シーン1

SE      雨音


詩織(ナレ) 雨の日だった。東京ではここのところずっと雨が続いている。せっか

       く仕事が休みだというのに今日は何も予定がなくて、起きてカーテン

       を開けてからというもの、窓についた雨粒が下に流れていくのをじっ

       と見つめて、時間が過ぎるのを待っていた。最近はずっとこんな暮ら

       しだ。テレビもコンポもあるけれど、なんだか音を聞きたくなくて、

       無音の中でじっと過ごしている。外に出るのも気が滅入る。なんとい

       うか、いろいろと「終わってんなー」と思うこともあるけれど、お腹

       が空いたと思ったらお湯を沸かして、インスタント麺をぶちこんで、

       使ってしまった最低限の食器を洗って、使ってしまた最低限の衣類も

       洗って、部屋に干す。こういう、自分一人だけの世界を運営している

       と実感出来る家事は好きで、やっていてとても満足できる。一人暮ら

       しを始めて5年目。家事自体は実家で暮らしていた時もよくやってい

       たけれど、あの頃よりも、ずっと満足感があるから、やっぱり私は一

       人が好きなんだと思う。


SE      チャイムの音


詩織     はーい


詩織(ナレ) いつも通りの休日が、いつも通り過ぎていくんだと思っていた矢先、

       彼女は突然やってきた。


詩織     お姉ちゃん。


香織     えへ。来ちゃった〜。


詩織     来ちゃったって‥‥


香織     入るよー


詩織     ちょ、ちょっと‥‥


SE      ドアが閉まる音。足音。


詩織(ナレ) 姉の香織だった。地元福岡に今も住んでいて、シナリオライターをし

       ている。会うのは4年ぶりだった。

香織     いやー、すごい雨やね。ずっとこうと?


詩織     そうだけど‥‥


香織     あ、冷蔵庫借りるね。色々持って来ちゃったからさー


詩織     持って来ちゃったて‥‥いつまでいるつもり?


香織     (笑って)そんなに長居しませんよ。夕飯食べたら夜のうちに旦那の

       実家に帰るから、ご心配なく。お土産とか買ってきたの! ステレオ

       タイプに明太子とか。


詩織     ふーん、そりゃどうも。タカヒロさんの実家って‥‥千葉だっけ


香織     そう、木更津。チーバくんのお腹のあたりやね


詩織     知らないけどさ‥‥


香織     うわ〜、インスタントの袋ばっかりやん。やっぱりロクなもん食べて

       なかったんやねー、想像通り。


詩織     ちょっと、ゴミ箱勝手に漁るのやめてよ!


香織     漁ってないよ悪趣味な。あんたが昼に作ったもの片づけてないんでし

       ょ。そう、駅前のところでケーキ買ってきたけんさ、お茶いれよう、

       お茶! 何かある?


詩織     コーヒーならあるけど‥‥あ〜もう、突然やってきてずうずうしいな

       ぁ


香織     いーじゃん。せっかく久々に会いに来たんだからさ。多少お姉ちゃん

       をもてなしてくださいよ。


詩織     ‥‥何しに来たの


香織     ‥‥


詩織     ‥‥だって突然すぎるじゃん。連絡もなしに。


香織     ‥‥(ため息)そりゃあね、大事な話よ。


SE      ごそごそ音


香織     これ、お母さんから。


詩織     何これ。


香織     ‥‥遺書。


詩織     ‥‥


香織     他にも‥色々? 遺産相続の話とか、そういうめんどくさいのを片付

       けに来た。


詩織     ‥‥なんで


香織     なんでって。あんたの連絡先知っとうの私だけやもん。しょうがない

       やん


詩織     え、しょ‥‥ちが、そうじゃなくてさ。なんで? お葬式は?


香織     してない。あげないでくださいって、私のに書いてあるし。‥‥一枚

       ずつね、あんの。娘一人ずつ。


詩織     (動揺する息遣い)‥‥なんでもっと早く連絡しなかったの。‥‥事

       故とか、即死?


香織     病気。中央病院に入院してて。三ヶ月目くらいかな。


詩織     そんなの‥‥そんなの、聞いてない


香織     そうやろうね。言っとらんもん。連絡先もわからんように遮断して

       さ。私がかろうじて知っとるだけで、他の親戚はあんたに連絡しよう

       もないし。


詩織     じゃあ香織が伝えてくれたらよかったやん!


香織     (語気を荒げて)連絡したところで、あんたが病院に行ったと?


詩織     それは‥‥


香織     ね、しょうがないでしょ。


詩織     ‥‥。


香織    (ため息)


詩織     色々、まかせっきりになっちゃってごめん。やらなきゃいけないこ

       と、たくさんあったんでしょ


香織     いいえ。こっちも勝手に筋書き引いちゃってごめんなさい。‥‥しょ

       うがないんよ。


詩織     死ぬんだ、あの人。


香織    (笑って)死ぬよ。確かに殺しても死ななそうな人ではあるけどね〜。

       だって、人間だもん。あんたも、私も、みんないつかは死ぬでしょ。

       遅かれ早かれ。お父さんはちょっと早すぎだけどね。‥‥本当は私も

       いろいろあってさ、それで、こっち来てて。で、ちょうどいいから、

       あんたにも話しに来ようと思って。これも渡さなきゃいけなかった

       し。


SE     やかんの音


香織     お、沸いた。‥‥せっかく久しぶりに会ったんだからさ、昔話でもし

       ようよ。‥‥ね?モンブランと、ガトーショコラ。詩織はモンブラン

       ね。駅前のケーキ屋さん、秋の新作だそうですよ。


詩織     ‥‥。


香織     そういえば、お母さん、いつもモンブランだったね


詩織     ‥‥そうだっけ。忘れた。


香織     そうだよ。


詩織(ナレ) 本当は、覚えている。母が栗を好きで、特にモンブランには目がなか

       ったこと。姉が無類のチョコレート好きで、菓子類となるとそればか

       り食べていたことも。‥‥言葉が見つからなかった。悲しみがないわ

       けじゃない。弔う気持ちがないわけじゃない。でも、普通そうじゃな

       い、こんな感覚じゃないだろ、とか、父親が死んだ時とのこの違いは

       何なんだとか。昔から私の一歩も二歩も先を、飄々と、それこそにや

       にやして歩いていたような姉が、目の前に瞳に影を落として、私の奥

       の、もっと遠くを見つめているような顔をしている違和感だとか。ど

       うでもいいのかよくないのか、誰も決めてなんてくれない感情が泉の

       ように湧き出して、ただひとつだけ言えたのは、窓の外の雨の音なん

       てもうどうしたって聞こえそうにないということだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る