アルファが足りてない

どれまる

前編



 ひとりで歩く、高校からの帰り道。

 前方およそ五メートル先では、高校生カップルが仲睦まじくイチャつきながらノロノロ歩いている。二人から発せられる幸せに満ちたオーラが、道行く独り者を陰鬱な気持ちにさせてくれていた。全くもってありがたくない。光化学スモッグ並みにノーサンキュー。

 ──くそが。

 あからさまに舌を打ちたくなったが、そうするとなんだか負けたような気分になるから我慢する。我慢したことによって、なぜか更に敗北感が肩にのしかかってきた。チッ。

 つい今しがた、俺は彼女に振られた。ちなみに彼女というのは恋人関係のそれではなく、三人称のそれだ。ラバーやガールフレンドではなく、シーShe。つまり俺は、交際している彼女に振られたのではなく、長らく一方通行の恋心を寄せている彼女に振られた、ということ。

 それはもうこっ酷く、残虐に、告らせてももらえないうちに、逆にいきなり告られた。

「なんの前触れもなく屋上に呼び出すなんて、もしかして告白でもするつもり? 先に言っとくけど、あんたと付き合うだなんて無理だから。ごめんなさい」

 と、いの一番に告げられた。

 開いた口がふさがらないとは、まさにその時の俺の状態を言うのだろう。いざ顎関節を外さん!とばかりにあんぐりと口を開けて驚く俺は、開口したまま硬直しているものだから、当然なにも言い返すことができなかった。

 それを見て何をどう思ったのか、彼女こと鈴木は、無防備な体勢で心の一番脆いところを晒している俺に、無情にもさらなる仕打ちを敢行したのだ。

「田中、あんたは、なんかこう……足りてない」

「……ふぁ?」

 何を言われているのかさえ理解できなかった田中こと俺は、アホのように口をかっ開いたまま吐息みたいな声をこぼしていた。

「……ふぁ?」

「えーっと……」

 アホ面丸出し棒立ち男をよそに、なにやら思索に耽っていた鈴木は突然、閃きましたとばかりにパン!と手を打ち、

「そう、アルファ!」高らかに言い放った。「あんたには、プラスアルファが足りてない!」

 プラスアルファが足りてない。それはまるで、数学のテストでケアレスミスを犯した生徒の解答用紙に、赤ペンで書き記されていそうな文言だ。〝+α〟が足りてない。──と、今にしてみればお気楽に思い返せるが、前後不覚に陥っていた当時の俺は、壊れて特定のしょぼい動き以外は全くできなくなったロボットのように、

「……ふぁ」

 としか発音できなかった。

「私が言ってることわかるよね。あんたには、プラスアルファが足りてないの。アルファが、なにかしらの長所が、足りてないの。ねえ、わかる? てか、聞いてる?」

「……ふぁ」

 聞いてはいた。

「イケメンじゃないし、スポーツマンってわけでもない。スタイルだって平均的だし、学業成績に至っては中の下。何かに秀でているわけでもなく、目を引くような個性もない」

「……ふぁ」

「これでお人好しと他人から称されるくらいに優しかったり、ナンパ師レベルで話術に長けていれば、女子のあんたを見る目も違ったのかもしれない。でも、あんたにはそれすらも無い。なんにも、無い。無い無い尽くしの無個性人間。ねえ、あんたが女子の間でなんて言われてるか知ってる?」

「……ふぁ?」

「『悪くはないけど、つまんない男子』。それが、あんた。もしもキングオブ十人並みという称号があるのなら、あんたのような人間にこそふさわしいって、私は昔からずっと思ってる。苗字も奇跡的なまでにフツーだよね、田中って。もはやギャグでしょ」

「…………ふぁ」

 聞いてはいたけど、聞きたくなかった。

 もう、やめ。終了、回想終了。

 つーかなんであそこまで言われなきゃいけないんだよ。俺があいつに何をしたというのか。何もしてないぞ。何もしてないのに、なんやかんや言われたぞ。なんでだよ。わけわかんねえ。何様だよあいつ。

 あー、なんか腹立ってきた。思い出すだけでも、ムカつく。マジでもう、まぢむかつくんですけどぉ!

