炎の激情、闇の平静


 《虚無ウィルド》は、命を吸い取る。光を呑み込む。ありとあらゆる力を取り込む。

 ルーンの加護は、守護騎士によって神に心臓を捧げられた聖女による痛切なだ。愛しい男を護るために、文字通り全身全霊を込めて人柱となった聖女たちの、絶望と自己犠牲の狂おしい愛の賜物。

 その魂は、死してなお聖なる薔薇の鎖に縛られ、囚われつづける。気高くも恐ろしい薔薇十字という《力》に。


「よく言った。それでこそ公国最強の名にふさわしい」

 チェシーは薔薇の足場に飛び乗った。刀身のしずくを振り払う。

 大太刀がルーンの蛍光を反射した。まっすぐに伸びる光が、水しぶきを星に変える。


「なるべく早く片付けましょう。早くしないとザフエルさんがまた大変なことになっちゃう」

 ニコルは青い顔でつけ加えた。

 チェシーはふんと鼻で笑った。肩の力を抜いて、余分に入りすぎた力をふるい落とす。

「知るかよ。自業自得だ。そんなことより、さっさと帰るぞ。俺は忙しいんだ」


 足下のザフエルを見やる。

 双方の視線が、炎の激情、闇の平静となって真っ向からぶつかった。


「何度かかってきても同じだ。もはや全滅の運命はまぬかれぬ」

「ぬかせ」

 チェシーが反論する。

「そいつは、ホーラダインが正気を失うほど苦手な怪物スライムだ。やつの身体を使っている以上、まともには動けまい」


「それがどうした」

 ザフエルの眼に嘲笑の光が浮かんだ。

「なに……?」

 どうどうと流れ込む地下水が黒い渦を巻く。積み重なった瓦礫の頂点に立つザフエルの膝を、重たい波が洗った。水の抵抗は増すばかりだ。


「あいにく、私は貴様らと運命をともにするつもりはない。この出来そこないがおぼれて死ぬ寸前に、精神から離れれば良いだけのことだ」

 くつくつと、鼻の奥で笑い声をきしらせる。

「選ぶがいい、虚無の魔女よ。誰を一番に死なせたいか。貴様か。ゾディアックの皇子か。それとも、この汚れた血の出来そこないか? すべては神の定めたもうた運命。逆らうことなど赦されはしないの……」


 全員が同時に足場を蹴った。


「説教が長え!」

 アンドレーエの鋼剣鞭ウルミが円月の斬光を放った。薄緑の水面を、鞭の側面に仕込まれた無数の刃が切り刻む。

「ぱんつ! ダメ! 絶対!」

 ニコルは薔薇の鎖を編み上げ、ザフエルを中心にして高速の螺旋を描く鉄の大渦を作り出した。一気に投げ縄を絞り上げる。


 刃の吹雪がザフエルの頭上に舞う。鉄のつるが何重にも巻きつく。

 甲高い音が跳ね返る。

 どちらの攻撃も、破壊ハガラズの結界ですべてはじかれている。本体には傷一つついていない。

 代わりに、周辺の怪物スライムが蒸発した。派手に水柱が噴出する。ぼこぼこと泡がはじけ、水しぶきがあがり、湯気がたちこめた。視界が白くかき消される。


 音と熱と蒸気による撹乱。


「派手にやれとは言ったが、ここまでやれとは言ってないぞ」

 薔薇の螺旋で舗装された急斜面を、チェシーは猛然と駆けくだった。流れ落ちる激流に乗り、なかば滑り降りるようにしてザフエルの背後へ一気に回り込む。


「そろそろ服が溶け出すころじゃあないか?」

 炎照り映える赤い刃が旋回した。

「裸の王様になる気分はどうだ、総主教聖下!」

 背中を狙って斬りつける。


 ザフエルの杖と片眼とが共鳴した。《叡智アンサズ》の輝きを放つ。

「《聖属性付加アダ・サンクトゥス》!」

 チェシーの頭上にゼロ距離からの《祝福》が落ちた。銀の爆雷が続けざまに炸裂する。


「くらうかよ!」

 鉄の薔薇の傘がチェシーの頭上にふたつ、みっつと花開いた。燦々と降る《祝福》の光をさえぎる。

 閃光と影が目まぐるしく入れ替わった。チェシーはぎらりと荒ぶり笑う。

「こいつら全員、我がゾディアック帝国軍がどれだけ総力で潰しにかかっても結局びくともしなかったどもだぞ」

 最初ハナから当たらない、代わりにしりぞけてくれるものと見越して、攻撃を避けもしていないのだった。

「あんたごときに、そうやすやすと倒せるわけがないだろう!」


 大太刀がザフエルに降りせまる。


 ザフエルは結界を盾にして一撃を受け止めた。黒く艶やかな光の破片が削れ飛んだ。杖が仕掛け罠の枝のように張力いっぱいまでそりかえる。

 遊環をきらびやかに鳴らして受け流す。

 即座に杖頭の先が回頭した。眼を狙って突きを入れる。

 チェシーは重心をそらして回避。間一髪でかわした。

 下から斬り上げて攻撃を払い、二の太刀で襲ってきた無数の槍襖を右に左に斜めに返し、切り結ぶ。

 太刀筋が、華やかなリボンを思わせる残像を描き出した。

 目にも止まらぬ速度で斬り進み、結界を削る。鉄琴をなで斬りにした残響音が響き渡る。

 火花があかあかと散った。


「……まずいな」

 アンドレーエが舌打ちした。顔をしかめる。

「何がです」

 逆さ巾着状態のアンシュベルが、めくれたスカートをなんとかして元通りに押さえようと無駄な努力を重ねつつ、たずねる。

「あのいまいましい結界だよ。さすがにエッシェンバッハのおっさんの結界と違って、そんなにめちゃくちゃ強くはねえようだが」

 眉間に深い皺を寄せる。

「あんだけ壊してんのに、その都度、すぐ再生されちまってる。これじゃあサリスヴァールでも体力がもたねえ」

「ってことは、いくら攻撃しても無駄ってこと……そんなあ……じゃあいったいどうしたら!?」

「おぱんつまるだしのお前が言っても全然真剣味が足りねえけどな」


 何度結界を破っても砕いても、即座に新しく再生される。

 これでは堂々巡りだ。

 破壊ハガラズの結界がある限り、ザフエルを倒すことはできない。


「《聖属性付加アダ・サンクトゥス》が効かぬのなら致し方あるまい」

 ザフエルの顔から笑みが消えた。杖が正視しきれぬまばゆい光を放出する。


  ──‡ 全能なる神と真実と正義の名において、悔い改めぬ者に神の怒りを ‡──


 絢爛たるきらめきが音となり、ねじれ舞う。金色の矢が四方へと撃ち放たれた。白く染め上がる暁の如く、あまねく天を覆い尽くす虹の如く、地を穿ち、空を破る、聖なる光の罰。


「おいばかやめろホーラダイン!」

 聞き覚えのある詠唱に肝をつぶして、アンドレーエが怒鳴った。

「ここでそんな技をぶっ放したら、地上の城や街がどうなるか……!」


「すべては神の御心のままに」

 銀の髪の側のザフエルが冷笑する。《破壊ハガラズ》が闇色に明滅した。


「はっ、どうせそうくるだろうと思っていた」

 チェシーが青ざめて吐き捨てる。

 轟音と光と濁流がうずまく。地面が震えた。

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