かごの中の、飛べない小鳥
チェシーは血に汚れた顔をゆがめた。
「貴公と戦う理由はない」
「今のあんたはそうだろうさ」
一瞬、声を荒げそうになる。内心の動揺を見透かされた気がした。だが、口車に乗って激昂すれば、指摘が図星だと認めることになる。
アンドレーエはつとめて冷淡に応じた。ホーラダインの顔が脳裏に浮かぶ。あの男の真似をすればいい。大概いつも取り澄まして、いかにも聖者様でござい、といった面構えをしておきながら。
中身は、実は。
思わず口の端がほころんだ。
ちらっと横目でうかがうアンシュベルの視線に、表情を引きしめる。
チェシーは立っていられずその場に膝をついた。息を深くつく。
「理由を聞きたいところだがその前に頼みがある。ここから上がりたい。手を貸してくれないか」
「今からぶっ殺す相手を助けるアホウがどこにいる」
「丸腰の相手を上から一方的に攻撃するのか」
「るっせえ悪魔野郎。ホーラダインを穴だらけにしたくせに」
「さっき百倍にしてやり返されたが?」
アンドレーエはくちびるをひん曲げた。
チェシーは動じない。
アンシュベルが、二人の顔を見比べた。にくきゅう手袋を打ち合わせる。
「そうだ、良い考えがあるです」
眼をきらきらさせ、背負っていたリュックをおろす。中身を広げた。出てきたのは爆弾の束。はぶらし。色とりどりの毛糸のぱんつ。マフラー。いちごキャンディの包み。
しばし眺め、思案投げ首したのち。
「こうして、こうして、こうやるとですね」
マフラーに毛糸のぱんつを結んだ。陥没孔から身を乗り出し、ぱんつを垂らす。
「じゃじゃーん! これにつかまるです、准将さん」
アンドレーエは頭を抱えた。
「おい待ておかしいだろそれ絶対。やつは敵だぞ!」
「なんで?」
アンシュベルはきょとんとした。
「来る者は拒まず、去る者は追わずって言うですよ」
「誰が」
「師団長が」
「俺もよく言われたよ」
「おまえらグルだろ絶対」
アンドレーエは遠い目をして空を仰いだ。その間にも、アンシュベルはぱんつのロープを万国旗のようにできるだけ長く伸ばしていた。これなら底にまで届く。
チェシーは目前に垂らされた色とりどりのぱんつを手に取った。ゆらゆらと左右に揺らす。
「俺のは赤に金ラメの刺繍入りだったが。あんたのは」
「穿いたのかよ」
「迷彩模様だな」
「見んな」
「あたしはいちご」
「言わなくていい!」
「ちなみにホーラダインは黒」
「あああ、くそったれ。アンシュ、下がってろ。俺が代わる」
たかが女の細腕一本で、チェシーを引き上げられるはずもない。しぶしぶアンドレーエが手を貸そうとしたとき。
チェシーは、何気なく握ったぱんつの糸を引いた。
アンシュベルがつるっと足を滑らせる。
「きゃあああ……」
悲鳴が放物線を描いて宙に飛ぶ。
すとんと落ちた。かすり傷ひとつ負うことなくチェシーの腕に収まる。
「人質一名確保」
チェシーは痛ましげに眼をそらした。
「あり得ねえ」
アンドレーエは頭を抱えた。やることなすことことごとく自爆。墓穴を掘らずにはおれぬアンシュベルの貧乏神っぷりにはほとほと呆れ果てて茫然自失である。
アンシュベルはもじもじした。両手をもみ合わせ、気恥ずかしげな上目遣いで見上げる。
「てへ、落っこちちゃいました」
「けがはないか」
「大丈夫でっす」
「てめぇ、アンシュをどうするつもりだ! 返せ!」
「たとえ敵同士だろうと、困っていれば正々堂々ぱんつを送るのが騎士の鑑。少しはアンシュベルを見習え」
「この卑怯者、何が騎士の鑑だ、話をそらすな。風上にも置けねえのはそっちの……!」
「おまえがぱんつを引っ張れば万事うまくいく」
