第35話
「……ッ」
僕は答えようがなかった。友人とは言えるかもしれないが、それにとどまらない感情を僕は抱いている。かといって、恋人などとはとても言えない。しかし、『友達以上恋人未満』などという中途半端な言い回しが通じるとは思えなかったし、そんなことをしたくもなかった。
「竹園家の姿勢については、今話した通りだ。君が何者であろうと、我々の家庭内の問題に口を挟む筋合いはない。分かったらすぐに帰りたまえ。車を一台、送迎に使わせてやってもいい」
カチン。
拳銃の撃鉄が鳴るような感覚が、僕の脳裏に木霊した。
しかし我ながら意外なことに、発砲はされなかった。代わりに僕の今までの緊張はどこかへ吹き飛んだ。
その場にざっと膝をつき、勢いそのままに、玄関前の舗装通路に額を押しつけた。
「な、何だ急に!?」
流石にこれには、両親共々面食らったらしい。
僕の胸中は、もはや何とも形容できなかった。怒りが溶岩のようにうねり、絶望にひたひたと苛まれ、それでも一抹の希望が微かな輝きを放っている。
もはやしっちゃかめっちゃかだ。
だが、この状況で何と口にすればいいのか、僕は一瞬でひらめいた。
「僕は、竹園エリさんの護衛係です!!」
数秒の間、周囲の時が止まったような錯覚に陥った。これが錯覚でないことを示すのは、春一番らしい強風が鼓膜を震わせる僅かな振動のみ。
すると、やっと我に返ったのか
「き、君、止めたまえ! こんなところで土下座など!」
父親が僕の腕を掴んだ。しかし僕はそれを振り払い、再び土下座に戻る。
それ以外、僕にできることは何もなかった。強いて言えば、世の理不尽さに心が折れて、こうして惨めな格好をしていることしかできなかった、と言った方がよいだろうか。
大人には、金がある。権力もある。そして、『こいつは自分の子供だ!』と言い張ることで、いくらでも他者の口を封じることができる。
事実、僕の口も封じられた状態だ。だが、それでも僕は、引き下がるわけにはいかなかった。エリのために。エリの自由と、笑顔のために。
「……仕方ない。おい、彼を駅までお送りしろ」
その言葉に、僕はがばっと顔を上げた。いつの間にそこにいたのか、肩幅の広い黒スーツの男性二人が、僕の両肩に手を載せるところだった。
振り払おうとしたけれど、相手の腕は万力のような力を有している。僕が暴れたところでどうにもならない。
「待って! まだ話は終わっていません!」
僕は必死に喉から言葉を押し出した。
「君は黙り込んだままだったろう!」
「言葉が思いつかなかっただけです! せめて、もう少しここにいさせてください!」
「駄目だ! 近所の目もある! 少しは人の迷惑というものを考えんか!」
「僕だって、あなた方の味方だ!」
その言葉に、父親は眉をひそめた。その様子を察して、黒スーツの男は二人共僕から手を離した。
「あなたはエリの父親だ。彼女を幸せにしたいと思っている。知っていましたか? 彼女がリストカットをしていることを?」
「な!?」
今度は父親が言葉を失う番だった。だがそのわきで、母親が手元をそわそわさせながら俯いている。
「そ、そうなのか?」
振り返った父親に向かい、母親はこくりと頷いた。
これで共通認識が広まった。語るなら今だ。
「エリはリストカットをしてしまうほど追いつめられていた。それは、あなた方両親が彼女に対して、あまりにも『負荷』をかけすぎたからだ。それを『愛情』という言葉ですり替えることによって」
「……」
「今のエリに必要なのは、心の余裕です。彼女だって遊びたいし、友達を作りたいし、恋だってしたいと思っている。両親とはいえ、そんなことにまで彼女に口出しする権利はないはずです」
「何が言いたい?」
僕は一度、あからさまに深呼吸して、
「僕はエリのことが好きです。そしてエリも、僕のことを好いてくれている。だからしばらくの間、エリをそっとしておいてあげてもらえませんか?」
すると、父親は急に冷めた表情になった。
先ほど『エリがリストカットをしている』という事実を告げられ動揺したものの、どうにか心を持ち直したようだ。
「君のことは調べさせてもらった。春島優希くん。君のお宅は裕福だし、世間からの人望もある。だが、その一人息子であるところの君は、随分と問題行動を起こしているようだな」
僕は俯いた。否定材料を見つけることができなかったのだ。
「結果、君は近所とはいえ、両親と別居。そんな問題児に、我々のエリを託せると思うか?」
「……何?」
『我々の』エリだって?
