第8話


 敦貴の目の前には、地下へと続く階段が見える。

 階段の手すりは細かい木彫りの意匠がなされており、敦貴がいる洋館らしい美しさを誇っていた。踊り場にはめこまれた窓から、やわらかな日差しが降り注いでいる。

 敦貴が暮らし、働いているこの場所。表向きには臨床検査センターと看板を掲げており、病院と連携して検査も引き受けている。だが本当の顔は、いわゆる吸血鬼と呼ばれる者たちが暮らし、吸血鬼の生態について研究を行っているのだ。

 濃い飴色の階段を下りてゆくと、次第に窓から降り注いでいた日光が弱まってゆく。地下に降り立ったそこは、地上に建つ洋館とは正反対の、無機質なリノリウムの廊下が広がっていた。無彩色の壁に同じ色の扉は、臨床検査センターらしさが漂っている。

 地下の窓ひとつない空間こそ、この建物の本来の場所だった。

 今日は偶然か、それとも何かあるのか、人の気配を感じることはできない。研究所で人気が感じられないことはよくあることなので、特に気にはならなかった。

 誰の気配も感じられない地下だったが、敦貴が歩いていくうちに、ひとつの部屋からかすかな話し声が聞こえてくる。近づいていくうちに声は大きくなっていった。聞き覚えのある声。咲衣とあの少女のものだ。

「……それは駄目です」

「なぜかの?」

 声が聞こえる部屋の前で立ち止まり、扉に手をかける。敦貴が目指していた部屋は来客時に使われるものだった。

 部屋のなかには、赤い着物をまとった少女と、向き合って相手をする咲衣の姿がある。少女の斜め後ろには、青年も控えていた。

 どうやら敦貴が来るまでの間、咲衣は少女に振り回されていたらしい。あまり表情の浮かばない顔に、珍しく困ったものが浮かんでいる。

 この場所では、咲衣は敦貴の傀儡として扱われているため、咲衣はほとんど表情を動かさないのだ。久々に見る生きた表情が珍しくて、つい見入ってしまう。

「ちょっと、敦貴も何か言ってください」

 敦貴が扉を閉めたまま立っていたせいか、咲衣が怒ったように敦貴をふりかえってきた。怒るというのも新鮮で、敦貴はおもわずくすりと笑ってしまう。咲衣はふざけていると思ったのか、眉をひゅっと上げていた。

「敦貴!」

「ごめんごめん。それで、何があったの?」

「地下のなかをくまなく案内してほしいとおっしゃってるんです」

「あー……」

 咲衣が困る理由がわかった。少女は己の願いが聞き届けられない理由がわからないからか、ぶすっと膨れ面をしている。見た目だけでは、未だ子供らしさが残る少女が怒っているので、かわいらしく目に映った。

「それは、難しいことですね。すみません」

「なぜじゃ? 咲衣はごにょごにょとにごすばかりで、何も言わなくての」

 敦貴がちらりと咲衣を見やると、咲衣は咄嗟にか、明後日の方向を向いていた。理由を告げてもいいのか悪いのか、判断が付かなかったのだろうか。

 敦貴は少女の前に立つと、軽く頭を下げた。

「すみません。案内できないのは僕のせいなので」

「敦貴のせい?」

「はい。僕が属している研究チームは、他の派閥から排除されようと狙われているのです」

「ほう……」

 少女はかすかに目を丸くしたあと、興味をもったのか、話を聞く姿勢に入っている。

「一枚岩ではないということか」

「はい。吸血鬼としての力に悩む者もいれば、その力の恩恵を最大限受けようとしている者もいる。元々咲衣は、他の派閥から僕を殺そうと命じられておりましたし」

「そう、なのか……」

 少女は、今度こそくっきりと目を丸くしていた。咲衣は少女の驚きを受け止めて、ひとつ頷いている。

 敦貴の話が真であることをどう思ったのか、少女は小さくため息をついていた。

「人からは疎んじられ、奇異なもので見られ、ようやく仲間を見つけたかと思っても、仲間内でも諍いは絶えない。なかなか難しいものだの」

「そうですね。こちらとしては、争いたい訳ではないのですが」

「それは誰しもそうじゃろう」

「ええ……。今日は人も少ないようですし、僕の研究室ならお見せできます。それで我慢していただけませんか」

「良いのか」

 敦貴が折衷案を出すと、膨れ面を浮かべていた少女の瞳が輝きだす。敦貴は口の端をあげて、頷いてみせた。

「もちろん。血液採取にご協力頂けるなら、ですが」

「元々そのつもりで来ておったし、かまわぬぞ」

 少女は大きく頷くが、近くに控える青年は渋い顔だ。協力してくれることになったとは言え、少女の身が研究に使われることに抵抗があるらしい。それでも少女が立ち上がることを止めることはなかった。

「あなたのような人の協力を得られることは、研究という枠を取り払ってもありがたいことです」

 ふと胸のうちからこぼれ落ちた言葉。少女はきょとんと首を傾げてみせる。

「そうなのかの」

「ええ。咲衣が本来のままでいられる人が増えたから」

「……つくづく思うが、喰えない男よの」

 少女はどこか愉しそうに笑うと、ひらりと赤い着物を翻す。少女を案内しようと先に立っていた咲衣は、困ったように敦貴を見つめていた。

 この部屋を出てしまえば、咲衣は表情をなくしてしまうのだ。それでも、ほんのひとときだけでも咲衣の顔が見られたことが嬉しくて、敦貴はそっと目をほそめた。


(了)

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