少女は生きることを諦めた


「クリス……クリス、まだ寝ているんですか?」


 寝室の扉を開けて、セシルは静かに中へと入る。足音を忍ばせ、ベッドに潜り込んだままのクリスに声をかける。彼は今日一日、姿を見せていない。

 吸血鬼である彼が、たった一日だけ飲まず食わずで過ごしたところで簡単にくたばる筈がないとわかっているのだが。


「クリス……大丈夫、ですか?」


 ベッドに歩み寄って、再度声をかける。もしも、寝ているのがベルであったら。もしくは、ベルも一緒であったならばこんな行動には出ない。幼さを自覚しながらも、セシルはそこまで無知で愚かではない。

 そう、クリスだからこそ気に掛けているのだ。


「クリス……」


 返事がない。まだ寝ているのなら、そのまま部屋を出て朝まで様子を見ようと思っていた、刹那だった。

 氷のように冷え切った手が、セシルの腕を掴んだのは。


「っ!?」


 普段の穏やかな物腰からは想像出来ない程の、乱暴的な力で引き摺り込まれてしまうセシル。制止を求める隙すら許されなかった。背中を包み込むような柔らかな感触に、酔ってしまいそうな程に強い甘い香り。

 ニーハイソックスをずらし、パニエごとドレスのスカートを捲り上げる手。手は冷え切っているのに、肌を擽る舌はやけに熱い。

 煽情的な感覚に息を詰めたのも束の間で。突き立てられた牙に、セシルは小さく悲鳴を上げた。


「あっ……く、クリス……」

「ごめんね、セシルちゃん。文句はべるべるに言ってね」


 ようやく声を返したクリス。暗闇の中で、彼の美貌はよく見えないものの。掠れた声に、獣じみた光を宿す紅い双眸。白い肌に刻まれる痕。鮮血が滲む其処が、じくじくと熱を帯び始める。

 痛い。でも、痛い以外の感覚を覚えてしまったのはいつの頃だったか。吸血鬼であるクリスの術のせいか、それとも自分の性癖か。

 考えるだけ無駄だとわかったのは、どれくらい前のことだっただろうか。


「うぅ……クリス、脚は……脚は、嫌です。歩く度に痛い、ので」

「そう? セシルちゃん、ここ噛まれるの好きだと思ってた。これだけですっごく濡れて――」

「クリス」

「あはは、ごめんごめん。じゃあ、こっちにしよう」


 顔を上げたクリスが、セシルを見つめてにっこりと笑う。幾分温度の戻った指先が、胸元のリボンを解いてシャツのボタンを外していく。その行動に、彼女は抗ったりしない。

 ただ、彼がやりやすいようにするだけ。脚を開いて、覆い被さってくる吸血鬼の背に手を回す。


「うん、美味しそう」


 露になった胸元に、舌舐めずりをするクリス。膨らみかけたそこを指で擽られてしまえば、声を抑えることが出来ない。ああ、なんて浅ましい。

 彼は自分のことを、『餌』としか見ていないというのに。


「は、ぁ……クリス、クリス……」


 首筋に噛み付いてくるクリスの銀髪が、さらさらと頬を撫でてくる。痛みと共に、電流のような鋭い快感が幼い身体を犯す。痺れる指先で、正気を失わないように必死に彼の背中にしがみつく。そうでもしないと、言ってしまいそうだから。


 自分を好き勝手に扱う、この吸血鬼のことが好きだと。愛してしまっていると、思いを零してしまいそうになるから。


「うん、ありがとうセシルちゃん。ごちそうさま」


 そんな少女の思いも知らずに、クリスは顔を上げて綺麗な笑みを向けてくる。餌であるセシルに、クリスは吸血以外の行動はしてこない。

 セシルの思いを知っているのに。誰かに愛されたいくせに。彼は少女の思いに、応えようとしないのだ。


「……クリス、あの――」

「おう……クリス、随分元気そうじゃねぇか」


 零れ掛けた言葉は、扉が開く音に押し退けられてしまう。なんて間の悪い男、否……悪魔だ。心の中で毒づきながら、セシルは身を起こして乱されたシャツとスカートを直す。

 貧血で頭がふらふらする。怠惰な生活を送る二人だが、その中でも僅かに規則的とも呼べるような癖がある。クリスがセシルから吸血した後は、ベルもセシルの魂を齧りたくなるらしく。いつもこの日は覚悟しているのだが。

 今日は、違っていた。


「あれ、べるべるってばなんかご機嫌だねぇ? もしかして……つまみ食いでもしてきた?」

「……え」

「ああ。お前が気に入っていたあの絵描きがどんなもんか、気になってな」


 ベッドの縁に腰を下ろすベル。服を正す手が、思わず止ってしまう。そんなセシルの様子に気がついたのか、クリスが後ろから手を伸ばしてセシルの服を直し始めた。

 そして、まるでぬいぐるみでも扱うかのようにぎゅうっと抱き締めてくる。


「ちょっとー、あんまりイジメないであげてよね。ディータはボクのだよ」

「おいコラ、独り占めしてんじゃねぇぞ」

「……あの、ディータをいつまでこのお屋敷に居させるつもりなんですか?」


 咄嗟に、口を突いて出てしまった言葉。しまった、と思うものの二人は特に気にした様子は無く。

 顔を見合わせて、小さく笑い合った。


「いつまで……さあ? ずっと、かな」

「あの絵描きも、俺達と似たようなものみてぇだしな。退屈しのぎに、このまま餌として飼ってやっても良いだろう」

 

 くすくす。人外二人の悪巧みに、セシルの胸中は複雑に渦巻く。どくどくと跳ねる心臓と、窓を叩く雨音がやけに大きく聞こえるようだった。

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