第20話
「……」
「優希くん、何か言ってよ」
鋭い言い方ではなかったけれど、エリの言葉は僕の心をえぐった。
今僕がしなければならないのは、エリに会話のキャッチボールの返球をすることだ。
しかし、何と答えればいいんだ? 正直に屋上のフェンスの件を打ち明けるのか? でもそうしたら、僕が、エリの言うところの『低俗な』暴力行為に走ってしまったことがバレる。
エリに嫌われてしまうかもしれない――。気まずく、重く、そして申し訳ないという気持ちが僕の脳裏に去来する。
「大丈夫?」
「えっと、あの……」
エリがそっと手を伸ばし、僕の学ランの袖に触れそうになった、その時だった。
「あれ? 優希くんかい?」
背後から聞こえた声に、僕はびくりと肩を震わせた。
振り返ると、隣のプレハブの影に順二が立っていた。備品を運びに来た時に、僕の声を聞きつけたのだろう。
「こんなところにどうして……って、エリさん?」
「あ、小河くん! こんにちは」
さっきまで会っていたにも関わらず、エリは相変わらず丁寧なお辞儀をする。
それを見て、順二はあからさまに顔を赤らめた。
もちろん、突然意中の人と予期せぬ場所で出会ったら、驚きもあるだろう。しかし場所が場所だ。これでは、僕がエリに告白を試みているように見えるじゃないか。
まあ、『恋愛に限らない』広義の意味では、確かに告白をしかけていたのだけれど。
「どうしたの、小河くん?」
「あー、いや、何でもないんだ、ごめん、お、お邪魔しました!!」
「っておい順二!!」
僕が引き止める間もなく、順二は練習場所へと駆け戻っていってしまった。
「小河くん、どうしたんだろう?」
「ああ、あんまり気にしなくていいよ。僕の方から話はつけておくから」
何とか順二の勘違いを解かなければ。後で電話しよう。
しかしエリは納得がいかない様子で、
「ところで、さっきの話の続きだけど、どうかしたの? 優希くん」
「あの、それは……」
まずい。話を戻されてしまった。やはり真実を――僕のやったことを正直に告白するしかないのか?
と、その時だった。
「あれ? 今日は練習ないんすか、先輩?」
とのクラスメートの声がした。プレハブの正面、つまり僕たちがいる反対側から歩いてくる。ぞろぞろと足音がするところを見るに、サッカー部の面々らしい。
クラスメートに返答する形で、『先輩』と呼ばれた生徒は『ああ』と答えた。
「監督の先生がいないと活動できないだろ? 今日は森谷先生が休みらしいんだ」
「ふーん。なんか新学期始まったばっかりなのに、拍子抜けっすね」
「まあまあ、一年生はまだ慣れずに疲れているようだし、ちょうどいいだろ」
施錠の外される金属音。プレハブのドアが開く軋む音。大人数がプレハブに入っていく足音。
その外壁一枚隔てたところに、僕とエリは立っている。このままでは、また誰かに見つかってしまう。
「ごめんエリさん、一旦先輩たちのところに戻ろう。エリさん、先に」
「えっ? どうしたの?」
どうやらエリは、先ほど順二が状況を誤解してしまったことに気づいていない、というかそれを察していないらしい。
「事情は後で話すよ。でも、取り敢えず僕たちはここを離れた方がいい」
「ふうん?」
「僕はサッカー部の友達に用事があるから、エリさんは先に戻ってて」
「うん」
完全に納得しきった様子ではなかったが、エリは僕の指示に従ってくれた。誰の注目を浴びることもなく歩み去るエリ。僕はその背中をじっと見つめながら、よく分からない感情が胸の奥で疼くのを感じた。
一応、屋上で僕が暴力行為に走ったということは秘密にできた。それに、そもそもの目的だった『エリの意志』を確かめることもできた。エリが天文部での活動をどう思っているのか、ということを。
石塚先生の勧めがあったとはいえ、強制されて無理やり入部させられたのでなければ安心だ。
逆に、もし黒幕がいてエリに負荷をかけているのだとしたら、僕は絶対にそいつを許さない。
