[A]part is finish

 僕とミキは追われていた。厳密に言うと追われているのは僕じゃなくてミキだ。


 ミキの手を引いて僕は逃げ続けた。捕まると、どんな事をされるか解らない。


 そんな不安と走った事による酸素不足で僕の心臓はドクドクと破裂しそうに脈打ち、額からは大粒の汗が止めどなく零れ落ちていった。


 何としてでも逃げ切ってミキを護らなければ。その思いだけで、疲れてきた足を動かし走り続けた。


 ・


 関が原の戦いに敗れた翌日、僕達は買出しをする為に外出した。僕の家から徒歩10分圏内に『真心正直商店街まごころしょうじきしょうてんがい』という商店街がある。

夏休み初頭に僕がエロゲーを購入したゴキゲンソフトもこの商店街の中に入っていた。東京のアメ横や大阪の黒門市場に比べると小さくまとまった商店街だが、大型スーパーや総合商業施設の台頭にも押し潰される事無く、それなりの賑わいを見せている。


 しかし何時もは平和で活気溢れるその場所で、その日だけは人々の悲鳴が相次いだ。凶悪な『通り魔』が現れたのである。何処からともなく現れた通り魔は、商店街に居合わせた一部の人を恐怖の坩堝るつぼへと追いやったのだ。


 ・


「アッ――!」

「な、なんだよぅ……」


「アッ――!」

「見るな! 俺を見るなよぉ!」


「アッ――!」

「貴様……視えるのか!」


「アッ――!」

「くっ……殺せ、殺してくれぇぇ」


「アッ――!」

「違うから! 自分のだからっ!」


 アッ――!

 と声を上げてミキが次々と行き交う人を指差して行く。彼女に指差された人達は、一様に捨て台詞を残して気まずそうに逃げていく。これこそ彼女の特殊能力『ヅラ見破り』なのだ。


 通り魔的にカツラを見破り、見破られた人を恐怖のドン底に落とすリーサル・ウェポンなのだ。


 以前カツラの人が河原にいたのを覚えておられるだろうか。バトミントンをしていてカツラがずれてしまったあの父親だ。

 僕がそれを指差して笑っていたのをミキは覚えていたようで『カツラを見破るのはタクミにとって良い事』なのだと解釈したらしい。なので彼女は晩御飯の買出しに立ち寄った商店街で、次々とカツラの人を発見しては僕に報告してくるのだ。


 どういう原理か解らないが、どんなに自然な感じで装着している人でも見破ってしまう。その匠の技は、本物と見紛うばかりの贋作を見分ける超一流鑑定士のようだった。


 それにしても偽りの仮面を被った人口が多すぎる。いや被ってるのは仮面では無かった。世間の目という飛び道具からウィークポイントを護るための鎧兜だった。


 ここだけが例外的に多いのか? それとも僕が知らないだけで地球上の何割かは被っているのか。この商店街は正直とは名ばかりの偽装集団が潜伏する危険度レベル4(退避勧告が出され渡航禁止になるレベル)の紛争地域なのか。

 

 それはともかく。絶対バレていないと思いながら歩いているのに、いきなり頭を指差されて『アッ――!』と言われれば心当たりのある人は動揺するに決まってる。何もやましい事は無いと思いながらカツラを被っている人など、この世にはいないのだ。被ってる時点で疚しさ無限大なのだ。


 在りし日の幻想にすがり付き、それでも前を向いて生きている人達にとってミキの特殊能力は強大すぎた。その攻撃力は彼等のメンタリティをズタズタに引き裂くのに充分で、かなりオーバーキル気味だった。ゲーム用語で分かり易く言うと、クリティカル攻撃だ。


 ・


 ハァハァハァ……。


 多くの被害者が通り魔から逃げて行ったが、中にはメンタリティの敗北を許容出来ずに拒否したごうの者もいて、僕達はその人達に追いかけられているのだ。それは僕達が商店街から脱出しても続き、やっと振り切った時には2人共クタクタになっていた。


 気が付けば『真心正直神社』と呼ばれている、小さくて汚い神社の境内に逃げ込んでいた。僕の家からだと歩いて20分程かかるこの神社は、境内にあるクヌギの木でカブトムシが採れる事ぐらいしか利用価値のない神社だ。たまに地域交流を兼ねたバザー会場になるらしいけど、行ったことがないのでそれについてはよく解らない。


 膝に手を当て中腰になり、荒れた息が整うのを待つ。


 ハァ、ハァ。   ハァ、ハァ。


     ハァ、ハァ。    ハァ、ハァ……。


 ハァ、アハハ……。


「あははは……」

「あははははー」


 笑いが込み上げてきた。僕達は自然と目を合わせ、汗でベショベショになって頭にペタッとくっついている髪型を見合いながら笑い続けた。


 カツラを見破るとか。それで追い掛けられるとか。


「あっははははははは!」

「あはははははははー!」


 楽しい。ミキといるのは本当に楽しい。幼稚園の頃も小学校低学年の頃も、ミキといる時は意味もなく楽しかった。


 何時も振り回されていたけど、何時も何だか面白かった。何時も笑いが絶えなかった。こんな気持を忘れてミキを避け続けていたなんて、僕は本当にどうかしていた。


 確かに彼女は人とは違うところがある。綺麗な言葉で覆い隠さず言うと発育障害がある。軽度の障害だが、それでも未だに2桁の足し算でひどく悩む。


 でも、だから何?

