あたしはぁ~可愛い~毛糸のぱんつ売りの少女ぉぉ~~、

 風の音と、森の音と、静かなせせらぎの音と。

 少し傾きかけた陽射しは柔らかく、夕暮れのきざしに似た金色を含んで足下の影を淡くにじませている。

「アーテュラスは無事だ」

「はい」

「何度も言うように、あいつには利用価値がある。絶対に傷つけられるようなことはない」

「……はい」

 アンシュベルは膝を抱えた。流れる水面を見つめる。

「アンシュもそう思ってるです。准将さんだって……何かの間違いか、きっと、何かほかに理由があって……それで……」

 そのまま顔を膝に埋め、声を殺し、悲痛にうめいて。


 ずっと、ひょうきんに振る舞っている下に忍ばせていた思いが、ついに噴き出したに違いなかった。

 肩を震わせ、しゃくり上げるアンシュベルを、アンドレーエはどうしようもなく気後れしながら、ちらちらと見やった。

「泣くなよ」

 素っ気ない口振りで突き放そうとしてはみるものの、どうもしっくりゆかず。

 かといって慰めようにも、何をどう言えばいいのか泣き止んでくれるか分からず、仕方なく唇をひん曲げていらいらと阿呆な自分を責め、頭を掻きむしる。

「すまねえ、悪かった」

 手を伸ばそうとして所在なくためらい、また草をちぎって、そこらじゅうを丸刈りにしてしまったあと。

 自分の不甲斐なさをえいとばかりに振り払って腹をくくり、アンシュベルの震える肩に手を置いて、ぎゅっと引き寄せる。


「大丈夫だ、何とかなる。きっとだ」


 いつもは、きゃあきゃあと大げさに笑い転げていたアンシュベルが、まるで子どもに返ったような大声を上げて、わっと泣き崩れる。

 アンドレーエは、ずっと黙って受け止めていた。


「ごめんなさいです」

 ひとしきり泣いて、ようやくアンシュベルは、ぐすっと眼元をごしごしして、顔を上げた。

「あたしのせいで、アンドレさんまで脱走兵になっちゃった」


 アンドレーエは、薄暗くなりかけた空を切り取る木立の黒い影を見やった。北の空に、白い星。カラスが鳴き交わしながらねぐらへと飛んでゆく。

「脱走じゃない。取り戻しに行くんだろ」


 アンシュベルは、涙でいっぱいになった目をぱちくりと大きく瞠った。

「えっ? 本気で?」

「俺を誰だと思ってる。ゾディアックに侵入するぐらい朝飯前だぞ?」


 どこか遠くで、かあ、かあ、とカラスが鳴いている。


 西の空は透き通った茜色に染まっていた。うっすらと金色にかがやく雲が吹き流れている。もう夕暮れだった。

「ブリスダルは大きな街だ。冬の間は戦争もないし、今の季節ならあちこちから山師やら商人やら石工が大量に集まってる。そいつらにまぎれて、堂々とゾディアックへ渡ろうぜ」

 さすがに、魔物がうようよしているかもしれない森を越えるのは提案できなかった。


「ゾディアック……」

 アンシュベルは怯えた表情で身を引いた。

「敵国です」

「敵か味方かの区別は、本来、銃を持った兵隊以外の一般人にとっちゃ何の関係もねえんだよ」

 アンドレーエは、足元に散らばる葉っぱの切れはしを拾い集めながら言った。ヤギが食った後のように、丸く土の色がのぞいている。

「敵国の人間だろうが、同じ人間には違いない」

 遠い記憶を追いながらつぶやく。

「ノーラスで同じ釜の飯を食った仲間同士で、殺し合うようなことになる前にさ。そんなこと……あいつらにさせたくねえだろ」

 アンドレーエは、手の中で無駄に増えた葉っぱを、風に乗せてまき散らした。

 手のひらの埃を払い落とし、立ち上がる。


「ぐずぐずしてると、本当に真っ暗になっちまう。今日は適当にどこかの家畜小屋にでも潜り込んで、夜露をしのぐとしようや。明日から強行軍だ。ほら、立てるか」


 アンドレーエはアンシュベルに手を差し伸べた。いたずらっぽく笑いかける。

「行こう」

 アンシュベルは残った涙をエプロンで拭いた。ぐすんとしゃくり上げて、それから笑う。

「はいです!」

 勢い込んでうなずく。

 差し伸べた手、差し伸べられた手を。

 互いにしっかりと握り合って。アンシュベルは立ち上がった。



 緑に白のぐるぐる模様が入った布包みを背負い、斜め掛けのかばんをさげ、ネコ耳のついた赤ずきんをきゅっと結べば、どこから見ても立派な行商娘のできあがりである。


「あたしはぁ~可愛い~ぱんつ売りの少女ぉぉ~~」


 すっかり町娘ふうに変装したアンシュベルが、道の真ん中でくるくると回転している。

 その様子を、アンドレーエは唖然と見つめた。

「その歌はどうかと思うが?」

「ぜんぶアンシュお手製の刺しゅう入り!」

「は?」

「見ます? 可愛いの入ってますよ。ピンクのぞうさんアップリケとかぁ。真っ赤ないちごちゃんとかぁ。あと毛糸の乳バンドもありまぁす!」

 アンドレーエは、即座にぶんと首を横に振る。

「遠慮しておく」

 アンシュベルはまったく聞いていなかった。両手を結び合わせ、祈りを捧げるふりをしながら、あっちへつつつ、こっちへつつつつとつま先立ち。楽しげに歌い踊っている。

「あたしはぁ~可愛い~毛糸のぱんつ売りの少女ぉぉ~~」

「問答無用でぱんつかよ」

 がくりと肩を落とす。

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