痛いの痛いの飛んで行け

いすみ 静江

ふう……

 白蓮はくれんは、ため息一つで済まそうとしていた。

「そうよ、すぎちゃん。バレンタインチョコを上げられないわ。お父さんにも」

 二月十四日である。

 昼休みに、杉ちゃんはティッシュと同じ感覚で配っていた。

「えー、もう小四だよ。誰にも上げないの?」

「将来結婚したい人、たった一人がいいの」

 複雑な面持ちで首を横に振った後、呟いた。

「お父さんに渡しても、快く受け取る訳がないわ。くだらないとかどうせ安物だろうと言われて、頭をぺんっされるし……」

 白蓮はそんな口と手の攻撃を胸の内でなかった事にしたかった。

 苦いチョコレートの日が、二月十四日であった。

 気持ちだけではなく、体も怠かった。


 その晩、四十度の熱を出した。

「インフルエンザA型ですね。薬をしっかりと飲んで、安静にしてください。栄養も摂りましょう」

 胡桃くるみ医師が目をやると、お母さんは、診察室にて目下スマホ依存中であった。

「はあ、はあ、はあ、分かりました」

「白蓮ちゃん、気になっていたのだけど、左頬が青紫と黄土色だよ。どうしたのかな?」

「何でもありません」

「もしかして、『DV』って言うのがあるのだけど、おうちで痛い思いをしてないかな?」

「な、何でもありません」

「そう……。相談してね」


「一級酒買って来い、かかあ。親父が田舎から来るんだ!」

「一級酒なんて、売っていませんよ」

 お母さんは、二千円しかないと無駄な抵抗をした。

「生意気言うんじゃない!」

 寝込んでいた白蓮を睨み付けた。

「何やってんだ! 病は気からだ、医者に行く金なんかねえよ」

「毎日、おまんま食べさせて貰っているだけでありがたく思え。俺が帰って来たら、三つ指ついてお出迎えしろって言っているだろう? お前らは、『餌』食ってんだよ!」

 散々がなり立てた後、酒を調達しに出て行った。

 外から、痰を道に投げ、罵声も聞こえた。

「馬鹿な人だと思いなさい」

 お母さんから、蔑視がありありと見えた。


 小6の秋、白蓮は、額を畳に擦りつけた。

高上こうがみ中学が校内暴力が激しいので、私立中学を受験させてください」

 顔が右と左が違う様になる迄、ビンタされた。

「グーじゃなくてパーなんだから、甘やかしているんだ」

 この時、お父さんには口がないのだと分かった。


 そして二月。

「志望校に合格しました」

 嬉々としつつも冷や冷やして伝えた。

「受かりやがって! 受かりやがって! 『餌』に余計に金掛けるな」

 足で床に頭を蹴り込まれ、そのまま踏みつけられた。

「許してください……。許して……」

 飽きたのか、お父さんは、しょんべんと言い残して行った。

 泣くにもすっかり空っぽで横になったままでいた所に、お母さんが一刺しした。

「お父さんは、パトロンだと思いなさい」

「お父さんは、私の父親だから、余り愚痴ばかり言わないでね」

「ええ! 白蓮の父親なの? 気が付かなかった」

 随分うっかりな反応にお母さんと言う人を哀しく思った。


 白蓮は、自分の存在意義を自己啓発で確認していた。複数の大学等に行かせて貰った。

「結婚したいと思っています。お付き合いしてください」

 大学生の時に、白蓮から、初の手作りバレンタインチョコを渡して告白した。

 緊張で汗ばんだ手を揉み、ハンカチで拭いた。

「俺からもお願いします」

 好きな人ができて幸せだった。

 お父さんが厳しかったお陰で、他の人は格段に優しく見えた。


 所が、結婚後のある日、夫が不機嫌だったのか、殴られてひっくり返っていたのを頭痛がすると起き上がったら、憎々しいらしくその勢いを蹴り倒されあざが大きくついた時もあった。


 白蓮は、ストレスのせいか喘息で病院に行った。

「負のスパイラルを断ち切りなさい」

 痣を見て竜胆りんどう医師は私に言い聞かせた。

「ふう……」

 ため息つけば済む事。



 ――ため息一つで流せる物語

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