第4話
狭い店内を、エリは物珍しげに眺め回していた。飲料水のコーナーをじっと眺めている。
「竹園さん、どうかしたの?」
「いえ、温かいお茶の棚の横に、冷たいお酒の缶が並んでいるのがすごく不思議で」
確かに言われてみれば不思議だ。
特に、日本の自動販売機は優秀だと聞いた覚えがある。ホットとアイスを一台の機械で同時に販売できるのが評価されているらしい。それと同じ原理――かどうかは知らないが、このコンビニの棚も優秀なのだろう。
結局、僕は炭酸飲料を一本買った。エリは日本茶とおにぎりを一つ。
「それで間に合うのかい、竹園さん?」
「はい。私、あんまりお腹が減らないんです」
いつも一人で食べてるからかな、と呟くエリ。
ご両親は何をやっているのだろう? という疑問が浮かんだが、知り合って間もない人間が尋ねるべきことではないだろう。
「春島さんは、何か食べ物は買わないんですか?」
「あ、うん。お弁当持ってきたから。でも、敬語じゃなくていいよ。クラスメートだし」
「そうですか……じゃなくて、そうか、そうなんだ」
頑張って日本語を駆使しようとするエリの様子に、僕は微笑ましいものを感じた。
再び校門をくぐった僕とエリは、昇降口そばの階段に足をかけた。再び無言になってしまったが、今度は特に気まずいものではなかった。
三階まで上り、廊下を縦断する。窓から見下ろすと、陸上部が走り込みをやっているのが見えた。順二も頑張っているのだろう。
「さて、と……」
僕は最後の、屋上へ上がるための階段を見上げた。去年の三学期終業式以来だ。春休み中に補講はあったけれど、天文部の活動は行われていなかった。
久々に先輩の顔でも見れば落ち着くだろう。それに、石塚先生の勅命により、僕はエリを天文部員として連れ込まねばならない。
「先輩が二人いるんだけど、平気?」
「うん。春島くんが一緒なら」
その言葉に、僕は一瞬ドキリとした。
僕と一緒ならって……。僕はエリの恋人でもなければ救世主でもないのに。まあ、友達とは言える仲かもしれないけれど。
階段を上りきり、僕は錠の外れっ放しになっている屋上への扉を開けた。
「おっ! 優希じゃねえか! 久しぶりだなおい、ええ?」
「お疲れ様です、嵐山先輩」
屋上のフェンスに寄りかかって、チューブ式の栄養ドリンクを飲んでいたのは嵐山亮平先輩。もちろん三年生だ。
片手をズボンのポケットに突っ込み、学ランは、ホックはおろか第三ボタンまで外している。その内側には、ショッキングピンクに黒い髑髏のプリントされたシャツを着込んでいる。
一言で言えば、チャラいのだ。
だが、彼がよくご飯を奢ってくれたり、悩みごとを聞いてくれたりする真摯な人柄であることを、僕は十分に認識していた。
すると僕の背後から、ゆっくりとエリが顔を出す気配がした。
「あ、あの、先輩、さんですか……?」
「ぎえっ!」
嵐山先輩は目を丸くして後ずさった。
「何この美少女! え、君新入生? おい聞いてねえぞ優希! こんないい子連れてくるんだったら前もって連絡をしてだな、服装を選ぶ時間くらいくれよ! 君、何か飲む? 俺と間接キスできる栄養ドリンクならここに――」
「うっさいよこのスケベ野郎!」
まくし立てていた嵐山先輩の後頭部に、空のペットボトルが当たった。
「痛っ! 何しやがる風間!」
「何しやがる、ですって? 新入生をあんたの下心から救っただけよ」
「おー、痛えー」
冗談半分に屋上を転がり回る嵐山先輩を無視して、もう一人の先輩が歩み寄ってきた。
「亮平の馬鹿が失礼なことしちゃったわね。あたしは風間京子。二年生のクラスに転校生が来る、って噂は聞いていたけど、あなただったのね?」
ツインテールにきっちりと着込まれた制服、少しだけ短いスカートを纏った女子。去年の文化祭でミス二年生に輝いた美貌の持ち主、風間京子先輩だ。
同性の先輩を見つけて安堵したのか、エリは僕の隣に出て、
