第13話

「おい春島、何かあったのか?」

「突然どうしたんだよ?」

「先生は気にするなって言ってたけど……」


 僕は教室に戻るなり、クラスメートたちに包囲されてしまった。彼らの目には、好奇心と心配の念の両方が垣間見える。


「えっと、大丈夫だよ」

「竹園さんがどうかしたのか?」

「あ、え?」


 しまった。僕が無理やりエリを連れ出したことについて、言い訳を考えていなかった。


「その、竹園さんは……」


 ぼくはごくり、と唾を飲んだ。ここでエリが精神的な病を抱えていることを暴露するわけにはいかない。しかし気の利いた冗談を言える状況もない。

 どうする……?


「おーい、春島!」


 振り返ると、


「あ、石塚先生……」

「もうすぐ二時間目だぞー。皆席に戻れー」


 石塚先生は僕の手を握り、ぐいっと引いて廊下に連れ出した。

 するとちょうどいいことに、次の時間の先生が廊下で待機していた。同時に鳴り響くチャイム。石塚先生と次の先生は、目配せをして頷き合った。


 二時間目の号令がかかる。どうやら僕は、返答に窮していた状況から解放されたらしい。

 しかし石塚先生は、ずっと僕の手を離そうとしない。


「ちょ、先生?」

「すぐに終わる。職員室まで来てくれ」


         ※


「本っ当に申し訳なかった!」


 先生は自分のデスクに着くなり、両手を合わせて僕に頭を下げた。


「ちゃんとあたしが確認すべきだったんだ。今朝、竹園がちゃんと薬を飲んできたかどうか」

「あ、はい……」

「危ないところだったんじゃないか? 保健の先生から聞いたよ」


 先生は、今エリが保健室で休んでいることまで承知しているようだ。

 

「春島、こんなことは絶対起きないと信じてはいるが……。もしこの件でお前が嫌がらせを受けるようなことがあったら、すぐに報告してくれ」

「分かりました」


 そう答えつつも、僕は眉根に皺を寄せた。


「でも、それは先生の杞憂だと思います。僕だって、自分が内気であまり人との交流が得意でないことは自覚していますから。それでも今までいじめに遭ったことはありません。これからも大丈夫だと思いますが」

「もし万が一、万が一の話だ」


 先生は僕の目を見上げながら、


「いつでも相談に乗る。どんな理由にせよ、担任としては守らなければならないんだ。春島のことも、竹園のことも。お前にとって負担になるなら、竹園の護衛はあたしが請け負う」


 その言葉に、僕は頭に血が上るのを感じた。顔が火照る。頭の中に、溶けた鉄を流し込まれたようだ。


「そうやって……」

「ん? どうした、春島?」

「あなたたちはいつもそうだ!!」


 僕の声が、職員室に響いた。適度なざわめきを含んでいた空気が一気に静まり返る。

 しかし僕は気にしない。気にする余裕などない。


「自分たちにはできるとか、お前に任せるとか、勝手なことばかり言いやがって!! 僕たちが子供だからといって、何でもいいなりになるとでも思ってるのか? 勝手に信念を曲げさせても構わないと考えてるのか? 冗談じゃない!!」


 突然職員室の一角から響いた怒声に、誰もが言葉を失っていた。僕以外は。

 僕は自制することができず、一気にまくし立てた。


「石塚先生、あなたは知ってるはずだ。僕の病気のことを! だからこそ、エリを僕に任せると言った! 僕は思ったんだ、僕ならエリのことを守れるんじゃないかって! 彼女の助けになれるんじゃないかって! それなのに、二、三日様子見で後は自分に任せろって? ふざけるのもいい加減にしろよ、子供を何だと思ってるんだ! 僕らだって立派な人間だ!!」


