第7話

「え? ……あ、そ、そう……」


 僕はふっと、心配に駆られた。

 エリは、無防備すぎる。


 男子高校生なんて、女子に頼りにされたらそれだけで舞い上がってしまうものなのだ。

 僕は、恋愛経験が豊富だなんてとても言えたものではない。今のこの気持ちが恋心とは違うものであるとの自覚もある。でも、やはり異性に頼りにされるという事実は、僕の心に大きな影響を与えた。

 例えるなら、無味乾燥な砂漠を歩いていて、唐突にオアシスを見つけたような感じ。この『無味乾燥』とは、堂々とぼっちでいられるという意味だ。

 リア充に憧れも憎しみも抱かない。友達は一人、親友と言える人間がいれば十分。後は、読書に邪魔の入らない場所に机と椅子があれば問題なし。

 そんな僕の人生という地図に、何の前触れもなく現れた異性の同級生。それも、どうやら行き先は僕とそれほど離れてはいないらしい。


 決して悪いことではない、と僕は思った。精神疾患が原因であるとはいえ、こうして人の役に立てるというのは、とても新鮮な感動を伴うものだった。


「おい春島、聞いてるのか?」

「あっ、は、はい!」


 石塚先生にジト目で睨まれ、僕は慌てて意識を現実に引き戻した。


「帰国早々だが、竹園のご両親は別居することにしたそうだ。だからなるべく、竹園のフォローをしてやってほしい。分かったか、春島?」

「はあ」


 何? フォロー? 何をするべきなんだ?