 どうして、あの時の俺はなにも言い返せなかったのか。鈴木に批判されながら「……ふぁ」と顔面の筋肉をだらしなく弛緩させていた俺を、ア○トニオ猪木ばりに思いっきりビンタしたのち、「目を覚ませ! そして目の前のクソ女のケツを蹴り飛ばしてやれ!」と叱咤してやりたい。今となっては、蹴り飛ばせるのは道端の石ころくらいだ。くそが。

 俺がつま先で蹴った石ころは、前方のカップルの片割れ(彼氏)に当たりそうなルートを辿って、コロコロ小気味よく転がっていく。やばい、当たりそう。もしも石ころ衝突事故が起きたら、と想像が脳裏をよぎる。刹那的に浮かんだ未来予想図では、俺は怒り狂った彼氏クンにぶん殴られていた。ブワッと背中に冷や汗が湧く。痛いのは嫌だ。どうにかこうにか、外れてくれよ石ころ様。

 そんな願いが通じたのか、石ころは不規則な回転をして予測ルートを外れ、向かいから歩いてきていた中学生らしき男子の靴に当たった。すまんな。

 すれ違いざまに刺すような視線を被害者の彼から頂戴したが、そしらぬふりして俺はスタスタ歩く。すまんな。恨むなら、いかにも蹴ってくださいと言わんばかりの形をした石ころと、俺をイラつかせた鈴木を恨んでくれ。呪ってくれてもいいぞ。

「あー」

 くそ、鈴木の顔を思い出したら、またはらわたがグツグツしてきた。煮え繰り返りすぎて、腸の味が凝縮されちゃう。セルフモツ煮込み一丁上がり!

 だいたいあいつって、他人の顔について偉そうな口を叩けるほどの顔の造形をしていないだろ。せいぜいが中の上。おもっくそメイクした状態で、ギリギリ読者モデルならやれそうなレベル。対して俺は、 アニオタの友人から「ハーレムアニメの主人公が現実にいたら、きっとこんな顔」と評されるほどの顔面レベルだ。ハーレム主人公舐めんな。彼らは基本、顎のラインが綺麗でパーツもそこそこ整っている。フツメン──否、もはやイケメンと評しても差し支えないのではなかろうか。うん。つまり、可愛いと言えなくもない鈴木と俺の顔面レベルは、どっこいどっこいのイーブンだと、これで証明されたわけだな。脳内審議で、「異議なし!」の大合唱が起こった。

 スポーツ分野において、俺はバレーボール部に所属している。現在は控えに甘んじているが、来年にはきっとレギュラーの座を掴み取っているだろう。対して、鈴木は男子バレー部のマネージャー。はい、俺の勝ち。「異議なし!」の大合唱。しかし学業においては、鈴木は学年屈指の好成績を修めていて、俺は中の下。そのため、スポーツ分野での勝利は相殺されて消えることになる。「……異議なし」誠に遺憾ながら、認めざるを得ない。あいつは、どの教科も常に九十点台を叩き出していたはず。頭おかしい。人間のなせる技じゃないだろ。あいつは人間じゃない、ヒトの形をしたバケモンだ。そうに違いない。「異議なし!」

 頭脳が変態的なこと以外に、鈴木には突出した特徴が無い。スタイル、凡。女子力、凡。その他諸々、凡。男子からの評価も、上々とは言い難かった。

 先日、修学旅行先の宿にて就寝前に開催された『ドキッ! 男だらけの恋話大会!〜暴露ポロリもあるよ♡〜』では、俺以外に、意中の相手として鈴木の名を挙げた者はいなかった。彼らの鈴木に対する評価は、『悪くはないけど、なんか男にとっての夢がないよな。胸が大きいわけでもねえし、そこまで美人でもない。率先して付き合いたいとは思えねえな。悪い意味で、というか』というものだった。鈴木の名を出したことにより、シーンと白けた空気になった暗闇の中で、俺は「ちょうどいいのが、良いんだろうがァ!」と顔を紅潮させながら発奮した。言うまでもない。黒歴史だ。

