失敗したと見るや即座に切り捨てる。ずいぶんと滑稽な……無慈悲な神のようだな

「このままじゃ全滅だ。いったん休戦しろ」

 状況の悪化を見て、アンドレーエが仲裁に入る。

「断る」

「お断りします」

 振り向いた双方がきっぱり口をそろえた。


「は?」

 アンドレーエは空いた口がふさがらない。床にたまった地下水や降り注いでくる滝をいらいらと指さす。

「なあ、うすうす感づいてはいたけど、もしかしてやっぱりお前らすっげえばかなんじゃねーの? この状況で何でそんな無理に戦いたがるんだ。放っといたら全員死ぬぞ。それに」

「すっごい寒いです」

 アンシュベルは両手で自分の肩を抱き、大げさに脇をすぼめてぶるぶるした。内向きに膝をすり合わせる。

「変態脳筋のてめえらならまだしも、こいつらはたぶん普通の人間だろ。もし長時間水に浸かって低体温症にでもなったら……おい、アーテュラス。貴公も何か言ってやれ」

 アンドレーエは物騒な目つきでうながす。

 ニコルは真剣な面持ちでうなずいた。

「おっしゃる通りです。ここは全員の力を合わせ、最強技を同時に発動して壁をぶち抜き排水坑を貫通させるって作戦はどうでしょう」

「わー見たい見たーい!」

「却下ァ! 城ごと山体が崩れるわ!」

「そいつらのどこが普通だ」

「これだからノーラスの連中は! 俺がいちばん必死こいてるとか、逆に恥ずかしいわ」

 アンドレーエは顔を赤くして毒づく。


「そうなればツアゼルホーヘンの街も城も住民も無事ではすみますまいな」

 騒がしい作戦会議の間、ザフエルはなぜか何の手出しもしなかった。

 ニコルを取り戻そうとするでもなく。

 崩壊を避けようとするでもなく。

 ただ、無慈悲に流れくだる黒い落水を見上げている。


 チェシーは肩をすくめた。さあらぬていで腕を組む。

「問題ない。さっさとあんたを片付ければ済む話だ」

「珍しく同感ですな」

 かつてのノーラスで行われていた軍議と同じ、皮肉と減らず口の応酬。滝の水しぶきを手庇てびさしで避けながら、いかにもうんざりした顔でチェシーは笑う。

「だが、これであんたも分かったんじゃないか」


 滝の水は、はるか上層の闇から落ちてくる。

 最初、壁を這う白糸ほどしかなかった滝はいつの間にか幅のある瀑布となっていた。伏流水がこれほど一度に地下へ流れ込むとは思えない。

 何者かが意図的に水門を開けたに違いなかった。


 冷え切った風が吹きつけた。靴がぬかるみに浸かる。前髪が濡れ、頰にしずくが落ちる。法衣のすそが泥はねで汚れる。

 それでも、ザフエルは滝を見上げる視線をはずさなかった。水しぶきを避けようともしない。


 チェシーは滝の上層に助けの光ひとつ見えないのを確認してから続けた。

「失敗したと見るや即座に切り捨てる。ずいぶんと滑稽な……無慈悲な神のようだな」

「戯言を」

 ザフエルは眼を閉じた。ゆっくりと息をつく。


 チェシーは改めて大太刀を取り、ぶんと振って鳴らした。手首に留めた藍色のルーンから星の砂がこぼれる。

「あんたは、ニコルを鳥籠の小鳥に見立てたつもりでノーラスに閉じ込めていたんだろうが、本当はそうじゃない。神殿に盲従し、がんじがらめに魂を縛られてきたのはむしろあんたの方なんじゃないのか。教えとやらの真実を見るのが怖くて、あえて偽りの光を、《祝福洗脳》を受け入れ続けてきたんだろう」

 白刃に殺気が吸い寄せられる。


「真実も偽りもない」

 眼を閉じたまま、ザフエルはかぶりを振った。

「たとえ世界のすべてを手に入れようと、たったひとつの望みすら叶わぬのならば」

 青白い口元がほころんだ。息がたちのぼる。

「我が身すら無意味だ」


 チェシーはふと薄笑いを消した。身構える。

「この気配は……」

「いっそ

 かぶせた声が、滝の水しぶきに吸い込まれる。

 ザフエルの姿が闇にかき消えた。床を蹴る。足元の地面が砕けた。水しぶきがねじれ、黒光りする奔流となって吸い上げられる。


 水面に亀裂が入ったかのようだった。水がふたつに割れる。飛来するレイピアの切先がチェシーを狙った。無数の刺突がひらめく。

「あの男もまた、愛してはならない女を愛した」


 チェシーはひるまず真正面で迎えうった。幅広の刀身で刺突を弾き、左右に流し、押し返す。

 甲高い剣戟の響きが何度も耳をつんざく。

 攻撃が首すれすれを何度もかすめる。ただのひと突きが巨木の杭に見える。刃を交えるたびに轟音と衝撃が散った。チェシーは荒々しく片頬で笑い、片側の歯を食いしばった。押し返せない。


「愛するがゆえに絶望し、運命に逆らおうとして、死すべきさだめの命を身代わりに作らせ、それゆえにたったひとつのすべてを失った」


 間合いを詰める。速度は瞬時に近い。互いに溶けた影となってぶつかり合い、決め手となる一撃を与えられず、また飛びすさって離れる。打ち合う火花が水面にこぼれる。蒸気があがった。石油を撒き散らしたかのようだった。


「同じあやまちを、

 ザフエルは眼を閉ざしたままだった。剣さばきを見てすらいない。流れるように体勢を変え、大太刀の手元をすり抜けて切先を突き込む。

「終わりなき罪と罰を繰り返して、ルーンの真の闇たる虚無は無限に増大し続ける。そうなればいずれ神の手にすら負えなくなるだろう」


 チェシーの左袖が切り裂かれる。全身に衝撃が伝わる。裂けた袖の下から紋章がのぞいた。青黒くまたたく。

「だから何だ!」

 地擦りで斬りあげる。すくい上げた水が、ざあっ、と降りそそいだ。あかあかと燃える。

 ザフエルのレイピアの根本に、刃が食い込んだ。

「砕け散れ!」

 力任せに押し込み、ねじりながらへし折る。細い刀身が音を立てて折れ飛んだ。


「生きて外に出れば、再び虚無が目覚める」

 白線きらめく刃が、残光の弧を描いて背後の闇へ消える。

「そうなる前に


 ザフエルは折れたレイピアを投げ捨てた。

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