それが、最後の虚無の魔女としての僕の使命だ
第一次ノーラス攻防戦における敵方、ターレン・アルトゥーリ率いるゾディアック第十
「これで五対一だね」
ニコルは柱の上で立ち上がった。濡れたドレスのすそを持ち上げてぞんざいに絞る。水滴が指の間からこぼれた。
両手を払って水気を切る。
「対ザフエルさん専用、最強生物兵器。こんなもの使ったと知れたら後で無限説教地獄に落とされるでしょうけどね。もう一度ザフエルさんのねちねち攻撃を受けられるんなら、地獄だろうが魔界だろうが、喜んで突撃してみせますよ」
「五対一だと」
敵が一人増えている。
ザフエルはすばやく周辺に眼を走らせた。元帥二人、ゾディアック人、それから爆弾使いのメイド。残る一人は。
いつの間にか透明な泥沼の領域が先ほどの倍ほどに広がっていた。黒い粒が斑点状に目視できる。リュックは今にも破裂しそうだ。
何者かが足をつかんだ。
深みへと引きずり込んでゆこうとする。
まさか。
水中にもう一人いるとでもいうのか。
「そこか!」
光を帯びた杖を、水中の敵めがけて突き立てる。
ふと。
水面下のそれと眼が合った。
水底に沈んでいた無数の目玉が、声に反応していっせいに浮き上がる。
薄膜のまぶたが、ぱちくりした。
一面、目玉の海。
「かっ、スラ、あ」
意図せぬ声がもれた。
半透明の触覚が無数に伸びて、その中の一本がぺとっ、と。
ザフエルの頬に触れた。なでなでする。
「アヒャ、きょれあ、らめ、うきょけ、ぶばばばば」
黒髪の側の顔半分が硬直する。どうやら無意識の底に残っていた本来の人格が崩壊したらしい。
「この出来そこないが!」
身体の右半分が硬直して、自由が効かない。銀の髪の側の顔が激変した。左手で杖を旋回させる。漆黒の炎が
ザフエル自身が黒い爆炎に包まれる。悲鳴ひとつあげない。燃え盛る自爆の炎の中から、火球の弾丸が放出された。ニコルを狙っている。
「ごめんザフエルさん。もう少し我慢してて」
ニコルはペンダントをからめた指をぱきんと鳴らした。両手のひらを前へ突き出し重ね合わせて、赤と青、二重の防御結界を作り出す。
「必ず、本当のザフエルさんを取り戻すから!」
黒い火をまとった球が結界に命中した。怒号に似た地響きと同時に、ニコルの足元の柱が砕ける。
「うわっ……ととと!」
だが、先に壊れたのは火球の方だった。結界の前にいびつな形で崩れ、火のついた木の葉となって過ぎ去る。
その隙に、頭上からひょいと鞭が伸びた。アンシュベルを逆さまに釣り上げる。
壊れた柱を蹴って、ニコルは後ろ向きに飛んだ。
「みんなが僕を助けてくれた。だから次は僕がみんなを助ける番だ」
空中に鉄の薔薇の花が咲き乱れる。舞い散る花びらが作り出す鉄のアーチをニコルは駆け上がった。
「あはっ、おいたわしや。何と言うお姿に」
アンシュベルが、両手に持った洗面器で覆った顔を痛ましげにそむけた。かく言う本人も上空でぶらぶらと逆さ吊りになって揺れている。裏返しの巾着袋みたいだ。
「……お前さんがやったんだろうがよ、あの《練術》」
鞭でアンシュベルを吊り上げたアンドレーエが、青い顔で突っ込んだ。
「えええ? おかしいですねぇ『マグマトカゲの骨』とそのへんの水で今度こそちゃんとうまく行くはずだったんですけどぉ」
「ちなみに練術検定は何級だ?」
「検定?」
「こっわ……殺る気まんまんかよ……」
「魔女ごときがおこがましい。神を相手に勝てるとでも思っているのか!」
驕り高ぶる声と同時に、ザフエルの杖から数十発もの火球が一斉に射出された。中空で四方向に針路が分かれる。
「そのたかが魔女ごときに恐れをなしたのは誰です。お答えくださいよ、総主教ローゼンクランツ十七世」
火球が放射状に飛ぶ。
足場の上を八艘飛びに飛んで逃げるニコル、薔薇の枝にぶら下がるアンドレーエとアンシュベル、そして背後へ回ったチェシーの後を、白煙がうねって追う。
チェシーは前転して水中へと飛び込んだ。深く潜って炎をやり過ごす。
残る一発は、ザフエル自身の左眼に当たった。銀の髪が燃える。
ザフエルは手で焼けただれた眼を押さえた。
爪を立てる。
「貴様ァ……ッ……汚れた血の分際で! まだあらがうか! 神の御心にそわぬばかりか、引き立ててやった恩を仇で返すとは。もう良い。貴様ら全員、用済みだ。消え去れい!」
ニコルは片足を薔薇の階段にかけ、空中で立ち止まった。集まってきた火球をすべて結界で跳ね返す。
「おおそれながら、消えるのは総主教聖下。あなたです」
《
《
胸に押し当てる。
「もし、《虚無》に世界を滅ぼすだけの力が本当にあるなら、」
薔薇の瞳に、強い決意がみなぎる。
「僕は、その力でみんなを、仲間を、大切な人を、家族を、ザフエルさんを救うためにこそ使う。僕が犯したあやまちをつぐなうために使う。それが、最後の虚無の魔女としての僕の使命だ。あなたなんかが勝手に決めた運命になど、振り回されてなるものか!」
手のひらに赤と薄い青、そして透き通る無色透明の光が凝集する。生まれた硬質のきらめきは瞳の色と同じだった。
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