「二年B組の竹園エリです。あの……私たちは何を……?」
自己紹介しながら、エリは何をすべきか疑問の色を浮かべていた。
「あたしたちは天文部。いえ、同好会ね。三人しか部員がいないし。取り敢えず、夜にならないと天体観測も何もできないから、普段は屋上で駄弁ってるわね。時々、校内清掃係とか園芸部とかの手伝いをしてる。今はお弁当を食べていたところよ」
「私が今することはありますか?」
すると風間先輩は腕を組み、うーん、と唸ってから
「竹園さん、もうお昼ご飯は食べた?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、のんびりお食事しながら話しましょう」
にこやかにエリをいざなう風間先輩。
「僕はどうしますか?」
「そうね。優希くんはそこで転がってる変態に、適当に蹴りでも入れといて」
「分かりました」
「っておい優希! 分かるなよ!」
嵐山先輩はがばっと起き上がったが、
「ぐへ!」
風間先輩が投擲した二本目のペットボトルを受けて沈黙した。
それからしばらく、僕たちは各々好きなことをした。
僕は屋上の隅に置かれた机で読書を。
エリは自分のイギリスでの生活の話を。
風間先輩はそれに興味深く相槌を。
嵐山先輩は女性陣二人にちょっかいを。
そうこうするうちに、時間は午後四時となっていた。それまでの間に、嵐山先輩は少なくとも五回は昏倒させられていた。
「さて、今日はこのくらいにしておきましょうか」
掌を打ち合わせながら、風間先輩が言った。
「京子ぉ~、頼む、膝枕してくれよ~。こちとら怪我人だぞ~」
「うっさい! この変態! あたしたちはもう別れたんだから、あんたに膝枕なんてする義理はないっての!」
「あ」
その言葉に、僕は額に汗が滲むのを感じた。
そう、この二人、去年の冬あたりまでつき合っていたのだ。
それが唐突に、竹園エリという部外者に知られてしまった。
嵐山先輩がポカンとする一方、風間先輩は顔を真っ赤にして僕たちに背を向けた。
僕がはっとしてエリの方を見ると、彼女はよく状況を飲み込めていないようだった。
「別れたって? 先輩方、おつき合いしていらっしゃったんですか?」
僕は慌ててエリの方へ向かい、
「た、竹園さん、今のことは他言無用で……」
「何故?」
「何故って、そりゃあ……」
いや、普通分かるだろう。
「あの、竹園さん、日本では誰と誰がつき合ってたかとか、あんまり人前で言わないでほしいんだ。その、恥ずかしがる人もいるから」
「そうなの?」
ああ、やはりイギリスと日本では勝手が違うのか。
「あーもう! 亮平の馬鹿馬鹿馬鹿!!」
「お、おい! ペットボトルを投げるな! っていうかそんなにたくさん、どこにあったんだよ!? それに最初に口を滑らせたのはお前の方じゃねえか!!」
「知るかあ!! もう、この女たらし! 二股野郎! 三股野郎!」
僕は『ほらね?』と言いながら、エリの前で肩を竦めてみせた。
「つまり、こんな話を赤の他人にしちゃいけない、ってこと。先輩たちの様子を見れば分かるでしょ?」
エリは分かったような、分からないような、何とも言えない角度で首を傾げていたが、やがて
「春島くんがそう言うなら……」
と納得してくれたようだ。
僕はほっと胸を撫で下ろしつつ、
「竹園さん、これからも来てくれるかい?」
「うん。私もペットボトルをたくさん用意しておく」
「そういう意味じゃないよ!?」
僕は腰に手を当て、ため息をついた。
怒りと羞恥の塊となった風間先輩と、彼女に追い詰められ、うずくまっている嵐山先輩に向かって、
「じゃあ、お先に帰ります。お疲れ様です。竹園さんも」
と言って僕は歩み出した。
エリは何度か振り返りながら、僕の後について来た。
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