 どうでもいいこと極まりないが、鈴木のやつは俺の苗字も小馬鹿にしていたな。田中は、フツーすぎると。──俺は言いたい。お前が言うな、と。鈴木風情が調子に乗るんじゃねえ。わきまえろカス。カスズキ。鈴木なんて、日本で最もありふれた苗字じゃないか。微々たる差かもしれないが、レア度で言えば田中の方が上……。

「ん?」

 でも、なんか、うーん。

 田中よりも鈴木の方が、イケてる字面をしているような気がしなくもない。〝田んぼの中〟よりも〝鈴のなる木〟の方が、人を惹きつける魅力という観点において優れていそう。それにこの二つの苗字は、現在メジャーリーグに在籍している日本人選手にも縁があるけれど、現時点で残した実績では鈴木の方に分がある。やばい。田中、万事休す。──あっ、そうだ。田中は鈴木よりも、画数が少なくて書くのが楽だな。利便性の面で、田中の圧勝。

 つまり、田中と鈴木はイーブン。

 よって、俺と彼女も、釣り合いは取れているはずだ。

 そのはずだった。



 ○



 気づけばもう、自宅付近まで来ていた。

 ふと横を見やれば、視界には無人の小規模な公園がある。寂しげに揺れるブランコと風化したすべり台が、まるで失恋によって傷心している俺の心を映し出す鏡のように思えて、俺は夢遊病患者のごとく公園に足を踏み入れていた。

 本当に夢でも見ているかのように、遠い日の記憶がよみがえる。

 小学生の頃は、頻繁にこの公園で遊んでいた。ひとりっ子の俺は家の中でゲームばかりしていたものだから、それを見かねて頭に鬼の角を生やした我が偉大なるクソババアおかあさまから「外で遊んでこい!」と叱られるたびに、しぶしぶ近場の公園に赴き、よくベンチに座ってゲームに興じたものだ。

 そんな俺のとなりに常に座ってゲーム画面を覗き込んでいたのが、何を隠そう鈴木である。今となっては悪魔のような顔で俺を蹴散らしている鈴木だが、当時の彼女はそれはもうおとなしかった。昔のあいつは引っ込み思案を絵に描いたような子供で、滅多に笑うこともなかったはずだ。

 鉄面皮な鈴木の化けの皮を剥がしてやろうと、小学生時代の俺は躍起になっていろいろ仕掛けた。ジャングルジムに登る鈴木がいれば、行ってスカートの中を覗いてやり、砂場で鈴木城を建設する鈴木がいれば、行って黄金の右足という名のショベルカーで蹂躙してやり、クラスメイトの男子から陰湿なイタズラを受ける鈴木がいれば、行って男子のズボンを下着ごと脱がしてやった。しかしながら鈴木は、そんなことではピクリとも表情筋を動かさなかった。無表情に、無言で、俺に腹パンを撃ち込むだけだった。超理不尽。

 あいつが血の通った人間みたいに愛想よく笑うようになったのは、果たしていつからだっただろうか。鈴木の顔を頭の中に浮かべながら、俺はブランコに揺られる。子供用のブランコは、図体だけは大人並みに成長した俺には小さく、いささか窮屈に感じた。

 同じ小学校を卒業し、同じ中学校に入学した俺と鈴木は、日を追うごとに疎遠になっていった。

 原因は他でもない、俺である。男女の性差を意識し始めたのである。もっと簡潔に説けば、好きになってしまったのである。鈴木を、である。好きになったというか、気づかなかった自分の気持ちに気づいたのである。甘酸っぱい恋の芽生えである!