 それがどうしたというのだ。


 そこは褒められるべき所じゃないけど、それを補って余りある長所があるじゃないか。楽しい気持ちを分け与えてくれるじゃないか。


 僕の足りないパーツを埋めてくれる『言わば僕の一部』じゃないか。

 誰に必要とされなくても、僕にはミキが必要だと思えて仕方がない。


 正直に言うと、今まで心のどこかで彼女を下に見ていたと思う。ミキになら何をしても別にいいやと思っていたところがある。


 でもそうじゃない。


 彼女は何時でも精一杯生きていて、今もこうして僕の中で存在を拡大し続けている。


 下なんかじゃない。同じ……いや、寧ろ僕にとっては代わりの無い、かけがえのない素敵な人間だ。


「いきなりだけど僕はミキとキスしたいんだ」

「たっくんとキスするのー?」


「うん。何だか今までごめん。でも僕はミキが本当に好きだと気付いたんだ」

「ミキも、たっくんだいすきー」


「だから……駄目かも知れないけど良ければ僕と付き合ってほしい!」

「うん、たっくん、むぅー」


 ミキは躊躇うこと無くそう言ってくれた。むぅーが何の擬音か解らなかったが、ミキは口を尖らせて目を瞑ってくれた。


 生涯忘れられない出来事になる。そう思いながら彼女の背中に手を回してゼロ距離になった。ミキの唇を感じ、ゆっくりと上下の唇を割って舌を伸ばした。


 ミキの舌先が僕の舌先とたわむれている。舌先ってこんなにも敏感だったのかと初めて知った。頭の中にレモンの香りがふわっと広がった。


 僕達は汚い神社の境内で、透明な情緒じょうちょに包まれた。



 ・



 僕達は暫く立ったままで抱き合っていた。そして何方からともなく恥ずかしくなって少しだけ離れた。僕はミキのこ――……あれっ?


 視界に映る映像がぼやけて行く。全ての映像では無いが、ミキの肩越しに映る大部分の映像がモザイクで覆われて行った。そしてモザイクから徐々に画素数を上げる感じで新たな映像が……。


「ふむ。俺が視えるのか、タクミ?」


 視える? 何が? つか何? いや誰? つか何?


 ……ぐーたぁ?


「改めて自己紹介をさせてもらおう。俺はグーテンベルク・モーゲンシュタイン。この星を構成する力の欠片だ。気軽に『グーター』と呼んでくれたま――」


『ぐーたぁ』改め『グーター』が話を終える前に、僕はその場から逃げ出した。それはもう全速力で力の限り逃げ出した。


『ぐーたぁ』って妖精じゃなかったのか? 


 妖精って名称のくくりがフワッとしてるから、あれもアリなのか?


 いやでも何アレ?


 つか何?


 どういう事?


 ・


 僕の前に顕現したグーターは、想像とは全く違う容姿をしていた。それはまるで幼少時代、北京ダックという響きに期待して夢を奪われたように。アヒルの丸焼きがドーンと出てくると思ったら、皮しか出てこなかった時のあの感じ。


 それでもまだ表現が甘い。


 例えるとそれは『女体入口』や『オナマン湖』が、長野県やカナダにあるただの地名だったと解った時に感じた、あのやり場のない激昂げっこうのようだ。


 彼を見た瞬間、僕の中で妖精のイメージが音を立てて崩れ去って行った。


 まずデカい。2メートルはあろうかと思われるデカさだった。ちょん、と可愛らしく感じられた重さだとは信じられない。掌に感じたあの感触は、彼が爪先立ちのギリギリな感じで乗っていたという事なのか。

 そして黄色くてボサボサの髪の毛。何それ、餌にあぶれたオスライオンかよ。しかも無精ヒゲまで生えてたし。

 顔はキリッとした眉毛だけが印象的で、あとは平々凡々な部品の陳列。妖精って容姿端麗ようしたんれいじゃなくて良いのか?

 そして最も驚いたのはグーターの身体だ。全裸で背中には羽があり、大事な場所だけモザイクだったのだ。


 モザイクだ。


 ミキの頭の上で揺れ、ミキの口元に現れ、僕達が繋いだ手の周辺で動いていたあのモザイクだ。


 僕が見えていたのは、あの部分だったのか。

 僕が見えていたのは、大男のイチモツだったのか。

 僕が幻想を抱いていたのは、本物の自主規制だったのか。


 それより何より、グーターは自分のモノをミキの頭に乗せたり、口元に添わせたりしていたのかあああああ!


 ・


 どれだけ走ったのか解らない。ここが何処なのか見覚えが無い。家とは逆の、それもかなり離れた地域だろう。クタクタになりながら、何処かの家壁に手を付けて息を整えていた。


 ……。


 少しだけ冷静になって考えたら、何も逃げ出す事はなかった。別に危害を加えられる訳では無かった。それどころか自己紹介もしてくれていたような……。


 以前ミキが言っていた『ぐーたぁ』の特徴。『黄色い髪』『羽が生えてる』『裸』


 うん、間違ってはいない。だいたい合ってる。


 …… ……。


 あ、ミキを置いてきてしまった。


 戻ろうか――




 後頭部に激しい衝撃が走り、僕はそのまま意識を手放した。




 誘拐されたのだと解ったのは、からの事だった。







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