 ダン、とデスクに拳を叩きつける。僕は肩で息をしながら、辺りを見回した。

 皆が僕に注目している。注目せずにはいられないといった雰囲気だ。

 僕は声のボリュームを落とし、


「竹園さんは僕が護衛を続けます。それじゃ」


 僕は振り返り、職員室を後にした。石塚先生の言葉を背中で弾き返しながら。


         ※


 僕はその足で屋上に向かった。まともに勉強できる気がしない。椅子に座っていることさえ窮屈。気が滅入る。パニックになりそうだ。吐き気まで催してきた。

 そんな思いを抱きながら、僕は廊下と階段を闊歩した。勢いに任せて、屋上へのドアを蹴り開ける。開けたドアは閉めろって? 知ったことか。

 

 怒りと混乱で狭まった視界で、僕は屋上を見渡した。誰もいない。安堵感と、八つ当たりができないもどかしさを覚える。


「はあ……」


 フェンスにもたれかかりながら、僕はため息をついた。随分深くて、長い吐息だ。


「畜生……」


 何に対して怒っているのか、自分でもよく分からない。しかし、つい先ほどまで思っていた『勤勉・健全な生徒』という肩書きをかなぐり捨てていたのは事実だ。

 僕はそのまま、フェンスの下の縁石に腰を下ろした。ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。


 これが僕の本性。他人の意見を否定し、自己主張を喚き散らし、躊躇いなく他人を傷つける。だが、その何が悪い? 人間誰だって、自分が一番可愛いと思うものじゃないか。違うのか? 


 僕はそばに小石が転がっているのを見つけた。何の変哲もない、ただの石だ。

 じっと見つめる。何だか分からない感情が、僕の視覚に対して命令を下している。この石を見つめろと。

 我ながら不意に、僕はその石を拾い上げた。勢いよく立ち上がり、何だか分からない雄叫びを上げながら石を放り投げる。

しかし、僕の貧弱な腕力では、石は反対側まで飛んでいかなかった。カツン、と軽い音を立てて石が屋上に落ちる。


「はあ……」


 僕はもう、何度目かも分からないため息をついた。

 再び足を投げ出すようにして座り込む。


 何度目のチャイムが鳴っただろうか。

 数学の小テストは返却されただろうか。

 誰かが僕を探してはいないだろうか。

 結局僕は、否、僕の本性はこういうものなのだろうか。


 誰かに助けてほしい。誰かを傷つけたい。誰かに殴りかかりたい。


 その『誰か』の姿が見えたのは、昼休みのチャイムが鳴って二、三分ほど経った時だった。

 階段から、何者かが屋上に駆けあがってくる音がする。その姿が見える前から、僕は顔を逸らし、シカトを決め込むつもりだった。

 しかし、僕に声をかけてきたのは意外な人物だった。


「ああ、やっぱりここにいたのね。優希くん」


 思わず僕の目が見開かれる。ゆっくり顔を上げると、


「風間先輩……」

「随分な騒ぎだったわね、さっきは」

「どうも」

「何が『どうも』よ。あの時あたし、職員室にいたんだからね? プリントを届けて、職員室を出ようとした時だったのよ」


 ふうん。意外な偶然があるものだな。僕は胸中で呟いた。

 風間先輩は『隣、いい?』と声をかけてくる。何もリアクションを取らないでいると、先輩は躊躇いなくすたすたと歩み寄ってきた。


「ほら」


 足元に転がされてきたもの。それは、一階の自販機にあったフルーツサイダーだった。

 僕がじっと見つめていると、


「いつまでおっかない顔してるのよ、優希くん」


 そばまで寄ってきた風間先輩は、僕のそばに腰を下ろした。カシュッ、とプルタブを空ける音と共に、コーヒーの香りが漂ってくる。

 僕は自分の缶ジュースを手に取り、右手に左手にと弄んだ。


「落ち着いた?」

「……」

「あたしのお弁当、食べる? 今は持ってきてないんでしょ? お腹空いてると、余計イライラするわよ」


 流石に人のお弁当を叩き落とすわけにはいかない。そのくらいの落ち着きは出てきていた、ということもできると思う。


「結構です」

「あら、そう」

「代わりに一つ、お聞きしたいんですが」

「何?」


 僕はふっと息を吸ってから、


「石塚清美先生……。どんな様子でしたか」


 直後、唐揚げを頬張っていた先輩の口が動きを止めた。

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