「子供は親の所有物じゃない! 立派な人間だ!」
「親になったこともない君に何が分かる!」
その瞬間、僕は自分の気力が一瞬にして萎えていくのを感じた。
そうだ。僕は『親』という立場の重さを知らない。大人などただの分からず屋だと、最初から決めてかかっていた。
それは紛れもなく、ぼくにとっての致命的な弱点だった。
『お前たちに子供の気持ちが分かるのか』と反論することもできただろう。だが、エリの両親だって、子供時代を経て生きてきたのだ。それにプラスして仕事や結婚といった人生行事をこなしてきたのだから、それに比べれば僕など本当にひよっ子なのだろう。
僕の身体が脱力したのを見て取ったのか、父親は
「ご理解いただけたようだな」
と一言。それから顎をしゃくって、僕を連れていくように黒スーツの男性に促した。
別れの言葉もなく、僕はエリの両親から隔絶されていく。来客用なのだろう、真っ黒に磨き上げられた高級車の後部座席に乗せられた僕。そんな僕に、もはや打つ手はないように思われた。
エリは最後に、僕と天体観測がしたいと言ってくれた。しかし、『せめてそれだけでも!』と懇願したところで、エリの両親は首を縦には振らないだろう。
タイムリミットは、あと二日。
明後日の夜には、エリは病院を出て両親と共に、新幹線で見知らぬ土地に行ってしまう。
僕にはもう、どうしようもなかった。
「エリ……」
僕は嗚咽を堪えきれず、しゃっくりを繰り返した。なんて無様なのだろう。なんて無力なのだろう。
――なんて悲しいことなのだろう。
帰宅した僕は、スマホを取り出してパタパタと文章を打ち始めた。ありのままの事実を、関係者に伝えておきたいと思ったのだ。
いや、嘘だ。単純に、自分の無力を嘆く僕を、慰めてほしかっただけだ。
送信相手は、石塚先生、嵐山先輩、風間先輩、そして順二。
僕はただ茫然としながら、返信を待つ。だが、誰からも返信はなかった。皆、呆れてものも言えないとでもいう考えなのだろうか。
「ふっ」
僕は自嘲的な笑みをこぼした。それだけでまた、涙が湧き出てきそうになる。
結局僕は、誰の応援も得られず、誰とも意思疎通が絶望的に下手なまま、恋い焦がれた女性一人を守ることすらできずに死んでいくのか。
ゆっくりと、自殺願望が顔をもたげてくる。自分の左手首を見ると、うっすらとではあるがリストカットの痕が見えた。だが、今の僕に死ぬだけの度胸はない。
「畜生!」
僕はベッドの上で反転し、拳を枕に叩きつけた。
※
翌日も僕は学校を休み、エリの病院へと向かった。
「あら、おはよう、優希くん」
何も知らされていないのか、エリは穏やかな笑みを向けてくる。
対する僕は、『どうかしたの?』と問いかけられて
「……いや」
と答えるのが精一杯だった。
急に足元が覚束なくなり、僕は入り口で立ち止まった。
「その……。会いたかった」
「?」
僕の神妙な顔つきに、エリは異状を察知したようだが、それでも笑みは絶やさなかった。
「病院に来てくれたら、いつでも会えるよ」
「でも退院してしまったらどうなるんだよ!?」
思わず声を荒げてしまった。
「君は、遠くに行ってしまうのに――」
俯いたまま、僕にはベッドそばに置かれた時計の秒針の音が、やたらと大きく聞こえた。
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