 しかし効果的な好意のアピール方法が分からなかった俺は、恥ずいからという理由たった一つで、友人に相談することもなく、愛の告白など言語道断といった状態で、逆に、露骨に鈴木を避けるようになった。女々しく臆病な童貞と呼ぶほかない。そのくせして、あわよくば向こうから話しかけてくれないかなー、なんて考えていたりしたもんだから、なおタチが悪い。

 まあ、思い切って告白したところで、このザマなんですけどね……。

「……ハハ」

 笑え。笑えよベジタブル(意味不明)。

 そういや、中学を卒業する頃には、鈴木は笑うようになってたっけ。記憶は不確かだけれど。

 あつらえたように同じ高校に進学した俺と鈴木は、一年B組の級友になった。中学の三年間では一度も同クラにならなかった事もあり、俺はとてつもなくテンションが上がっていた。しかしそこはクソ童貞。教室で交わす会話は事務的なものばかりで、部活も同じであるにもかかわらず、俺はせっせとマネージャー業に励む鈴木を陰から見ているだけだった。だから当然、嬉し恥ずかしな進展など望めるはずもなかった。

 翻って現在は、高二の秋。青春真っ盛りのこの時期を逃せば、来年は年がら年じゅう受験勉強に精を出さなければならなくなるので、恋愛にうつつを抜かしている暇などなくなってしまう。

 そこでクソ童貞田中こと俺はようやく一念発起し、生涯上がることはないのではと噂されていた重い腰を、満を持して上げたのだった。

 そして、振られた。『あんたには、プラスアルファが足りてない!』と謎のご指摘まで受けた。

「アルファって、なんぞや……」

 そりゃあ、イケメンになれるものならなりたいし、ボルト並みに足も速くなりたいし、IQだって250くらい欲しい。

 でも、そんな幼稚な願いなど叶いっこない。分かっている。分かってはいるけど……。

「はぁぁぁぁあ」

 俺史上もっとも大きなため息が、ドラゴンの息吹のように放出された。普段であれば、ため息を吐くと幸せが逃げるという迷信のせいでつい堪えてしまうのだが、ため息ごときで逃げる幸せなど俺にはもう残っていない。今ならため息吐き放題だ。

「私を呼んだのはキミか?」

「んぐぉ⁉︎」

 ビビった。人の気配さえ感じないのに、かなりの至近距離から男性の声が聞こえたので、それはもう心臓が飛んで跳ねてねじ切れるくらいに驚いた。

 俺はぐらつくブランコから落ちないよう鎖を強く握り、声の発生源に目を向ける。

 そこには、摩訶不思議な生命体が佇んでいた。

 突然現れたそいつの肩から下は、至って一般的なスーツ姿なのだが、顔が、頭が、アルファだった。見まごう事なき記号の〝α〟だ。二度見しようが三度見しようが、そいつには首がなく、肩の上に頭の代わりとして〝α〟を載っけている。

 もしや、かぶり物か? ──いや、違う。顔の中心部分にはドーナツの穴のような、むしろそれよりも比重の大きな空洞があり、向こう側の景色を覗き見ることができる。つまり、いま目の前にいる訳のわからん不思議生命体は、そういう頭部の構造をしているってことなのだろうか。頭が〝α〟な生命体。なんだそりゃ、キモいな。

「……あんた、誰」

 とりあえず俺は、会話を試みることで意思の疎通を図った。君の名は。

「私の名か?」不思議生命体は胸に手を当てて応答する。「私の名は、あるふぁ。ちなみにファミリーネームがで、ファーストネームがだ」

 ……ははーん。

「なるほど変態か」

 よし、逃げよう。俺は立ち上がり、自称あるふぁの横を通り抜けようとしたのだが、もの凄い力で腕を掴まれ、引き止められてしまった。

「待ちたまえ、田中クン」

 なんだよ、待ちたまえって。なんて芝居がかった喋り方してんだ、胡散くせえ。しかもどうして俺の名前を知ってんだよ。ストーカーか? 掴まれている腕はすっげえ痛えし、そこはかとなく不気味で怖えよ。

「……ぁんだよ」

 加速度的に肥大化する恐怖心を押し殺すために、俺はわざと不機嫌な態度を装う。でも少しだけ、発した声は震えていた。だってしょうがないじゃん、怖えんだもん。

「キミ、アルファが欲しいんだろう?」

 俺の耳元に顔を寄せて、あるふぁが囁いた。そのねっとりとしたバリトンボイスは、瞬く間に俺の全身を駆け巡り、身が震えるほどの嫌悪感をもたらした。こ、こいつ、一体、どこからこんな声を出してやがるんだ……?

