ここではないどこかで。

歌音柚希

ここではないどこかで。

雪が降っている。木々が揺れていたから、マフラーをした。ごく当たり前のように。

外は寒かった。だから左手だけコートのポケットに入れた。ごく当たり前のように。

信号が赤で、歩道橋を使った。少しだけゆっくりと歩いた。ごく当たり前のように。

歩道橋で立ち止まった。世界は輝き、足跡がたくさんある。ごく当たり前のように。

行きつけのカフェに着いた。コーヒーの香りは変わらない。ごく当たり前のように。

カフェの店主は何も言わない。いつも頼むものを出すだけ。 ごく当たり前のように。


ただ少し違ったのは、それが一人分だったこと。


否応なしに突きつけられる現実。

マフラーが君とお揃いでも、右手をコートのポケットに入れなくても、わざわざ歩道橋を使っても、歩道橋で立ち止まって景色を眺めても、コーヒーの香りが変わらなくても、サンドイッチは一つしか出てこないし、コーヒーは一杯、一つの砂糖つき。僕はこの輝く世界に一人で取り残された。


サンドイッチをかじる。

美味しい、と目を閉じる姿が目に浮かぶ。

でもそれは現実ではない。

コーヒーに砂糖を溶かす。

ブラック飲めないなんて子供だね、と言う誰よりも無邪気な笑顔が目に浮かぶ。

やはりそれは現実ではない。

君はもういない。僕の隣には。


今僕が浮かべているものは過去の記憶。

おそらく人生で最も輝いていた時間だ。


その時間が輝きすぎたがために、僕はこの世界から逃れられない。明るさを知ってしまった。冷たい夜でも、誰かと歩けば温かくて、月明かりが美しいのだと知ってしまったから。君と歩いたこの街は、僕にとってかけがえのない存在だ。でもこの街には、足跡が、思い出が残っている。きっと消えないだろう。それは僕が君を忘れるときだから。


サンドイッチとコーヒーが無くなった。すると、無言でもう一杯のコーヒーが差し出される。砂糖無し。ブラックコーヒー。


一口飲む。苦かった。苦いのに、涙が出るほど美味しかった。


店主は何も言わない。

僕は、黙って泣いた。


店の扉を開けると、冷えた風が吹く。それでも雪は止んでいた。静寂のなかを、一人で黙々と歩く。その時間がこんなにも辛いと感じる心が恨めしい。


君は僕の太陽なんだろう。

僕は君のおかげで輝ける。


それでも、君はここにいない。輝かない僕。

ここではないどこかで、君は僕の知らない人と幸せに暮らしている。

幸せなら、それでいい。

そう思えるほどには成長した。

時間は傷を癒す。

でも。


過去は輝き、イルミネーションのように世界を覆う。


そのまばゆさに、僕は目を閉ざすしかないのだ。無性に寂しかった。寂しかった。


今日の月は雲に隠れて、月明かりは届かない。戻らない過去の美しさが辛い。




ただ、君を忘れたかった。









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ここではないどこかで。 歌音柚希 @utaneyuki

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