【四章】少女と絵描き

決断

絵描きは少女の絵を描く


 四日目の朝。雨は、霧のような小雨に変わっていた。窓から見える景色に、ディータは溜め息を吐く。一体、この雨はいつになったら止むのだろうか。

 だが、雨が止まなくて安堵している気持ちも確かにあった。まだクリスにねだられた絵が描けていないから、というのもあるが。


「……これで、今日はまだこの屋敷に居られる」


 口に出してみれば、じんわりと胸に広がる暖かさ。そうだ。まだ、自分はこの屋敷に居られる。雨が降っているから、という大義名分が出来たのだ。

 ……それに、昨日ベルが言っていた。ディータが望むのならば、いつまでもこの屋敷に居て良いと。


「ずっと、死ぬまでこの屋敷に……」


 ディータにとっては、これ以上ない程に魅力的な申し出であった。ここに幸福は存在しない。血と魂を搾取され続ける。傍から見たら、狂っているようにしか見えないだろう。

 でも、それでも構わない。ディータは与えられた蜜と毒に、すっかり酔ってしまっていた。

 ずっと、ここに居られるのなら自分は何でも――


「ディータ」

「う、うわぁ!?」


 突然、背後から名前を呼ばれてディータは飛び上がるくらいに驚いた。自分でも恥ずかしくなるくらいに情けない悲鳴を上げながら、慌てて振り返る。聞き慣れない声は、クリスでもベルのものでもない。

 もっと幼い、少女のものだ。


「あ、せ……セシル、さん」

「……人を呼び出しておいて、化け物でも見たかのような反応ですね。残念ですが、私はクリスやベルとは違って人間ですよ。性別は異なりますが、あなたと同じ……ね」

「うう……す、すみません」


 自分よりも遥かに小柄な少女に向かって、ディータは頭を下げる。そうだった。今日こそはスケッチに付き合って貰おうと、彼女に声をかけていたのだった。

 忘れていたわけではなかったのだが。気を取り直して、セシルに椅子を勧める。何となく、不満そうな表情のままで腰を下ろす少女を改めて見つめる。

 食堂――八人掛けくらいの長机と椅子が几帳面に並べられているが、かなり長い間使われていないらしい。それどころか、クリスもベルも食事の必要が無い為にほとんど用の無い場所となってしまっているとのこと――のアンティークチェアに座るセシルは、人外二人とはまた違った美しさがある。

 少女らしい可憐さを保ちながらも、どこか邪悪な印象を与えるゴシックロリータ。屋敷とはもちろん、どことなく厭世的な彼女の雰囲気によく合っている。

 構図に満足すると、ディータも手近の椅子に座り早速スケッチを開始する。


「あの、セシルさんが着ている服ってゴシックロリータですよね? 凄く可愛いし、似合っていますけど……掃除とかする時は、汚したりしないんですか?」

「今はもう慣れました。正直に言うと、掃除の時くらいは着替えたいんですけどね。クリスの趣味で、私が着られる服はこういうものしかないんですよ」

「え、そうなんですか?」

「ええ。個人的には、もっとラクな服が好きです。ですが、餌である私には拒否権は無いので」


 しれっと言い放つセシル。餌、という言葉に思わずディータの肩が小さく跳ねた。そうだ、彼女はクリスとベルの餌だ。


「……二人の餌っていうことは、セシルさんはもしかして」

「ええ、定期的にあの二人に血と魂を提供しています。死なないように加減はされていますが、この身体はベルの魔法によって時を止められておりますので簡単には死なないと思います」

「時を止められて?」

「言い方を変えれば、不老不死なんです。ですが、あの二人が私に飽きればすぐに殺されるでしょう」


 淡々とした物言いに、思わずディータの手が止まる。彼女はまるで、機械のようだ。今まで言葉を交わしていても、何の感情も伝わって来ない。不老不死だとか、魔法だとか。そういうものには今更驚いたりしないが。

