貼り紙

北海ハル

貼り紙

 ある日、会社をクビになった。

 理由は懇意にしていた会社との軋轢を生んだこと。シンプルで重大なミスだった。

 素直に自分の非を認め、そして素直にその命令を受け入れたのは、ひょっとしたら間違いだったのではないかと今になって思う。

 木曜、朝10時。

 普段であれば外勤に回っている時刻であろうが、今はただぼーっとリビングのソファに寝転がってテレビを観ている。

 これからどうしようか。

 失業保険は一応出てはいるが、そう長くは続かないだろう。

 だが今日はひとまず、久々の自分だけの時間を楽しむ事にした。


 俺は37にして未婚。恐らくこれからも縁に恵まれる事はないだろう。

 20代の頃は躍起になって合コンやらお見合いやらに出席したが、残念ながら全部パァだ。

 俺のような楽観主義の男を拾ってくれるような女性は1人もいなかった。

 今となっては1人の時間が楽しく、別に結婚できなくてもいいだろうと思うようになった。

 結婚するばかりが幸せじゃないだろう。そう────今のように!

 俺はソファの上でボンボンと跳ねる。そうだ、俺は今、この限られた自由な時間を自由に使うんだ。家族サービスなんかないんだ。

 ひゃっほぅ。

 もう一度跳ねてみる。ぐぅ、と腹が鳴った。

 朝食も兼ねて、昼飯を食う事にした。


 こんがりと焼けたトーストにマーガリンをたっぷりと塗りたくって頬張る。口の端にマーガリンの油が付いたが、どうせ後から顔を洗うのだ。気にしない。

 最後の一口をぱくりと口に放り込み、何の気なしにテレビのチャンネルを変える。

 変えたチャンネルの先では、何やら神妙な面持ちでニュースの文面を読むアナウンサーの顔が映し出されていた。

「……繰り返しお伝えしております通り、この数日間で小学校低学年の女子児童が行方不明になる事件が多発しております。行方不明となった主な現場の近くからお伝えします。〇〇さん。」

 パッと画面が切り替わる。スタジオのアナウンサーに呼ばれた現場のアナウンサーが「はい。」と返事をする。

 そして現場近くの光景に、俺は思わず「あっ」と声を上げた。ここは────会社の向かいのアパートじゃないか。

 俺のいた会社はそう大きなものではなかったので、集合住宅に囲まれた場所にあった。

 しかも、俺の家から歩いて3分。

 より神妙な面持ちで現場の様子を伝えるアナウンサーの声は、俺の耳には入っていなかった。


 俺はこの事件の真相を探るべく、近所を回って何か手掛かりがないかを確かめる事にした。

 小学生、しかも女子生徒だけが消えるなんて、おかしすぎる。

 さながらシャーロック・ホームズのようにズバリと真実を暴いてこの謎を解き明かしてみせよう。

 助手のワトソンは────失踪中。


「まず……現場近くって事はモロ現場ってわきゃないわな……。なら半径2キロに的を絞れば流石に分かるか……?」

 某有名私立大学を卒業した俺の頭は、久方ぶりに冴えている。

 スマートフォンの地図アプリを駆使し、探索範囲を2キロに絞る。

 時刻は14時。────18時が限度だろう。

 俺はスマートフォンを片手に家を飛び出した。


「とは言ったものの……。」

 素人に何か決定的なものが見つかるわけでもなく、十字路の真ん中に立ちながら2時間で捜査を打ち切ろうと考えていた。

 夕日が目に刺さる。眩しい。

 何だか現実を突き付けられているような気がして、不意に懐かしさのような寂しさのような感情が込み上げて来た。

 横からは帰宅時刻を迎えた小学生が固まりながらこちらへ歩いてくる。

 ────情けない。

 もう、こんな事はやめよう。明日からハローワークに行こう。

 そう決心し家へ帰ろうとした。

 そこへ不意に後ろから高い声がかかる。

「ねェ、おじさん。」

 俺のプライドが音を立てて粉々に砕け散る。

 そうか────小学生からすれば、37はおじさんだよな。

 もはや若い感情を捨てた俺は小学生に返す。

「ん?どうした?」

 見るとその小学生は随分と可愛らしい女の子だった。

 三つ編みの髪を横から下げたその子は少し躊躇いがちに「あのね」と続ける。

「そこの紙にね……」

 紙?

 俺は女の子の指さす先を見る。

 そこには何の変哲もない壁と────1枚の貼り紙があった。

 なんだありゃ。女の子に問う前に、先に問われる。

「なんて書いてあるか、読んでほしいの。」

 なるほど、そういう事か。

 俺は女の子に「ついておいで」と言い、その貼り紙の前に立つ。

 本当に、ただの紙だ。

 だが、書いてある内容はまるで理解できなかった。

 ────この貼り紙、読み上げるべからず?

 ────しかも、この先、通るな?

 何だこりゃ。この先で工事でもやっているのか?

 俺は迷った。伝えるべきだろうか。それとも───上の文章に準ずるべきだろうか。

 俺は少し迷いを残しつつ、女の子に言った。

「───おじさんにも、読めないや。」


 俺はその後何をする事もなく家に帰った。

 結局、女児失踪事件の手掛かりなど何も見つからなかった。

 なんだか一日を無駄にしたような気がしたが、どうしてもあの紙の事が頭に渦巻く。

 あの紙は、果たして何だったのだろう。


 翌日、忙しなくインターホンを鳴らす音で目が覚めた。

 時計を見ると朝の7時だった。俺は着替える事もせずドアを開けた。

 ドアの向こうには、あの昨日の女の子そっくりの女性がいた。

 だがその顔に生気はほとんどなかった。

 さらに、目の下のクマが目立つ。

 女性は少し申し訳なさそうな声で俺に尋ねる。

「すみませんこんな時間に……。あの、昨日……この子と一緒にいませんでしたか?」

 そう言って俺に一枚の写真を手渡す。

 そこには、あの女の子。

 これは────体が固まる。

「え、え、ええまあ、あの、あの、そこの十字路の、貼り、貼り紙の文字を、あの、読んでくれと、あの、頼まれて、あの。」

 口が上手く回らない。そして女性は怪訝そうな顔をして俺を見直す。

「貼り紙……?」

「え、えぇ、ええ。貼り紙です。ありましたでしょ?あそこに。」

 この近所の十字路は、あそこ一つ。そう言えば分かるはずだ。


 分かるはずだった。


「あの……何を言ってるんですか?貼り紙?」

 くそ、わけがわからない。

「あの!何なんですか一体!」

 少し怒った風になってしまった。

 そのせいか、女性は我慢の糸が切れたように泣き出す。

 そして一気に吐き出した。

「何よぉ……!貼り紙だなんて知らない!何を言ってるの……!?あなた、あなたなんでしょう!?私の大事な娘を、返してッ!!誰か!誰か来て!!」


 ────背筋が凍った。

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