幽霊小説

幽霊小説「甘木さんの祭りのあと」

「生きながら葬られていく者の感覚が分かるか?」

 かつて甘木さんに言われた言葉を、私は思い出した。

 甘木さんの小説はマニアックだったので、ごく少数の熱狂的なマニアに買い支えられているのだと思い込んでいた。

 だが、実際は違っていた。

 甘木さんの小説はマニアックであるが故に、マニアから嫌われていた。

 しかし、一般人に好まれる内容でもなかった。

「マニアを自称する奴らは、手前勝手な美意識でてめえをマニアだと信じ込んでいる。だから、他人の美意識を嫌悪するんだ」

 そういうものだろうか。

 私も一応、マニアの部類に属していると思うが、甘木さんの小説を嫌悪するほどではない。

 好きか、と言われると返答に窮するが。

 彼との付き合いも、新人賞の同期だったことが発端で、それ以上でも以下でもない。

 より厳密に言えば、なのだが、彼は新人賞に応募すらしていなかった。

 何かの伝手で編集者に渡していた小説が、誰かの穴埋めとして「新人賞の選外」という但し書きで世に出たらしいのだが、その編集者は甘木さんを世に出したことを後悔していた。


 この世界は空気を読むことだけがすべてで、よっぽど実力が突出していない限りは、空気を読むことが上手い者が売れる。

 そういう風にできているのだが、甘木さんは空気を読まなかったのだ。

 いや、逆だ。

 異様に鋭敏な嗅覚で空気は読んでいるのだけど、常に空気に反していた。

 そして、界隈のひとびとを怒らせる作品ばかり書いていた。

 だから、当時の担当編集者は甘木さんを世に出してしまった「責任」を問われることになり、いまでは敵対している。

 いわく、「俺が会社を追われたのはあいつのせいだ」と。


 その真偽はよく分からない。

 党派性のない甘木さんは、この界隈で起きた「すべての災厄」の原因を押し付けられていたからだ。

 党派性がないということは、誰にも守られない、ということだ。

 私は会社員時代の経験で、それをよく知っている。

 なので、あちこちの党派と接点だけは持っておくことにしている。

 薄汚い処世術だが、何もない無色透明な奴には、誰も仕事を回さない。

 そういうものだ。

 党派性のない甘木さんは、補うための詐術に長けていたが、それは極めて特殊な技術で、長く続けられるようなものではなかった。

 恩を売っても、すぐ忘れられるし、恨みを買えば、いつまでも根に持たれる。

 他人と関わることは損ばかりだ。


 一方、同期の私は、編集者が「責任」を問われるほどではなかったが、空気を読んで「売れる」までには至らなかった。

 読者としては、それなりにマニアックだと思っていたのだが、その傾向が小説に反映されないのだ。

 ゲーム会社に勤めていた頃、雑誌記事用のプレスリリースばかり書いて身に付いた癖なのか、何を書いても平易に書いてしまうらしい。

 薄味だから、マニアに喜ばれることはなかった。

 かと言って、マニア以外には意味が通じない。

 確かに、それでは売りようがない。

 だが、企画ものではその薄味が便利だったようで、最低限、生きられる程度の仕事は回ってきた。

 ノベライズ、シナリオ、そういうものを書いて、辛うじて生きている。

 

 ところが、甘木さんは違っていた。

 彼も似たような経歴のはずだったが、彼の小説は異様にアクが強かった。

 マニアックなエログロナンセンスにバイオレンス、すべて揃っている。

 ライトノベルの世界で、その作風はタブーに近い。

 一見、なんでもありのライトノベルだが、実際のところはそうでもない。

 そういうものが喜ばれていたのは、私が子供だった頃――1980年代の『週刊少年ジャンプ』までで、2021年の現在を生きている読者は眉を顰めるだけだ。


 そんなことを思い出したのは、甘木さんがもう何処にも存在しないからだ。

 2021年2月14日、甘木さん最後の小説が、私のメールアドレスに届いていた。

 題名も本文もなかったので、担当編集者と間違えたのだろうか、と思った。

 甘木さんは2019年を最後に商業作品を発表していないし、ほとんど消息不明になっていたから、私に感想を訊くつもりだったのだろうか。

 その2019年の小説にしても、4年ぶりの新作で、刊行したレーベルはすぐ潰れてしまった。「幻の新作」と言えば格好いいが、たぶん1000部も売れていない。

 2010年頃までは、年に数回は名前を見ていたから、冒頭のように思い込んでいたのだが、ライトノベルの世界は急速に変わっていた。

 読者も株券を買うように作品を選ぶようになり、株券としての価値を持たない作品は話題に上らない。わざわざ売ろうとも思わない。

 献本が届かなければ、私も見逃していただろう。

 まあ、電子書籍はいまも入手できるのだが、入手できることを知る術がない。


 それにしても、誰にも渡すあてがなかったのだろうか。

 一応、誤配された(?)ことをメールで伝えたが、返信はなく、それ以上は考えなかった。

 私はそれなりに忙しく、また鬱々としていた。

 添付ファイルを確認する気も起きない程度に。

 人伝に甘木さんの訃報を聞いたのは、4月に入って、仕事が一段落してからだ。

 亡くなったのは、2月14日。

 孤独死だったから、しばらく発見されなかったようだが。

 どうも、死の直前にメールを送ってきたらしい。


 メールに添付されていたのは、テキストファイルだった。

 最後の小説は『祭りのあと』と題されていた。

 私は桑田佳祐の軽薄さは好まないが、才人であることは認めている。

 いや、特に関連はないのかも知れないが。


 通しで読むと、本来はかなり昔に書かれた短編小説で、何度か改稿した形跡があった。

 風俗描写の時代があちこちで、微妙にズレていたからだ。

 振れ幅はだいたい20年。普通の読者は気づかないだろうが、同世代の同業者なので、どうしても気になる。

 しかも、この小説には既視感があった。

 かなり書き換えられているが、私は『祭りのあと』と改題される前の、別のタイトルだった頃の小説を買っていた。

 たぶん、2003年11月3日――文学フリマの2回目、青山ブックセンターで。

 だが、粗末なコピー誌を売っていたのは、甘木さんとは似ても似つかぬ別人だった。

 値札には「委託」と記されていたから、知人のサークルだったのだろうか。


 そして、怖ろしいことに気づいた。

 私が新人賞の選外から拾われたのはその直後だったが、担当編集者との打ち合わせの場で文学フリマの収穫を訊かれたので、手元にあったコピー誌を渡していた。

 緊張していたのか、何を考えていたのか。

 いまとなっては、コピー誌の著者名も覚えてはいない。

 でも、あれは後の甘木さんだったのだ。

 次の打ち合わせの席で、担当編集者から、もう一人、選外で拾い上げたことを知ったが、渡したコピー誌の感想は聞かなかった。

 だから、コピー誌を読んでスカウトしたのではない、と思う。

 既にデビュー作の原稿は担当編集者の手元にあり、拾い上げるきっかけにはなったのかも知れないが、甘木さんはそれを何処かで知っていた。

 知っていたから、死の間際に、私に「最終稿」を送ってきたのか。


 だとしたら、甘木さんをへ引きずり込んだのは私、ということになるが――。

 もう、彼に真意を訊くことはできないし、当時の担当編集者に訊くこともできない。

 訊いたところで、また罵詈雑言を聞かされるだけだ。

 ついさっきも、Twitterのスペースで、現在の担当作家たちと甘木さんの無惨な死を喜んでいるのを聞いたばかりだ。

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祀のアト ゆずはらとしゆき @yuz4

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