ホーラダインがここに来た、本当の目的は何だと思う

 宮殿の近くで、光の柱が続けざまに落ちた。光弾が空中で四散。白煙を引いてしだれ落ちる。

 暗雲がちぎり取られる。空が白くなる。

 一瞬遅れて、大地が鳴動した。噴水の彫像が浮き上がった。吹き飛んだ。きりもみ状態で横転する。

 手がもげ、足が折れ、顔が削がれる。何もかもが原型をとどめていなかった。


「後を追うぞ」

 チェシーはくちびるを噛みしめた。身をひるがえす。

 アンドレーエは立ちふさがった。押しとどめる。

「みすみす行かせるわけにはいかん」

「ホーラダインを止める他にニコルを助ける方法はない」

「それでも、あいつなら。ホーラダインなら、何とかしてくれるかもしんねえだろ」

「冷静に考えろ」

 チェシーは深呼吸した。強い言葉をぶつけ合っても返ってくるのは反感だけだ。

 説得の言葉を探して、血に汚れた唇を湿らせる。


「《虚無ウィルド》は薔薇十字ローゼンクロイツにとっては、あってはならないルーン、解き放ってはならない力だ。もし、ニコルがその力に覚醒してしまったのだとしたら」

 チェシーは制止するアンドレーエを静かに押しやった。

「ホーラダインがここに来た、本当の目的は何だと思う」


 アンドレーエは言葉をなくす。


 《虚無ウィルド》の影響が強まっていたとき、ルーンを作動させようとしても、何の抵抗もできなかった。輝きを失い、力を失い、無理をすれば息絶えてしまいかねなかった。

「そりゃあ、アーテュラスを《虚無ウィルド》から助け……」

「違う」


 チェシーはアンドレーエの背後に広がる浄化の光を振り仰いだ。

「レディ・アーテュラスがおっしゃっていた。ホーラダインにだけは絶対に気を許すなと。あいつは」


 白い、どこまでも白い浄化の光が。


「ホーラダインは」


 背反する罪と罰のすべてを白日のもとにさらけ出してゆく。


「ニコルを、殺しにきたんだ。異端の魔女として」

 こぶしを握り固める。声がかすれた。喉の奥でくぐもる。

「こんなことになったのは俺のせいだ。あいつを裏切って、傷つけて、苦しめた。苦しんでいると分かっていたのに、何もしてやれなかった。全部、俺のせいだ」


 チェシーは足を引きずって数歩よろめき、すぐに速度を上げて走り出した。



 闇の翼が、ぞわり、のたうつ。

 限りなくゆっくりと、何かを引きずって、動く。

 明かりはない。ただ暗く、重苦しい悲嘆に暮れた微光が、かつて窓だった壁の穴から斜めに射して、床の瓦礫を矩形に浮かび上がらせる。

 死の匂いに引き寄せられた闇紫色の蝶が、無数に飛び交っていた。

 中途で折れた柱を、鉄のいばらが絞めあげる。砂が落ちる。天井にあったはずのシャンデリアが、そのきらめきをねじ切られ、ホール中央に墜落した。残響とともに、夜の色の水晶が散乱する。


 かつての栄華を失った廃墟の斜塔のごとく、倒れる。


 ホールを豪奢に取り巻いていた大階段は、踊り場から上の段がなかった。神殿風の様式を模した手すりは無惨に薙ぎ払われ、もぎ取られている。

 ねっとりとした深紅の匂いが立ち込める。残酷なまでに甲走った音。ガラスの砕ける音が、反響する。

 壁布が破れて、引っかかって。吊り下げられたからすの死骸のように揺れていた。


 巨大な鉄の薔薇が、闇黒の虹を放って狂い咲く。


 昨夜までは。

 令嬢たちが花のドレスをまとい、享楽の甘い春の香りを馥郁とさせてさんざめいたであろう廊下に。

 朗々と声を響かせる歌い手が、偽りの恋、滑稽な恋、涙こぼれる悲恋の物語を演じわけていたであろうサロンの壇上に。


 今は、音もなく、虚無の棘が。びっしりと黒くはびこっている。


 人の姿はない。

 空気がよどむ。

 生きよう、などと思うことすらできない。すべてを拒絶する無が、空間律を支配している。風化した意識の断片だけが埃となって舞う。

 虚無に満たされた、負の空間。


 何も、見えない。

 誰も、いない。

 消し去られた無言の絶叫だけが響き渡っている。叩きつけられ、壊れゆく悲鳴。聞こえない痛哭。


 何一つ、残らない。

 思い出も。

 絆も。

 指先で触れた瞬間に、すべて、砂に変わる。


 闇の底に、白い裸身が、幼な子のように膝を抱いて。ちぢこまっていた。


 いばらのとげが、ねじれかえっては鉄の飾り格子にからみつき、天井から天井へ、壁から壁へ、朽ち果てた屋敷の蜘蛛の巣のように張りめぐらされる。

 ゆがんだ光のかけらが、床に転がった。


 光の鎖の残骸。魂を縛りつけていた聖なるくびきの成れの果てが、たまゆらの残響を鳴り渡らせる。


 黒い花びらが、舞い散る。

 静寂が闇を押し包む。

 常軌を逸した慟哭が、空気をふるわせる。


 音のない世界に、ふと。靴音が響いた。

 一歩、また一歩と。

 瓦礫を踏みにじり、死の花びらを踏み越え、迷いもせず一直線に近づいてくる。

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