その時、校内放送を告げるチャイムが鳴った。
《生徒の呼び出しをします。三年A組、風間京子さん、二年B組、竹園エリさん。至急職員室へ来てください。繰り返します――》
何だろう。風間先輩とエリの共通点と言えば、二人とも天文部に所属しているということだが。僕は再度、二人の名前が読み上げられた時点で、サッカー部のプレハブの影を後にした。
何とはなしに、ボランティア部のプレハブ前に戻った僕は、
「おう、結構時間がかかったじゃねえか」
「嵐山先輩、一応口が利ける状態ではあるんですね」
「まあな」
嵐山先輩は、何とも妙な格好で僕を迎えた。
プレハブ横の桜の木。その最も太い枝に、逆さのUの字を描くようにぶら下がっていた。否、まるで洗濯物のように干されていた。
「大丈夫ですか? まあ、この前よりはマシに見えますけど」
「この前っていつだ?」
「木の幹に抱きつきながら、えんえん泣いてた時です」
「抱きついてた、っていうか、京子に足で押さえつけられてたんだがな」
「そうですか」
全く、この人は苦労人なのかマゾなのか、判断に苦しむ。両方なのかもしれないけれど。
しかし、
「よっと」
思いの外身軽に、嵐山先輩は着地した。
「ちょっくら俺の話、聞いてもらえるか?」
「はあ」
気の抜けた返事。しかし、僕の冷めた態度には頓着せずに、先輩は近くのベンチへと僕をいざなった。
「取り敢えず、状況の整理から始めるか」
先輩は右手の拳を左の掌に打ちつけた。
「お前の病気を知ってるのは、俺と京子とエリちゃん、それにお前の親友が一人と清美ちゃんだな? 学校関係者で言えば」
「そうですね」
「昨日の一件……。屋上のフェンス事件は、エリちゃんには教えたのか?」
僕は無言で首を左右に振った。
「なるほど」
すると先輩は、うーむ、と唸りながら髭のない顎に手を遣った。
「一つ進言したいんだが、キレないで聞いてくれるか?」
「ええ、まあ。今は落ち着いてますんで」
そうか、と言ってため息をついてから、先輩は僕に顔を向けた。
「エリちゃんにはあんまり近づくな。お前の身が心配だ」
「何ですって!?」
「おおっと!」
僕は思わず立ち上がっていた。
「待て待て! そうカッカすんな、本題はこっからだ」
先輩は両の掌をこちらに向け、『な?』と言って笑みを浮かべた。
僕は鼻息荒く、しかし自分も落ち着かねばと自覚していたので、すぐに腰を下ろした。
「俺の将来の夢、お前に話したっけ?」
「いえ」
短く答える僕に、先輩は
「心療内科医……カウンセラーだ」
「へえ?」
「何だよその『へえ?』ってのは!」
「いや、先輩が三年生の中でもトップクラスの優等生だということは知ってますけど」
まさか医学部の、それも心理学的な領域を狙っていたとは初耳だった。
「まあいい、とにかく俺は心療内科医になりたいんだ。俺自身、中学の頃にはだいぶ先生には世話になったからな」
この『先生』とは、嵐山先輩を担当した心療内科のドクターのことだろう。
「あの頃の俺は随分やんちゃしてたからな。お前の病気とは方向性は違うが……。一つ、印象的な言葉がある」
神妙な先輩の口調に、僕はふっと顔を向けた。すると先輩も僕と目を合わせ、
「俺が言われたのは、『自分と同じ病気の人間の相手はするな』だ」
「自分と同じ……?」
大きく頷く先輩。
「精神疾患ってのは、当然感染はしない。患者の脳味噌の中のトラブルだからな。だが、もし自分が疾患を持っていて、それで相手も同じ疾患を訴えかけてきたらどうなる?」
「……傷口に塩を塗られるような感じ、ですか」
「ビンゴ」
先輩はパチン、と指を鳴らした。
「負のスパイラルに突入しちまうわけだ。『俺だって辛いんだ!』ってことになるからな」
僕はこくこくと頷きながら、顔を前方に戻した。
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