シーン2
香織 で、法的に効力を持ちそうな文面は残っとらんかったみたいやけん、
遺産はそのまま、法的手続きに則って、私たちに分配されることにな
ると思うって。手続き関連は、さっき話したので全部ね。まぁこれも
全部旦那からのまた聞きだから、何か足りないところもあったかもし
れないけど。
詩織 この遺書は?
香織 効力なし。遺言って残すのも大変なんやね。これはただのお手紙なん
やって。
詩織 遺言、何か書いてあったの?
香織 あー、正直、申し立てせないかんようなことは書いてなかった。私の
には、やけどね。‥‥詩織のも読んでみたら?
詩織 ‥‥。
香織 どーしたんよ。読まんと?
詩織 ‥‥後にする。何か書いてあったら、改めて連絡する。
香織 ふーん、まぁ、別にいいけど。変わっとらんね。子供の時から。
詩織 何が
香織 そういうの、一人で読むって言ってきかんかったよなーって。あん時
も、怪我した後の診断書とかさ。
詩織 ‥‥そんな昔のこと、よく覚えてますね。
香織 シナリオライターの性みたいな? 普段から人のことよく観察しとる
んよ
詩織 いらないでしょ、子供向けアニメのシナリオに、そんなスキル。
香織 失礼なー、子供ってのはねえ、一番ごまかしがきかない顧客なん
よ? 子供騙しなんてすぐにバレるんやから。
詩織 バレるって、どうバレるのよ。
香織 えーっとねぇ、人気が出ない。
詩織 ほお。
香織 そんなもんよ。というか、そもそも私児童文学作家出身ですから?小
説家の先生ですから?
詩織 そこからシナリオライターに転職して家業にされてるんですもんね。
はいはいすごいすごい。そんで裁判官の優秀な旦那さんもらって。言
うことなしですねー。
香織 定期的な転勤さえなければ言うことなしなんやけどなー。インターネ
ットが発達してくれてよかったよ。これがなきゃ今地方でライターな
んてできないよ。あのまま地元の保育園で、保育士続けてたかもね。
詩織 昔から文章書くのお上手でしたもんね。読書感想文とか。言うことな
しの自慢の姉ですよ。‥‥そういえばさ、子供、できたんでしょ?
香織 えっ
詩織 フェイスブックで見た。‥‥良かったね。おめでとう。
香織 ‥‥うん。
詩織 あーあ。本当に言うことなし。昔から比べられて、いい迷惑ですよ。
香織 詩織はその分運動ができたやん。国体まで行けるとか、すごいと思う
よ? 私は運動はからっきしだめだったからさ。感謝しなよ〜、私が
生まれる時お母さんの腹に力を置いてきてあげたんやけんね!
詩織 (笑いながら)何それ
香織 だから、しぃちゃんは私としいちゃんと、二人分の運動神経を持って
して生まれてきとうと!
詩織 (笑って)文系脳って面白いね。私なんかスポーツ科学科なんかいっ
ちゃったから、そんなの絶対思いつかないわ。
香織 スポーツを科学する?
詩織 そう。
香織 ‥‥今も、陸上やってた頃の友達とか、連絡とったりするん?
詩織 するよ。あ、お姉ちゃん知らない? 亜矢子。あいつ今、五輪の強化
選手なんだよ
香織 亜矢子ちゃんって、うちにたまに泊まりに来よった子?
詩織 そう! 私と高校一緒で、陸上推薦でうちの大学入った子。卒業して
からも実業団で頑張ってて、マメに連絡くれるんだ。
香織 ‥‥。
詩織 亜矢子、すごい恥ずかしいこと言うところあってさ。私の夢もね、一
緒に走ってくれてるんだって。まぁ? 作家先生にはご満足いただけ
ない典型的な?ベタ〜な展開かもしれないけど?
香織 そんなこと一言も言うてないでしょうが。
詩織 でも恥ずかしくない? 詩織の分も頑張るけんね! とか平気で言う
の。博多弁全開で。一緒のタイミングで上京してるのに、あいつなん
で方言抜けないんだろ。
香織 気持ちの問題っちゃない。
詩織 気持ち?
香織 あんたは、忘れようとしよるやん。福岡っていうか、あの家を。
詩織 ‥‥。家といえば、あの家どうすんの、結局。
香織 さぁ、どうしたもんかね。今はとりあえず私たち夫婦が住んどるけ
ど。お母さんが入院したタイミングで引っ越したんよ。旦那も今はあ
の家から通えるからいいけど、転勤ってなったら、いよいよ考えんと
ねぇ。
詩織 ‥‥。
香織 私はなんだかんだあの家好きやけん、売りたくないんやけどなぁ。
詩織(ナレ) あの家に思い出がないわけではない。思い出したくないものがほんの
少し多いだけで、あんなに振り切って、捨て去るようにして東京に出
た私にだって実は、心のかけらみたいな、破片くらいちっちゃなもの
を、あの家に残しているのかもしれない。二階建ての、何てことはな
い庭付きの一軒家。父と母、姉と私。四人の人間が家族として暮らし
ていた場所。父が死んで三人暮らしとなり、姉が結婚し家を出て行き
二人暮らしとなり。最後は母だけ残して、みんないなくなった場所。
香織 売っちゃったらさ、なんかもう、いよいよ終わりな感じがするよね。
詩織 終わりって?
香織 おわり。絵本の最後によくあるじゃん。あれみたいにさ、終わるの。
詩織 ‥‥。
香織 (コーヒーをすする)おおう、すっかり冷めちゃった。美味しかった
ね、ケーキ。よく買うん?
詩織 いや、買ったことない。
香織 えー! もったいない。あんなに美味しいケーキ屋さんが身近にある
というのに。本当食べ物に対して無頓着だよね。元スポーツ選手とは
思えない。
詩織 関係ないから。そういうの。知識があっても頭でっかちになったら走
りにくいし。
香織 ふーん、そういうもんですか。
詩織 それに、もう選手じゃないから、いいんだよ。
香織 ‥‥。
詩織 お姉ちゃんの運動神経、お腹において来る必要なんてなかったんだ
よ。どうせ、駄目になるんだから。
香織 なんか、ごめん。コーヒー、淹れ直そうか?
詩織 いい。というか、うちのコーヒーだし。うちの資産だし。
香織 ケチだなぁ〜
詩織 ケチで結構。話が済んだなら帰れば? うちから木更津、結構あると
思うけど。
香織 は〜、短気だね。お母さんにそっくり。
詩織 あの人にそっくりなんて言わないでよ!
香織 ‥‥あの人、なんて言わんであげてよ。確かに荒くれ者ではあったけ
ど、ちゃんと「お母さん」だったでしょ。
詩織 ‥‥。
香織 夕飯作るから、一緒に食べよう。そしたら、帰るから。
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