「……ふぁ?」

 そんな訊き返すような声が、俺の口から無意識のうちに漏れていた。

「欲しいんだろう? アルファが」

 そしてさっきから何言ってんだこいつ。理解するために、頭の中で整理してみよう。──あるふぁが、俺に身体を寄せて『アルファが欲しいんだろう?』と耳元で繰り返し囁いている。あるふぁと名乗る男が、『アルファが欲しいんだろう?』と繰り返し囁いて──ああ、なんだ、そういうことか。アレか、ホモか。なるほど、なるほどぉ、そういうことかぁ……。

「うぉぉぉおああああ‼︎」

 一刻も早く逃げなければ! しかし全く拘束が緩まない! ホントなんて力してんだこいつ‼︎ マジで人間じゃないんじゃねえか ⁉︎

「離せよ、ホモ野郎! 俺にソッチのケはねえんだよ!」

「ほ、ホモ? まったく心外だな。一体全体、私のどこをどう見たらそういう結論になるんだい?」

「あんたの言動行動すべてだ! とにかく離せや! くそが! この! うぉぉぉおああああ‼︎」

 俺はがむしゃらに身をよじって、離れようと奮闘する。

 が、ホモはビクともしない。

「ふんぬぁぁぁぁあ‼︎」

「ふっ、ほっ……こらこら、落ち着いて。暴れるのは一旦やめにしないか」

 耳元で喋るのやめてくれ! 耳や首筋に息がかかってゾクゾクムズムズするんだよ!

「くそがぁぁぁぁあ! 掘られるのは嫌だぁぁぁぁあ! 女にされちゃうぅぅぅぅう!」

「はっはっは、田中クンは訳の分からぬことを言う」

 ホモが更に密着してきた。

「うわああああああああああああ‼︎」

 泣きそう。

「ふっ、よっ、ほらほらほらほら、いい加減にしないと、──って、ちょ、顔は、やめっ」

「ああああぁぁぁぁ…………ん?」

 今こいつ、顔がどうのって。……もしかして。

「ちょっと、こら! 顔はやめたまえ! だから顔だけは! 顔を重点的に狙うんじゃない!」

「…………」

「だっ、だから顔はダメだって、ちょっ、ぅオイゴラァ! なぜどさくさに紛れて股間を触る⁉︎」

「その方が趣深いから」

「やはり田中クンは訳の分からぬことを言うなあ!」



 ○



 解放は、された。しかし逃走は、許されなかった。

 両者が手を伸ばせばギリギリ届きそうな間隔を空けて、俺とあるふぁは向かい合っている。隙あらば逃げるつもりではあるが、逃げ出したとしてもきっとすぐに捕らえられるだろう。そんな予感がする。そのうえ、こうして対峙しているだけで、相手からただならぬオーラが漂ってくるのを肌で感じられた。目も耳も口も無い、ひとり見ざる聞かざる言わざる状態のあるふぁが、何を見て何を考えているのか、俺には皆目見当もつかない。不気味すぎる。あまりの得体の知れなさに、俺は少々気分が悪くなっていた。

 でも、まあ、殺されはしないはず。と、楽観的と呼ぶには殺伐すぎる独り言を口の中でつぶやいて、俺は腹を据えた。

 おそらく今の俺は、めっちゃキリッとした顔つきをしているだろう。コミカライズ化の際には、このシーンだけ劇画調になっているはずだ。

 そんな様子の変化に気づいたのか、あるふぁが微かに身じろぎした。

「田中クン、キミはアルファが欲しいんだろう?」

 そしてまたコレである。何度同じセリフを言い放つんだこいつは。貴様の前世は村人Aか?