 ある意味、三人の中ではセシルが最も人から遠いように思ってしまう。


「あなたも、私のようになりたいのですか?」

「え……」


 セシルの蒼い瞳が、真っ直ぐにディータを見つめてくる。澄み切った空色に、まるで自分の胸中を全て見透かされてしまっているかのような錯覚を覚える。

 ……否、錯覚ではないかもしれない。


「あなたも、これまで生きてきた中で辛い仕打ちを受けたのですね。人間達の中で暮らすことに、嫌気がさしたのですね。でも、悪いことは言いません。止めておいた方が良いです。むしろ、一分でも早くこの屋敷から出るのが得策かと思います」

「な、何を言ってるんですか? おれは、ただ雨宿りさせて貰っているだけです!」

「そうですか。ですが、この雨はベルが意図的に降らせているものです。あの二人は、あなたのことを餌として気に入ってしまったようです。だから、あなたが自ら餌になると決断しない限り、この雨は止みません」


 セシルの言葉に、ディータは目を見開いた。まさか、悪魔だから天候まで自由自在だとでも言うのだろうか。

 ……否。今、更に重要視するべきことが他にもある。


「私のように……それって、どういう意味ですか?」

「そのままの意味ですよ。クリスに惑わされ、ベルに唆されて。あなたは、あなたが今持っているものをほとんど捨てて彼らの餌になろうとしている。でも、それで本当に良いのですか?」


 少女の声に、心が大きく揺さぶられているのがわかる。どうしてだろう。どうして、彼女の言葉でこんなにも動揺してしまうのだろうか。


「……こんな、どうしようもないおれでも、あの二人は求めてくれた。ここに居て良いと言ってくれた。必要としてくれる場所に居たいと思うのは、人間のさがじゃないですか」

「昨日、ベルに言われたそうですね。自分達の餌にならないか、と。でも、あなたはその場で返事を返さなかった。何故ですか?」

「それは、一生のことだし……じっくり考えてみようと――」

「即答出来ない時点で、あなたには人間として生きることに未練があるのですよ」


 端的に、セシルが言った。ハッと、ディータは思わず息を飲む。まるで、必死に隠していた秘め事が暴露されてしまったかのよう。

 言葉が出ないディータに、セシルは更に続ける。


「私は、生まれた瞬間に両親に捨てられて孤児院で育ちました。ですが、その孤児院も財政難で閉鎖され、居場所の無かった私を拾ってくれたのがあの二人です。私には、この身体と命以外は何も無かった。世界にしがみつく理由が無かった」

「セシルさん……」

「でも、あなたは違う。ディータには家族が居て、絵を描く技術がある。その技術で、世界に何かを残したいと思っている」


 セシルが椅子から立ち上がり、ディータに詰め寄る。鉛筆を握り締める手を、小さな両手が覆うようにして包み込む。

 何となく、青白い顔色。その理由は、言われなくてもわかってしまった。


「あなたにまで、私のようになって欲しくないのです。ディータは、私とは違う。この屋敷ではなく、世界で何かが出来る力を持っている。でも、このままでは本当にクリスとベルから逃げられなくなってしまう」

「で、でも……雨は降ったままだし、クリスさんと約束した絵もまだ描けていないのに」

「確かに雨は降っていますが、今日の雨は霧のようなもの。この辺りには、熊や狼などの危険な獣は居ません。足元にだけ気を付ければ、山を下りることは可能です。画材は湿気で使えなくなってしまうかもしれませんが、命に比べたら安いでしょう?」


 さあ、覚悟を決めてください。セシルが真っ直ぐに、ディータを見る。耳が痛くなる程の静寂を、しとしとと控え目な雨音が飾る。

 そうだ、自分のやるべきことは。ディータは歯を食いしばり、血を吐くような思いを抱えながら。覚悟を決めて、ゆっくりと頷いた。

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