さよなら グーター 前編

 その日、彼女の母親はとんでもない愚行を犯した。

 何時もは平均9時間の睡眠をとっている彼女を、睡眠開始から8時間で起こしてしまったのだ。


 確かに睡眠は人生のロスタイムだが睡眠によって疲れた身体が回復するのも事実であり、追いついていなかった情報の整理をする時間でもある。


 その結果としてある種のアルゴリズムを閃く事もあるので人間にとっては必要な行為だと言える。


 それを1時間も削られたのだ!


 俺が知っている限り、ミキの起床1時間前と言えばレム睡眠状態(脳が情報を整理してる状態)だ。情報を整理する能力が低い彼女からその時間を奪うなど母親として褒められた行為ではない。


「ミキ、起きてちょうだい!」

「……うぅん」


「たっくんの事で聞きたいって刑事さんが言ってるのよ」

「……たっくん?」


「そう、たっくんよ。ミキに言っても解らないでしょうけど誘拐されたみたいなの!」



 ・



 応接間に置かれたテーブルの上には、電話機と幾つかの機械が置かれていた。

 録音装置や逆探知装置だと推測される。


 俺とミキ、そしてミキの両親はタクミの家に来ていた。

 家の中には彼の両親の他に刑事らしき人物が2名、電話の前で待機している。


 早朝、タクミを誘拐した犯人から電話があったのだ。

 何故電話に出なかったのか、と物凄い剣幕だったらしい。


 追いかけっこではなかったという事か。


 昨日まで彼の両親は旅行に出かけていたので、電話に出られないのは当然だ。

 間の悪い誘拐犯もいたものだと犯人の不運にほくそ笑む。


 そこから直ぐに彼の両親は警察へと連絡したらしいのだが、その理由が『警察に知らせるなとは言われなかったから』という揚げ足取りみたいなものだった。


 もう少し慎重になれないものか。


 彼の身に何かあればミキの育成に多大な影響が出てしまうのだ。

 そうなればミキの育成が終わるまでに俺の力が尽きてしまうかも知れない。


 星の記憶によると誘拐をする目的の多くは金銭目当てであり、金銭目当てで犯行を犯す者の多くは精神的に追い詰められている場合が多い。

 つまり正常な精神状態ではないと言える。


 両親の旅行を知らなかった事も合わせて考えると、追い詰められた末に突発的な衝動で誘拐したのだろうと推測される。

 そんな無計画な犯行が成功すると、犯人は本気で思っているのだろうか。

 そしてそんな相手を敵に回して警察を呼ぶなど、犯人の気分を逆なでする事にはならないのか……。


 しかし今考えるべきは、そこではない。


 ミキの波長が異常な程、不安定になっている。

 このままでは何か縁起の悪い事が起きそうに思えてならない。


 飛行機に乗る直前、ジョン・マクレーンが飛び乗ってきたのと同じくらい縁起の悪い事が起きそうな気がする。


 彼女にタクミが誘拐されたと理解させるのは結果的に無理だった。

 誘拐の意味が解らなかったのだろう。


 しかし、それだからこそ自分の解る言葉で納得してしまい、精神が不安定になってしまったのだ。


 そうなるまでの母親との会話を簡単に抜き取るとこうだ。


『ゆうかいって、なにー?』

『たっくんが、悪い人に連れていかれたのよ』


『どこにー?』

『それが解らないから刑事さんが聞いてるのよ』


『ふーん。いつかえってくるのー?』

『わからないわよ。どんな目に遭わされてるのかも解らないし、帰って来るのかどうかも……』


『たっくん……かえってこないの?』

『……わからないわよ! ママだって知りたいわよ! ホントにもうアナタって子は!』


『たっくん、かえってこない……』


『たっくんとあそべない……』


『たっくんともう……』


 この辺りから波長が急激に乱れ出し、今は一時的に幼児退行した風になっている。


 この家の応接間は床が市松模様のフローリングになっており、白い面と黒い面が交互に並べられているのだが、その白い面だけを選んで行ったり来たりを繰り返しているのだ。


