絵描きは屋敷の絵を描く②
「おれ……才能は結構あったみたいなんすけど、それが鼻についたみたいで。絵筆を隠されたり、キャンバスを別の場所に置かれたり……そんな小さな嫌がらせを受けていたんです。誰がやったのかはわかりません、というより……恐らく、あの塾全員が共犯だった。仲間達が陰口いってるの、聞いちゃったんです。いつまで待ってても、誰も止めなかったんです。でも普段は皆、平気な顔して褒めてくれていたのに……あの言葉の裏には、嫉妬や嫌悪の感情があった」
だから、逃げた。嫌がらせを受けたから、ではない。外見だけを綺麗に取り繕って、裏で気が付かれないように本音を露わにする。そういう人間の浅はかさが嫌になったのだ。
疎ましいなら、腹立たしいのならば直接言えば良い。なぜそれが出来ないのか、そう思っている相手にすら良い顔をしておきたいのか。そうすることの意義は果たして何なのか。
人間が隠す裏の悪感情を見て見ぬフリ。そうしてあたかも人に賞賛され、『幸福』を得ているように振る舞うことに限界を感じたのだ。
「……ふうん、人間ってやっぱり大変だね」
「あ、すみません! こんな暗い話……不愉快でしたよね。家族……妹にも話したことなかったのに。あはは、聞かなかったことにしてください」
見つめてくる紅い瞳に、ディータは慌てて謝罪を口にした。突然屋敷に転がり込んだ、小汚い絵描きの過去なんかクリスは聞きたくないだろうに。
……でも、
「えー、そんなことないよ。これでもボクは昔、神父だったからね。よく人間達の悩みや懺悔を聞いてたんだから」
「そうなんですか、凄いですね……えっ、神父って――」
「ねえねえ、ディータは人物画は描かないの? このスケッチブックにあるの、景色とか物ばっかりだけど」
全て見終わったらしいスケッチブックから視線を上げて、クリスが首を傾げる。今、彼は自分のことを神父と言ったような……。確かに、着ている服はキャソックだが。
……深く聞かない方が良いだろうか。
「あー……いや、描きますよ。旅に出てから機会が無かっただけで、個人的には人物画の方が得意です」
ディータは首を横に振った。そういえば、最近人物の絵を描いていない。あんなことがあってから、人との関わりを無意識に避けてしまっていたからだろう。
だから、自分の口から出た言葉に、ディータ自身が驚いてしまった。
「そうだ、クリスさん。良ければモデルになってくれませんか?」
「え?」
「……あ、いや」
しまった、何を言っているんだろう。無償で着替えの服や部屋を借りているだけでなく、食事まで頂いてしまっているというのに。
「す、すみません! 今の、無かったことに――」
「あはっ! それ、良いね」
「……え」
「うん、描いてほしいな。ボクだけじゃなくて、べるべるとセシルちゃんの三人の絵を。きみと出会えた記念に、さ」
ディータの手に、クリスの手が重なる。白魚のような手は優しく、うっとりとする程に美しい。だが、やはり冷たい。
ずっと廊下に居るから、だろうか。ディータに付き合わせてしまったせいで、身体を冷えさせてしまったのかもしれない。
「今日はべるべるが居なくて暇だからね。何時間でも付き合うよ?」
「えっと……じゃあ、とりあえず場所を変えましょうか。クリスさん、凄く寒そうですし」
「寒い? ……ああ、そうかも。今日は寒い、かもね。雨が降ってるから」
クリスの冷たい手を取って、ディータは立ち上がる。モデルになって貰うならば、かなり長い間大人しくしていて貰わないといけない。
ならば、室内の方が良い。
「おれが貸してもらっている客室でも良いですか? 荷物も画材も、全部そこに置いてあるので」
「うん、良いよ」
にこにこと笑うクリスの手を引いて、ディータはその場を後にした。久し振りに、人物画が描ける! 自然と、心が高揚しているのを感じる。しかも、こんなに美しい人を。ここまで美しい屋敷と共に。頭の中には、そんな思いで満たされてしまっていた。
だから……廊下の死角から掃除道具を持ったゴシックロリータの少女が出てきたことにも、彼女が呟いた言葉にも、ディータは気が付くことが出来なかった。
「ああ、クリスの悪い癖が出てきましたね……まさか、彼もまた『餌』にする気なのでしょうか」
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