白日記 第2話 僕が将軍になった時の話
僕が白将軍に就任したのは、今から八年前、十七歳だった頃の話だ。それまでは僕の父が白将軍をしていた。
父は僕には厳しい人だった。僕は物心がつく前からいつも父に白将軍であるということはどういうことか考えさせられていた。それこそ、七つや八つの時には、僕はぼんやり、父が国王陛下に命をお預けしていたのと同様、僕もいつかハヴァース殿下のために死ぬんだな、と思っていたよ。
今思えば、変な子供だったと思う。いつも自分はどうやって死ぬのか考えている子供。
母はそんな僕を見て時々泣いた。僕は母がなぜ泣くのか分からなかった。それが当たり前だったからだ。
父のすることや言葉に何の疑問も持たなかった。僕は僕をそう育てた父を何とも思っていない。感謝もしていないし、恨んでもいない。すべてが当然のことだった。それも白将軍であるということの一つの形だ。
ただ、尊敬はちょっとしていたかな。僕が九歳の時、蒼宮殿にサータム帝国の間者が入り込んだことがあってね。父はそれを見つけ出して斬り伏せた。僕もそんなふうに王や王族の皆様をお守りしたいものだと思った。
父は途中で一つだけ失敗を犯した。白軍には学問的な意味での教養も必要だからということで、僕を貴族の子弟が通う普通の学校に通わせたんだ。
初めのうちは何とも思っていなかった。けれど、僕も体が成長するにつれて周りが見えるようになってしまったんだろう。十歳を過ぎた頃から、僕は普通ではないのではないかと――僕が当たり前だと思っていることは、周りのみんなにとっては当たり前のことではないのではないかと、考え始めてしまった。
それで、十二の時、父に直接言ってしまったんだね。どうして僕が白将軍にならなければならないの、他のみんなのようにいろんな将来を考えてはいけないの、と。
ぶん殴られたよ。
お前は白将軍になるのではない、白将軍であるんだ、と言われてしまった。
言われた時は訳が分からなかった。分からなかったけど逆らえない気がして納得したふりをした。
十四の頃軍学校に通いながら白軍に入隊した。
将軍になるまでは実力でやっていくように言われていた。入隊試験から受けさせられた。まあ、たぶん、副長が黙って入れてくれたんだろうけどね。以後は確かに他の新米と一緒くたで特別に位を貰ったりはしていない。
もちろん、小さい頃から王のために戦えるよう訓練されてきた僕と他の新米とでは、身のこなし方からものの考え方まで、何もかも違っていた。友達はできなかった。仕方のないことだ。
周りも困っただろうな、後には軍神として崇めなくてはならなくなる少年兵に、だよ、いったいどう接すればよかったのか。今となっては笑い話らしくて、たまにそんな話をする者がある。僕は苦笑しかできない。
僕が十七の時、陛下の即位十五周年を記念して式典が開かれた。この時、王と二人の王子が民衆の前にお出になり、手を振って笑顔を振りまいていらした。
二人の王子は、民にたいへんな人気があってね。聡明なハヴァース第一王子と、勇敢なセターレス第二王子――ハヴァース殿下は御年十六、セターレス殿下もその年のうちに十五歳になられ、心身ともに健康なまま成人なされた頃だ。特に若い女の子は、一目王子様がたを見たいがために広場に集ったものだよ。
両殿下はそのお人柄からたいへんな人気を得ていたけど、残念ながら陛下はそうではなかった。陛下は、さらに先の王にご幼少の頃からつらく当たられていたせいか、常に無気力状態でいらっしゃった。だから、あの時代のアルヤ王国は社会的に停滞していた、と言われている。そうであったからこそ、外国と戦争しなかったんだけれどね。それを不満に思う国民もいた。
ほら、王族は神の末裔と言っても、神であるのは『蒼き太陽』だから。髪の蒼くない王子は、そのおこぼれにあずかっているとさえ言われることがある。髪が蒼くないと風当たりが厳しくなるんだ。
その式典の最中だった。王子たちの熱狂的な支持者である少女たちの中から、一人の少女が出てきた。
彼女は刃を握っていた。
その刃の先は陛下に向いていた。
呆気なかった。
父は王を庇って刺されて死んだ。
サータム帝国の間者を斬り伏せた軍神白将軍が、国政を不満に思う何の訓練も受けていないアルヤ人の少女に刺されて死んでしまった。
運命とは不思議なものだね。
混乱した民衆が大騒ぎを始めた。
父は刺されてからしばらくは生きていたらしい。けれど、僕はその混乱を鎮めるために立ち回っていたから父の死に目には会わなかった。
会えなかったわけじゃない。同期兵はすぐに父上のところへ行けと言ってくれた。でも僕は行かなかった。仕事の方が大事だし、父が王を庇って死ぬのは当たり前の職務だから、そう騒ぐことではないと判断したんだ。