「いや、いらない。だって俺はノーマルだから」

 首を振ってキッパリNOを突きつける。そう、俺はNOを言える日本人なのだ。つい先ほど、告白の末NOを突きつけられた哀れな日本人でもある。

「さっきも伝えたのだが、私は身体の関係を迫っているわけではないんだよ。ただ、プラスアルファを欲するキミの強い気持ちを私が感じ取ったから、こうして馳せ参じたわけであって……」

「プラス、アルファ……?」

 できればその言葉は、今は耳にしたくなかった。俺が振られた最大にして一つの要因が、俺に足りてないなにかしらのプラスアルファ。

 確かに、不思議生命体あるふぁが現れる直前、俺はボルトになりたいとかIQは250くらい欲しいとか、到底叶いもしないような願いを脳裏に浮かべては消していた。しかしたったそれだけの理由で、こんな俺の手には余りすぎる不思議生命体を召喚されてしまっては、もうたまったもんではない。

 このややこしい一幕を手短に閉じるべく、俺は簡潔に疑問をぶつける。

「なぁ、いったい何の目的で、あんたは俺の前に現れたんだ?」

 俺の意図を汲み取ったのか、あるふぁも簡潔に応じた。

「キミに、アルファを授けるためさ」

「アルファを、授ける……?」

「そう、鈴木さんという可憐な女の子に死ぬほどけなされて死ぬほど落ち込んでいるだろう田中クンにアルファを与えるため、私は死ぬほど急いでやって来たということなのだよ」

「おい待て、ちょっと待て。なぜあんたが、俺がこっ酷く振られたことを知っている? まさか全世界に俺の醜態が広まってたりしないよな」

「まあまあ、細かいことは気にしなくていいじゃないか」

「よくない。断じてよくない」

「……田中クンのそういう細かくて神経質なところを、彼女は好ましくないと思っているのでは?」

「ぐぉっ」

 予想外の方向から攻撃を受けた。俺の精神に数値化不可のダメージ!

「男子たるもの、もっとおおらかな心で女の子を包み込むことが肝要だと、私は思っているのだが、どうかな田中クン」

「……ええ、はい。あなたのおっしゃる通りです」

 俺の犬根性あふれる首肯に、あるふぁは満足したのか「うむ」と頷き、

「それで、キミはどんなアルファを望む?」

 逸れた会話を元の道に戻した。

「いきなりそんなことを言われてもな……」

「どんな大層なことでも、どんな些細なことでも構わないよ。例えば、そうだね……イケメンにしてくれ、とか」

「はあ」

「運動能力を底上げしてくれ、とか」

「へえ」

「脚を長くしてくれとか、頭を良くしてくれとか、キラリと光る個性をくれとか」

「ふうん」

「おや、どれもお気に召さなかったかい?」

「……いや、そういうわけじゃ」

「では、他にも例を挙げようか。聖人君子のような性格にしてくれ。世の女性すべてを口説ける巧みな話術を授けてくれ」

「あーはいはい、もう参考例はたくさんだ」

「ほう、何か要望を思いついたのかな?」

「……まあ、そんなところ」

 そう返答して、俺は考慮する。

 しかし、考えるのは欲しいプラスアルファについてではなく、不思議生命体あるふぁの正体についてだ。

 まず第一に、目の前にいるあるふぁとやらが、他人にプラスアルファを授けるという魔法のような能力を持っているとは、俺は思っていない。かけらも信じていない。もし本当に能力を持っていたとしても、そんな大層なモンを俺に与える理由が無いからな。普通に考えれば、失恋に嘆く一介の男子高校生よりも、命と同等と見なせるようなものを切実に欲しがっている人にこそ、プラスアルファを贈与すべきだと、常人は気づくだろう。俺があるふぁの立場だったとしても、冴えない童貞よりも薄幸な美少女の願いを叶えてあげたいと思うもん。