「誰が助けるかーッ!」
「仕方ない。自力でなんとかしよう。つかまれ」
「はいです!」
「くっつくな!」
チェシーはアンシュベルを腕にゆすりあげた。勢いをつけて一気に陥没孔の岩肌を駆け上がる。
「到着」
地面に辿り着くと、アンシュベルを下ろした。アンドレーエは烈火の形相で駆け寄る。
「てってってめえ、べたべた触るんじゃねェ返せッ!」
まずは一番にアンシュベルを奪い返してから怒鳴りつけた。
「っていうか、自分で上がれるなら何で最初から上がってこない!」
チェシーは疲れたため息をもらした。
「動いたら殺すって言ったからだろ」
「今からでも殺していいんだが!」
「急かすな」
アンシュベルがチェシーの足下に散る赤い色に気付いた。眼をみはる。
「准将さん、お怪我されて」
「構わない」
チェシーは首を振った。アンドレーエを見返す。
「もうひとつ聞こう。どうしてティセニア軍元帥のお前が、アンシュベルを助ける」
「うっせえもう元帥でも軍人でもねえんだよ! さっきみたいにケムに巻こうったってそうはいかねえからな」
「助けたいと思った理由を問うている」
険しい眼がアンドレーエを射た。決意がみなぎる。
「ニコルの本当の素性を知っていたのは、おそらくレディ・アーテュラスと」
アンシュベルに眼を向ける。アンシュベルはうつむいた。にくきゅうの手袋を心もとなく揉み合わせる。
「全部知ってました。師団長が本当は……母さまの……娘じゃないってことも。だからこそ、あたしが師団長を守らなきゃならないってことも」
アンドレーエはアンシュベルを抱き寄せた。肩がふるえていた。
「それ以上は言わなくていい」
「《
また、ぽたり、と赤い血が落ちた。
「とすれば国情安定のためにアンシュベル一人が異端隠避の全てを負わされる。そう思ったから助けたのだろう」
アンドレーエはチェシーの足下を睨みつけた。眼をそらす。
「決めつけんな」
「俺も同じだ」
「嘘つけ!」
「イル・ハイラームで、彼女と逢った」
チェシーは冷え冷えと咲く鉄の薔薇を見上げた。
「潮風が涼しくて、星のきれいな夜なのに、周りの連中は俺の知らない曲を楽しげに弾いて歌って、俺の知らないダンスを踊ってる。なのにニコルそっくりの薔薇の瞳で、あいつそっくりに笑って泣いてわめいてじたばたするんだ。すっかりだまされたよ。そりゃあ、最初はからかって遊んで、それっきりにしようと思った。でも、本当にそれっきりだったんだ」
異端の血を引く薔薇の系譜を。
「さんざん言われたよ。『彼女の存在をばらせば殺す』ってな。そんなことできもしないくせに。だから口先ばかりだと勘違いして腹がたった。彼女を踏み台にして自分だけが外の世界で自由に振る舞っているとばかり」
かごの中の、飛べない小鳥を。
「このままだとあいつを嫌いになる。あんなへなちょこのおっちょこちょいの、人のことを馬鹿正直に信じるしか能のないお人好しのおたんこなすを、嫌いになどなれるわけもなかったのに。だから全部、あきらめた。彼女への想いもあいつへの友情も人間らしい心もすべて忘れてしまえば、目的が達せられると思ったんだ」
がんじがらめの支配から、必ず。
「なのにあいつが彼女だと、レイディ本人だと気付くのがあまりにも遅すぎた。ニコルを守れなかった。全部、俺のせいだ。俺が間違っていた。俺が傷つけた。俺が無力だった。だから、もう」
解き放つ。
「二度とあきらめたりしない」
夜の渦の中心に、ひときわ強く。星が光った。
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