「おいおい、何だ今の『はあ』って返事は? 私は真面目に話をしているんだぞ」

「すみません、先生」


 すると先生は、自分の膝に掌を打ちつけながら


「で、最初のお前の任務は、竹園を無事家まで送り届けることだ」


 なるほど。護衛任務か。


「分かりました。竹園さんの家の地図は?」

「いらん。本人に訊け」

「は?」


 すると先生は僕の脳天に軽いチョップを入れた。『軽い』といっても『石塚先生にしては』という補足は入るが。


「さっきからぼやぼやしすぎだぞ、春島! 陽気に頭をやられたんじゃないのか?」

「そうかもしれません」

「だったらもう一発、かましてやった方がいいのかな? 頭のネジが締まるかも」


 今度は握り拳を構える先生。この人の前では、どこまでが冗談で済むのか保証されないのが恐ろしいところだ。

 僕は両腕を先生に突き出し、ぶるぶると首を左右に振った。


「そう? それじゃ、竹園のアシスト、頼んだからな。用件終わり! 部活に行ってよろしい!」


 あ、そうか。今日から本格的に部活が始まるのだ。早ければ今日から天体観測をするかもしれない。


「竹園さんは今日も屋上に行く?」

「うん。私、空を見上げるのって好きだから」


 そう言えばそんなこと言ってたなあ。

 僕とエリは揃って石塚先生に礼をし、『失礼しましたー』と言って職員室を後にした。


         ※


「おっ、エリちゃ~ん! おはよう!」

「おは……あれ? こんにち、は……?」


 エリが困惑するのも無理はない。

 まず、挨拶だ。最近の高校生は、その日初めて出会った人には大抵『おはよう』と言う。昼でも夜でも構わずだ。

 が、それよりも問題なのは、突然挨拶してきたのが『謎の男』だったことによる。僕でさえ、


「あの、どちら様で?」


 と尋ねてしまった。


「アホ! 俺だよ、嵐山亮平だよ! 優希なら分かってくれると思ったのに……」

「え、ああ、どうも」


 すると、貯水タンクの階段の上から


「亮平のバーカバーカ! 調子こいて金髪オールバックになんかするからよ!」

「あ、風間先輩。おはようございます」

「おはよう、優希もエリちゃんも」


 風間先輩は即座に表情を変える。というか、嵐山先輩に顔を向ける時だけ殺気を帯びる。


「……ってあなた、よく見たら嵐山先輩ですね」

「よく見なくても気づけよ! 俺とお前の仲だろ?」


 嵐山先輩は強引に僕の肩に腕を回す。『ねえ、エリちゃん?』と声をかけることも忘れない。


「あの、私は……」


 俯きつつも、何とかエリが言葉を繋ごうとした次の瞬間、


「とうっ!」

「ぐへっ!」

「うわ!」


 いつの間にか背後に立っていた風間先輩。その軽い跳躍の後に放たれた回し蹴りは、見事に嵐山先輩の腰にめり込んだ。

 呆気なく転倒する嵐山先輩と、引っ張られて巻き添えを喰う僕。


「いてて……」


 嵐山先輩の腕を解き、立ち上がろうとしたその時、


「あ」


 いや、僕に罪はない。無罪なんだ。これは不可抗力なんだ。

 たとえ上目遣いになった僕の視界に、エリのパンツが入ってしまったとしても。


「優希くん、大丈夫?」


 膝をついて手を差し伸べるエリ。僕はその手を取ろうとして、


「!」


 鼻先に違和感を覚え、咄嗟に手を遣ると


「優希くん!? 顔ぶつけたの!?」


 エリが慌てて手を引っ込め、ハンカチを差し出す。しかし、僕はそれを制した。 顔を逸らすようにして自分のハンカチを取り出す。こんな破廉恥な理由で出た鼻血のせいで、エリのハンカチを汚すわけにはいかない。

 余談だが、水色だった。『何が』とはもはや言うまい。


「あっ、ごめーん優希! 巻き込んじゃったわね、怪我はない?」

「京子ぉ~、俺肝臓破裂した……」

「うっさい!」

「がはっ!」


 嵐山先輩は、思いっきり背中を風間先輩に踏みつけられた。

 風間先輩もエリも僕を心配してくれたけれど、それよりも僕は鼻血を見られないようにするのに必死だった。


 鼻をかむふりをしてその場を乗り切った僕は、


「で、先輩、今日はどんな活動をするんです?」

「そうね、天体観測にはまだ早いし……」

「園芸部のガーデニングでも手伝いますか?」

「あ、いい案ね。採用! ちょうど春だし、あたしたちも気合い入れていきましょ!」

「はーい。竹園さん、せっかくだけど、一度校庭まで下りるから」

「うん」


 素直に頷くエリ。ちなみに、嵐山先輩はずっと風間先輩に踏みにじられていた。


         ※


「じゃあ、天文部さんはグラウンド側のプランターをお願いします」

「分かりました」


 園芸部員と簡単な打ち合わせをした後、僕たちは校庭に出た。校舎に沿って植えていく役割だ。


「優希くん、竹園さん、倉庫から肥料持ってきてもらえる?」

「分かりました。こっちだよ、竹園さん」

「はい」


 並んで歩いていく僕とエリ。

 ふと、考えた。僕たちは、他人からはどう見られているのだろう?

 まさか恋人ではあるまい。友達、かな? まあ同じ部活のメンバーであるわけだし、その程度なら変な誤解を生むことはないだろう。

 

 ん? 誤解?

 僕は足を止めた。エリの長髪が目に入る。


 僕は誤解されることを望んでいるのだろうか。その……エリと恋人である、ということを?


「ないない、そんなわけないよな」

「ん? どうしたの、優希くん?」


 僕が腰に手を当てて俯いていると、エリが振り返って僕の顔を覗き込んできた。


「へ? ああ、何でもないよ! 何でも……」

「ふうん」


 大した違和感でもなかったのだろう、エリは僕と足並みを揃えて歩き出した。

 全く何を考えているんだ、僕は。


 僕たちはもう少し歩き、運動部の備品入れの前に立った。


「この倉庫が園芸部の備品入れになってるんだ。肥料は結構重いから、無理しないで――」

「やあ、優希くん、竹園さん」


 唐突に背後から声をかけられて、僕は振り返った。


「おう、順二。どうしたんだい?」

「ああ、今ちょうど陸上部の休憩時間なんだ」


 軽く息を切らしながら、にこやかに答える順二。さては、エリに声をかけたくて、機会を窺っていたな。


「今から肥料、運ぶんでしょ? 僕も手伝うよ」

「だって今、休憩中だろ? 悪いよ、順二」

「いいんだって! 早く鍵を開けてくれよ、優希くん」


 こうまで堂々と宣言されては、こちらとしても断る理由はないし、断りようがない。


「じゃあ、二袋頼むよ。竹園さん、持てそう?」

「うん、だいじょう……きゃっ!」


 やはり重すぎたのだろう、エリはふらっとバランスを崩し、転倒しかけた。

 次の瞬間、


「竹園さん!」


 順二が飛び出してエリを支えた――というより抱きとめた。

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