在りし日に、君を憶う


私は、手燭を置いてから、卓子についた。

それから、卓子に置いてあった水差しと、掌に収まるくらいの大きさの碗を手に取る。

水を注ぎ、飲んだ後、私は一息、ふぅーと吐いた。

物思いに沈みながら。



◆◇◆◇◆



私の妻は、末の娘を産んでから産後の肥立ちが悪く、どんどん弱っていった。細く、青白くなっていく妻の姿は、未だに私の記憶の中で強く残っている。

男が子を産むことがどう頑張ってもできないように、私にできることはほとんどなかった。できたことと言えば、良い薬や医師くすしを連れてくることくらい。

日に日に弱っていくその姿に、私はただ、見ていることしかできなかった。


そうして、子どもたちや私の看病の甲斐もなく。

妻は………冬の日に。雪がはらはらと降る音を聞きながら…………………………………。


ーーーーーー逝った


春の訪れを見るとこともなく。ただ、哀しみと言いようもない喪失感を残して。

(ーーでも)

妻は、遺してくれた。大切な、子どもという存在を。

それは、何にも代え難いものだ。金や銀、ぎょくやはてまた百頭の羊や馬ーーーーと言った家畜にも。

そんな宝というべきものを、妻は五人も遺してくれたのだ。

このことは、私をもう一度立ち上がらせ、歩き出す力をくれた。

生きる希望を与えてくれた。


私はふと、元気だった頃の妻の姿を思い出す。

いつも、明るい笑顔を絶やさなかった人。困ったときは、一緒に考え、励ましてくれた人。小さな未来の出来事を当てる、不思議な力を持っていた人。

私が愛した妻は、そんな素敵な女の人だった。

それと同時に、夫婦喧嘩では一度も勝てなかったことも思い出して苦笑する。

(やっぱり、君には敵わないな……………)

夫婦喧嘩に…………ではなく、妻のすべてに。

同じ人間として、彼女は私の目標だったと。

今はもう、聞くことのできない彼女の声を思い出して。

感傷に浸っていた心に、そっと鍵をかけたら。

(さてと。末の息子の様子を見にいくか)

私はすくっと立ち上がる。

それから手燭を持ち、再び歩き出したのだった。

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