

       品数を仕事から帰ってぱぱーっと作ってたって思うと、やっぱお母さ

       んすごいなって。


詩織     ‥‥。


香織     だから、この光景が実家の食卓に見えるのは、当然なんじゃないのっ

       て話。


詩織     ‥‥。


香織     興味あるならレシピ本、今度持ってきてあげるよ。超バランス栄養食

       満載だから。子供の頃はお母さん料理の天才なんかな?って思ってた

       けど、あれ見ると努力の結晶だったかって安心するんだよね〜。まぁ

       一子相伝だからね。欲しけりゃ私を倒してから奪い取っていくことだ

       な、はっはー。はぁ、‥‥食べよ。


詩織(ナレ) 栗ご飯を一口、口に入れた。ほかほかのお米と、栗のホクホクした食

       感、甘み。少しの塩っけ。噛むと、もっと甘みを増して、口の中いっ

       ぱいに広がる。もう一口、頰張る。喉に詰まらせないように気をつけ

       ながら、しっかりと噛む。続けて、味噌汁をすする。いつものインス

       タント味噌汁とは比べものにならないくらい、味に深みがある。いり

       こだしだ。汁をよく吸ったお揚げと、ほろほろの長ネギを噛み締め

       る。さんまは程よく焦げ目が付いていて、ぱりっとした皮に箸を通す

       と、油をじんわりさせながら、きゅっとしまった身がお目見えする。

       箸で崩して、お醤油でまず一口。続けて、大根おろしと共に一口。

       さっぱりと甘かった。あっちの小鉢、こっちの小鉢と夢中でつつい

       た。そして、湯豆腐。ガラスの食器がほんのりと温かい。ひたり、ひ

       たり。両の手のひらに乗せた食器とは対照的に、私の頬は涙が伝っ

       て、どんどん冷たくなっていた。姉は、夢中になって食事をしながら

       涙を流し続ける私を見て、きょとんとした表情を浮かべたまま、何も

       言おうとしなかった。


詩織     美味しい。


詩織(ナレ) 泣きすぎてどの食べ物もいよいよしょっぱくなり始めた頃、私はよう

       やく感想を絞り出すことができたのだった。姉は嬉しそうに微笑んで

       いた。


香織     よかった。


詩織(ナレ) 極度のストレスからくる味覚障害と診断されてから三ヶ月。私にとっ

       ては久方ぶりの、きちんと味がする食事だった。


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