 まるで『横断歩道の白い線からはみ出たら負け』ゲームをしてるように見える。


 俺達のような存在は元々人間に宿るようには出来ていない。

 人間は俺達が宿らずとも大事の際、自力で対応出来る知恵を持っているからだ。


 なのでこうなったミキをどうすれば元に戻せるのか俺には解らない。

 いや、元に戻す方法はある。


 しかしそれが正しいのかどうか俺には解らないのだ。


 ・


 プルルル、プルルル……


 windowsのアップデートが予想以上に長かった時のような部屋の雰囲気が、その着信音でガラリと変わる。


「奥さん、電話に出て下さい。出来るだけ話を引き延ばすように」

「は、はい」


 電話が掛かって来たのは午前10時を回った頃だった。

 この場に集まった者達の顔に緊張が走る。


 震える手で受話器を取り上げようとするタクミの母親。

 その隣で逆探知機だと思われる装置に手を掛ける刑事。

 片足立ちで静止するミキ。


 この部屋の空気が一気に張りつめて行く。


 無言でタクミの母親へと視線をやり、コクリとGOサインを出す刑事。


「も、もしもし……」

『デリヘル大魔神さん?』


「え?」

『え、じゃねぇよ! こっちはもう1時間も待ってんだよ!』


「え、あのもしかしてけ間違いじゃ……」

『まだけてもつながってもいねーよ! 優子ちゃんだ、早くいつもの優子ちゃんを寄越しやがれ! 勿論もちろん何時ものコスプレでだ! それだけはゆずれ――』


「……お前じゃないっ!」


 ―― ガシャン!


 周囲に何とも言えない気まずい空気が流れる。


 もう一人の刑事が手帳にデリヘル大魔神となぐり書きしている。

 タクミの父親はスマホでデリヘル大魔神を検索している。

 ミキの父親はタクミの母親の肩に手を回している。


 朝からデリヘル嬢を呼ぶ猛者も繁殖意欲が旺盛で素晴らしいが、それを無碍むげに一刀両断した母親も見事。

 当初優勢だと思われた猛者に、見事なカウンターパンチを放った母親。


 間違い電話でまさかの高圧的な態度を取った猛者か、それともタクミの母親か。

 悩むところだが、ううむ……よし。


 この勝負、タクミの母親の勝ちだ!


 ……いや、そんな話ではなかった。


 ・


「いやあああああ! いやあああああ! たっくんいなくなるの、いやあああああっ!」


 間違い電話の後、気まずい空気が収まった辺りでミキが突然叫びだした。

 彼女なりに色々と考えて、なにがしかの答えに行き着いたのだと思われる。

 恐れていた縁起の悪い事が起きてしまった。


「たっくんとあいたいいいいい! たっくんとあそびたいいいいい!」


「ミキちゃん、連れて帰ったほうが良いわ」

「そ、そうね。ごめんね、こんな時に。この子ったら……」


 その後、母親に付き添われて自宅に戻ったミキは、散々泣き喚いた挙句に疲れて寝てしまった。


 これは非常に拙い。


 彼女の波長が狂気を孕みだした。

 このままでは進化どころか、自身の存在そのものを消去してしまいかねない。


 これは非常に拙い。


 俺の能力は育成と再生。

 俺の力で出来る事といえば、一つしか無い。


 ……いやしかし、それでは俺の活動時間を致命的に大きく縮めてしまう。

 生殖可能期間内に彼女を完全な形で育成する事が不可能となってしまう。


 何よりそんな付け焼き刃な短時間で力を注いでも、永続性に乏しく直ぐに元へと戻ってしまう。


 戻ってしまうが……。


 このままでは彼女の精神が崩壊するのは明らかだ。

 そうなれば俺の活動時間がどうとか進化がどうとか、言っていられなくなる。


 これは非常に拙い。


 これは非常に拙い。


 輝かしい未来への思惑がゴミになってしまうかも知れない。


 これは非常に拙い。


 非常に拙いのは確かだが……。


 その選択肢を捨ててでも、やらなければならない。


 俺の役割はミキの育成と再生なのだから。


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