後から、副長から聞いた。父は、最期の最期まで、僕の名を呼んでいたらしい。父は副長に、ラシードに謝ってくれ、と言い残して息を引き取ったんだそうだ。僕は、父は僕に何について謝りたかったのか、今でも時々考えるよ。
父の葬儀は他の将軍たちの計らいで盛大に執り行われた。僕は喪主として参列した。でも父の死を悼むことはなかった。王を守る白将軍が不在だなんて大変なことだ。早くその穴を埋めないと。そしてそれは僕にしかできないんだ。そんなことばかり考えた。
葬儀から三日で白将軍に就任した。僕は神剣を抜く儀式を何の滞りもなく教えられたとおりに行なった。ただ、父が片時も離さなかった神剣を抜いた瞬間、父さんはもういないんだな、と思った。
それからしばらくは慌しかった。ただの兵士としての仕事とはまったく違うことをさせられた。どんなことをしていたのか――は、いいよね、毎日見ているでしょう。とにかく休んだ記憶はない。忙しかった。
いや、あえて忙しくしていたのかもしれない。白将軍であることはどういうことなのかを、考えたくなかったのかもしれない。それでも、僕はそれをひしひしと感じていた。
就任から何ヶ月過ぎた頃かな。ある朝のことだった。
いつもどおり仕事に行こうとしている僕に母がこんなことを言い出した。
「次の十五日、お仕事を半日で切り上げて帰ってこれるよう申請しておいてちょうだいよ」
僕は顔をしかめて「え、どうして?」と返した。父の命日は十五日ではない。特に仕事を休んでまでしなければならない用事はなかったはずだ。だいたい、母は、父が死のうが僕が将軍になろうが何も言わなかったんだよ。いまさら何だろうと思った。
母はにこにこ笑っていた。母の機嫌がこんなにいいところなど末の妹が初めて歩いた時以来見たことがなかった。
「実はね、良い
「良い娘? どういうこと?」
母が少女のように小さく楽しそうに笑った。
「嫌だわ、ラシード、分からないの?」
僕が首を傾げると、「あのね」と母が答えた。
「つまり、お見合いよ。あなたの花嫁に良さそうな娘をね、ようやく見つけたのよ」
僕は正直呆れた。そんなことを言っている場合ではない。白将軍の交代でごたごたしているのだ。それに、そんな個人的なことで仕事を休むなんてとんでもないと思った。
だが、目の前の母はいつになく楽しそうだ。嬉しそうなのだ。
いつもの、暗い、泣き出しそうな表情で僕を見ている母の姿を思い出した。
言えなかった。
「まあ……、とりあえず、副長に相談してみるよ」
どうせ副長はだめだと言ってくれるだろう。何せ、白軍は忙しいのだから。
そう、思っていたのに。
その日出勤してすぐ、白将軍のために設けられた執務室で副長にそれを伝えたら、
「ほお、それはそれはめでたいですな。理解あるお嬢さんだといいですなあ」
予想外の反応に、僕は唖然とした。まさかそんなに肯定的な返事をされるとは。
「婚姻の儀は白軍を挙げての盛大な式典にしましょうぞ」
「ちょっと、待ってください。そんな、能天気な。のんびり婚姻の儀なんて」
「おや」と副長が苦笑する。
「将軍はおいくつにおなりかな」
「十七になりました」
「では、まぁ、そろそろいい頃でしょう。十七にもなれば花嫁の一人も迎えるべきですよ」
彼は穏やかな声で言いながら、白い毛の混じり始めた顎ひげを撫でた。
「将軍は女性には興味がおありでない?」
女性どころか、王族以外に興味がなかった。当時の僕は、王族とエスファーナの警護の他に価値を感じられなかった。他の将軍たちに飲み会に誘われてもすべて断っていた。ずいぶんつまらないやつだと思われていたことだろう。
「女性はよいですよ。軍隊のようなところから女性のもとへ帰ると癒されるものです。私が家内を嫁に貰ったのはもう二十五年も前の話ですがね」
それを自分に置き換えて考えることができない。
副長は諦めず、勝手に「いいでしょう」と話を進めた。
「陛下や他の隊長には私が話を致しましょう。最近ずっと出仕なさっておいでだし、思い切って一日休まれてはどうか」
「一日って」
とんでもないと思った。白将軍として過ごさない日があるのだと思うと目眩がした。そんなことになったら僕は僕でなくなるような気さえした。
副長は譲らなかった。「それでよいですな」と言い、勝手に王への報告書の備考欄に僕の休暇の件を書き込み始めてしまった。僕はもう反論できないと判断し、「見回りに行ってきます」と告げて逃げるように執務室を出た。
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