雪降る夜の、物想い


やっぱり寝てしまっていたんだね…………と思いながら、私は末の息子を見つめた。

ここは、居間のような場所だ。

末の息子は卓子(といっても簡易的で持ち運びのできるものだが)に座ったまま、眠っていた。その卓子の上には、数本の巻物や紙束が転がっている。どうやら、勉強していた途中だったらしい。

遊牧生活は、家畜の世話で成り立っているようなものだ。

その家畜という生き物を相手にしている以上、その日その日によって寝る時間が変わってしまう。

夕餉を摂る時間もまた、不規則だ。

その後に勉強しようとすれば当然、かなり夜遅くまで起きていなければならない。

今日も、日中の作業に疲れて寝入ってしまったのだろう。

それが遊牧民の生業なりわいだから、仕方がないことであるけれども。

そんな末の息子を起こさぬように足音を消しながら、私はそっと近づいた。



私は末の息子の側にくると、少しだけ片付けを始めた。手に持つ手燭を置くために。

まず、何本か火がついていた燭台の火を消す。蝋燭は貴重品なのだ。

次に、卓子に転がっている巻物や紙束など万が一、火がついてしまったら燃えてしまうものを、手際よく葛籠の中にしまう。天幕が火事になったりでもしたら、大変なことだから。

それから、眠る息子に掛布を掛けてやった。

(ふぅ…………。これで、終わりかな……?)

私は、薄暗い天幕の中を見回した。

散らかっていたところ(息子の周り)は、全て小綺麗になっている。

我ながら、よく働いたものだ。


私はふと、末の息子の方を見た。

それにしても、良く寝ているな…………と思うほど、熟睡している。

なるべく物音を立てないように掃除をしたとはいえ、ここまで気がつかないとは。よほどぐっすりと眠っているのだろう。

そんな息子を起こさないように、私は卓子の向かい側の席に座った。



◆◇◆◇◆



私の末の息子は今年で数え十三になり、成人の儀を迎えた。

私の一族では、男女とも数え十三となったら成人の儀を行い、正式に一人前として認められ、また子どもからーーーー大人への仲間入りを果たす。

人生においていくつかある節目の一つだ。

しかし、別に成人の儀を終えたからと言っても、すぐに何かが変わることはさほどない。言うならば、服装と髪型が変わることくらい。

それでも皆、成人の儀を終えたら、凛々しい顔つきになっていくものだ。

それは、子どものものでもなく、かと言ってまだ大人のものでもないーーーーそんな、大人とも子どもとも言えない年頃の顔つきになる。

きっと、成人の儀とは子どもたちの精神的なものに、大きなものを与えるのだろう。

この息子のように。

私は微笑んだ。

それから、くしゃっと息子の髪を撫でる。

(そういえば、成人の儀を終えた頃からか、髪を撫でさせてもらえなくなったな………)

起きている時に髪を撫でようとすると、『子ども扱いしないでください!』と言われ、全力で阻止される。

それを少しだけ寂しいな………と思っていたので、私は満足した。

私にとって、やはりまだ息子は子どもなのだ。


私にはこの末の息子以外にも二人の息子がいるが、二人とも親である私の元を離れ、別々の生活を送っている。

それ故かーーーーこんな言い方をしてもいいのかわからないがーーーー今、私の手元に残っていたのは、この末の息子のみであった。


この末の息子も、いつかは妻を娶り、私の元を離れていくのだろう…………と思い。私はふと、寂しいと感じた。

それは、二人の娘の将来を考える時とは少しだけ違う気持ちであった。


いつかはこの息子も…………と、わかっている。

上の二人の息子を送り出した時と同じで、少しだけ違う、この気持ち。

きっと、世の中の父親は皆、同じ思いをするのだろうか。

そう思ってから、少し苦笑した。

父の顔すら覚えていない私に、分かるわけがないなと。

私は、ずれ落ちそうな掛布を、もう一度しっかり掛けてやる。

さあ、もうそろそろ私も寝ようか…………と思い。私は立ち上がった。右手に手燭を取る。

そうやって、自分の寝台へと歩き出そうとした時。


ヒュルルル


ヒュルルル


(………ん?)

風の音が、聞こえた。

それと同時に手燭の炎が、大きく揺れる。

冬の北風のように冷たい風が、通り過ぎた。



◆◇◆◇◆



風が通り過ぎた後。

私はしばらくの間、突っ立っていた。

はて、と首を傾げる。

(………まあ、気のせいか)

私は、そう思うことにした。

この天幕は、多少ボロ(?)が出てきているとは言え、丈夫なつくりになっている。

厳しい草原地帯を生き抜いてきた遊牧民の知恵が、この天幕にはたくさん詰まっているのだ。

だから、そう簡単には外気は入ってこない。

でも、もしかしたらまたどこかに穴が開いてしまったのかもしれない。

それでもまあいいか、と思い直した。

心なしか、風が笑っていたような気がしたので。


私は、見えぬ外の方を思い浮かべた。

今頃、外は一面雪景色だろう。

母なる草原に真っ白な雪化粧が施され、カレンの花(草原に咲く紅い花)が、べにのような花びらを散らす。

冬は厳しい季節なれど、その分、春の訪れがなんとも嬉しい。


でも、少し暖かい土が恋しいとも思った。

雪はそれほど嫌いではないが、そろそろ見飽きてきたような気がする。

私はこの地で少年期を過ごしていないから、余計にそう思ってしまうのかもしれない。

私は苦笑した。

人とは、自分や自分の周りにないものを、求めたり、憧れたりしてしまうものなのだな、と。

でも、少し外の世界に目を向けて見ても良い気がする。何故か。


そうだ、旅に出よう。

そう思った私は、旅の支度をすることにした。






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