シーン3

亜矢子    ‥‥ススキだ


詩織     え?


亜矢子    詩織んち、ススキがある! なんで?


詩織     あぁ、もうすぐ十五夜やからやない?


亜矢子    十五夜って‥‥何?


詩織     何って‥‥中秋の名月やん。知らんと?


亜矢子    知らない‥‥、うちにそんな雅な文化ない‥‥。詩織んちくるといっ

       つもびっくりする‥‥。ちゃんとしとうよね‥


詩織     そうかなぁ


詩織(ナレ) 高校三年の秋。その日は亜矢子がうちに遊びに来ていた。国体を間近

       に控え、我が陸上部は出場する亜矢子はもちろんのこと、士気をあげ

       て毎日練習に明け暮れていた。


詩織     で、こんな大事な時期に、話って何。うちにススキ拝みに来たんじゃ

       ないんでしょう。


亜矢子    いやあ、毎度びっくりするんよ。お母さんの趣味?


詩織     そうやね。職場の近くの河川敷かなんかで取ってきたって。


亜矢子    へぇ〜、なんかいいなぁ、そういうの。三月は雛人形、ちゃんと階段

       があったよね。すごい立派な。


詩織     ‥‥そう? まぁ確かに、うち七草粥も食べるし、そういう風習みた

       いなの、割とやってる気がするけど。


亜矢子    気を悪くしたらごめんね? こういうの、お父さんおらずにお母さん

       一人でやってるのって本当すごいと思うんよ。あとほら、お庭の家庭

       菜園?普通にお仕事して、家事やって、で、こういうのをプラスアル

       ファで。ほんといいお母さんやなぁって思う。羨ましい。


詩織     ‥‥そんな、いいことばかりの母親じゃないよ。って!本題! なん

       なん! 学校でも帰りの電車でもできん話ってなんよ! こっちの方

       が気を悪くさせとるわ!


亜矢子    ははは。まくしたてるねぇ。


詩織     はぐらかさんで。明日も朝から朝練やろ。練習付き合うマネージャー

       の気持ちにもなって。


亜矢子    ‥‥うん。ごめん。


詩織(ナレ) 亜矢子はずっと、肩の少し下に伸びる茶色がかった髪の毛の先を、指

       でくるくると回していた。言いづらそうなことがあると、彼女はいつ

       もそうする。おっとりしていて人との衝突を避けようとばかりするそ

       の性格に、短気な私はイライラすることも少なくなかったが、彼女は

       三年間ともにタイムを競い合ったまごうことなき戦友であり、かけが

       えのない親友だった。


亜矢子    あのね、今日の昼休み、太田先生から呼び出されて。


詩織     うん


亜矢子    詩織が辞退した繰り上がりの推薦枠、私で確定したらしい。


詩織     ‥‥そっか。


亜矢子    うん。


詩織     ‥‥よかったじゃん!


亜矢子    ‥‥。


詩織     いやー、亜矢子正直勉強やばいもんね! 私と同じ志望校ったって、

       それは正直無理な話だったっていうか‥‥。


亜矢子    (泣き出す)


詩織     ‥‥は?


亜矢子    (号泣)


詩織     何泣いてんのぉ!? あ、ごめん勉強できないの気にしてた!? て

       っきり諦めの境地かと‥‥


亜矢子    違うよ! ‥‥だってぇ‥‥


詩織     ‥‥良かったじゃんって! さすが全国で私に次いで足が速かった

       女! 自己ベストが私と数コンマしか変わんない女!


亜矢子    だって、だって、詩織だったじゃん! 本当は詩織だったじゃん。詩

       織が勝ち取った推薦枠で、私、私‥‥


詩織     はぁ!? 関係ないって。だって一回振り出しに戻ったんだよ。推薦

       枠取れたのは亜矢子の実力! 私の怪我がどうとか、関係ないか

       ら! 怪我の原因が亜矢子ってわけでもないんだし。んも〜、何気に

       してんの。


亜矢子    気になるよぉ〜


詩織     気にしないでよ! こちとらねぇ、もう選手人生終わってんの。踏ん

       切りついてるの。終わってるの!


亜矢子    (声にならない泣き方)


詩織     あ〜もうめんどくさいなぁ〜。いいんだって! 逆に私が空けた推薦

       枠、亜矢子以外に取られたら、それこそやりきれなかったんだから!


亜矢子    本当?


詩織     本当。嘘言ってどうすんのよ。亜矢子が取ってくれたらいいなって、

       ずっと思ってたんだよ。


亜矢子    (泣く)


詩織     あ〜もういい加減泣き止んでよ。それにね、私普通に大学行くから。

       亜矢子と同じ大学。同じ学科。


亜矢子    え?


詩織     この家出たいんだよね。あと、都会にも行きたいし。だから進学は東

       京って決めとったんよ。もちろん強豪校だったからってのが一番やけ

       ど‥‥。模試ね、A以外取ったことないよ。多分余裕で受かるよ。


亜矢子    ‥‥。


詩織     うちらの競技じゃタスキ、あんまり使わんけどさ。私のタスキ、亜矢

       子に預けていいかな。


亜矢子    詩織、そんな恥ずかしいことを‥‥


詩織     黙って聞く。私も今言いながら自分腐っても児童文学作家の娘なんや

       なって実感してる。


亜矢子    妹ね。


詩織     妹か。‥‥慣れないこと言おうとしてテンパってるわ


亜矢子   (笑う)


詩織    (笑う)


亜矢子    泣いたりしてごめん。昼休みから、練習中もなんかもうずっと泣きそ

       うで、公共の場じゃ話す勇気が出なかった。


詩織     そうだと思った。ナイス判断。


亜矢子    うん。


詩織     うん。


亜矢子    詩織。


詩織     うん。


亜矢子    タスキね、任せて。必ず世界に連れて行ってあげる。


詩織     は〜、頼もしいね。


亜矢子    うん。私、これからの選手人生は、詩織の分も、二人分の夢を連れ

       て、一緒に走るから。


詩織     かっこいい。


亜矢子    でしょ。親友がね、児童文学作家の娘なの。


詩織     妹な。


亜矢子    妹か。


詩織     ‥‥ありがとう。あと、心から、おめでとう。


亜矢子    ありがとう。‥‥春からの大学生活が今から楽しみ。


詩織     その前に、亜矢子は国体。


亜矢子    そうやった。‥‥あのね、詩織


詩織     何?


亜矢子    私、詩織の分も一生懸命頑張るから、詩織も、詩織もね。詩織のお母

       さんのこと、許してあげてーー‥‥



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