 という能力についての話は、正直あんまり関係ない。

 大事なのは、あるふぁの言動についてだ。

 先ほどから、コイツは俺の告白の件について知り尽くしているような素振りを見せつけている。列挙された参考例に至っては、告白の際に鈴木が指摘した点と深く関連していた。あるふぁが故意にそういう態度を見せているのかどうかは分からないが、当事者でなければ知り得ないことを知っているのは、どう考えても事実だった。ちなみに俺が屋上で告白をした時、その場にいたのは俺と鈴木だけで、他には誰一人としていなかった。あるふぁが透明化という能力を持っていなければその限りではないが、その可能性はまずないだろう。

「どうやら、迷っているようだね。叶えるべき願いの選択に」

 あるふぁの低い声が、俺の思考を途切らせる。

 が、声を聞いたことにより、新たな疑念が生まれた。

 コイツの性別は、どっちなのか?

 声は男のものなのだが、ついさっきどさくさまぎれに股間に触れたところ、そこには男ならあるべきはずのものが無かったように思う。無かったはずだ。確かに、無かった。もっこりしていなかった。ぐんにゃりしていなかった。無論、硬くもなかった。

「あ」

 ──俺の中で、疑念が確信に変わった。

 ただ、脳内で生まれた仮説を証明するには、あるふぁの正体を白日のもとに晒す以外に方法はなく、そのためには、どうにかして彼奴の隙を突かなければならない。俺とあるふぁの間にある距離は、たった一歩では埋められないくらいには離れている。ちょうど二歩分と目測。

 ならば、と。

 俺は、勢いよくあるふぁの後方に指をさし、大げさに目を剥き声を上げた。

「あああっ、あそこでエグザイルが寄ってたかって七輪でサンマを焼いてるぅ‼︎ サンマ丸かじりしながらチューチュートレインしてるぅ‼︎」

 居るわけねえけど。

 しかし、律儀に反応する阿呆が目の前に一人いた。

「えっ、どこどこ⁉︎」

「隙ありィ‼︎」

 途端に女声を発しながら振り返ったあるふぁの頭部をめがけて、俺は渾身の掌底を放つ。握りこぶしによるパンチでなく掌底を選択したのは、できるだけ相手を傷つけたくないというか中身の人間を気遣ったというか、単に暴力を振るうことに対して恐怖を覚えたから。ゆえに渾身の掌底──ではなく、若干勢いを殺した張り手を、俺は放った。

 想定よりも軽い、発泡スチロールのような感触とともに、確かな衝撃が俺の手のひらに伝わる。

 そして、すぽん、ころん、と。

 あるふぁの〝α〟が、脱げ落ちた。

 不思議生命体の頭部だったモノは、大した重みを感じさせない着地音を鳴らし、地面との悲劇的なキスを交わした。いつの間にかそばにいた犬が早速、「なんぞこれ?」みたいな顔をしながら、後ろ足の片っぽを上げてソレに小便をかける。

「あーあ」

 悲劇的に過ぎて、ちょっと罪悪感。

 視線を目の前に戻すと、打ち首の刑に処されたサラリーマンが居た。

「うわっ」

 首なしスーツ人間と呼ぶほかない化け物じみたその姿に、俺はいささかギョッとする。

 まさか、本当に中には人が入っていなかったのだろうか、と思い始めたその時、

 ──めりめりばりばりぐしゃぐしゃぁぁッッ

 と音を立て、荒々しくスーツを内側から突き破るようにして中身が出てきた。現れたのは不思議生命体なんかじゃなく、何の変哲も無い人間。

 その正体は、俺の予想通り。

 制服姿の彼女だった。

 ここでいう彼女とは、つまり彼女のこと。

 シー、イズ、スズキ。

 鈴木だった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アルファが足りてない どれまる @haruta_su14

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