何やってんだ、あのバカ娘!
「こんなもんが売れるなんて世も末だな……」
ブリスダルへ近づくにつれ、復興特需を当て込んだ商人の一行を見かける回数はますます増えた。どこへ行っても、何を幾らで仕入れて売れば一山当たるかといったような話題ばかり。
その辺の隊商の最後尾にくっついて歩けば、そのままちゃっかりブリスダルへ入り込めそうな気さえした。
しかし、すべてが元の活気を取り戻したわけではない。戦争の爪跡はそこかしこに色濃く残っていた。
春小麦の畑は踏みにじられ焼き払われて一面黒く煤けている。働き手を兵士に取られた農園には、野良仕事にいそしむ者の姿もなく。
果樹の枝は実りの時期を待たずして叩き折られ。家畜の囲いも壊されたまま。
銃火に曝され、顔に醜い穴のあいた案山子が、ぶらぶらと揺れていた。
アンドレーエは薄汚れた帽子を目深に引き下げた。
えぐられた銃撃の跡が生々しく残る穀倉横の階段に腰を下ろし、皮水筒のエールをあおる。
今のところ、手配書の高札が回っている様子はない。
それでも、油断はできなかった。
「アンドレさん、あたしおなかすいたです」
「そうだなあ……」
牛馬に荷車を曳かせた商人一行が、次から次へと通り過ぎてゆく。彼らの後について歩いてゆけば、夕方頃までにはブリスダルの遠景を望めるだろう。
アンドレーエはがらくた売りを偽装した荷車に手をかけ、立ち上がった。
「じゃあ、不本意ながら刺しゅう入りのぱんつを売りに行くか……」
「はいです!」
街道伝いに、しばらく歩き続ける。やがて次第に道幅が広くなり、家が増え、行き交う人々の姿が頻繁に見受けられるようになってきた。
道行く先々に商店が軒を連ねている。
ブリスダルは、川の中州に数十本の橋を相互に渡して築かれた、水上の街だ。
大小の運河で細かく分断され、迷路のように入り組んでいる。夜になれば跳ね上げられてしまう小さな橋も多い。
だが、商人たちにとっては、迷路こそが天国への道。
大金を積み、河川交易の手形を手に入れさえすれば、自由に運河を通行できる権利が与えられる。
あとは、心ばかりの気持ちを役人に握らせておくだけでいい。
川魚を焼く香ばしい匂いが、あちらこちらから漂ってくる。
ライエル弾きが肩に掛けた手回しオルガンを忙しく回し演奏するかたわら、仕事帰りの男たちがジョッキを片手にご機嫌な歌をがなり立てていた。
まるで、戦争がしでかした野暮な不始末を笑い飛ばしているかのようだった。
陽が落ちても不思議なほど人出は絶えず、賑わいも止まない。
夕霧に押し包まれる河のほとり。
壁や店の軒先に、漁り火を利用したガラス玉の燭がいくつも縄で連ねられてぶら下がり、からり、からりとぶつかりあっては風に揺れる。
不格好な半透明の手吹きガラスを通した丸い炎の色は、不思議に霞んで柔らかく、どこか郷愁にあふれていた。
人影と物影とが、希薄に重なる黄昏の薄闇。
そんな陽気な夜には似つかわしくない、小競り合いめいた声が聞こえてくる。
前方に、不満をくすぶらせて吹き溜まる人だかりが見えた。苛立ちの声がそこかしこから聞こえる。
アンシュベルは眼をぱちくりとさせた。
「何でしょう、あの行列。あ、もしかしてケーキの美味しいおみせやさんだったりして?」
「行列だと?」
アンドレーエは用心深く身構えた。
眼をすがめて、先を見透かす。
かがり火が見えた。
ブリスダルへと渡る橋の手前に、急造の柵が組み上げられていた。通行止めだ。
とてもケーキを売っているようには見えない。
あかあかと夜を照らし出す炎に道をさえぎられ、今夜の宿を惜しんだ商人たちの不平の声が高まってゆく。
喧騒の彼方から、武具を鳴らす不穏な音が聞こえた。
「やばいな、もしかして検問……」
言い終える前に、いきなり。
「あたしちょっと見てくるですっ!」
風呂敷の大荷物を背負ったまま、アンシュベルが走り出した。
「何だとーーっ!」
「大丈夫大丈夫、行ってきまーす。ケーキっ! ケーキっ!」
素っ頓狂な笑い声をあげ、列の先頭めがけてすっ飛んでゆく。
「待てアン……!」
思わず名前を叫んでしまいそうになって、アンドレーエは両手で自分の口をふさいだ。
どう考えても飛んで火に入る夏の虫。
あわてて後を追う。
銀の槍を持った法衣の影が、物々しい雰囲気で歩き回っている。殺気立った空気が、騒然と揺らめき立った。
熱気を受けた銀の穂先が、ぎらりと赤く反射する。
「女だ。若い女を見つけたら関所へ連れて行け。取り調べる」
声が吐き捨てる。間違いない。神殿騎士だ。
「くそっ、思ったより手が回るのが早いな」
さすがに狼狽を押し隠せず、アンドレーエは前のめりにつんのめった。
まさかいきなり待ち伏せされているとは思わなかった。
ほぞを噛み、四方を見渡す。
アンシュベルの格好を思い出す。身体の倍ぐらいある大荷物をしょい込んだネコ耳赤ずきん。
そんなもの、相当に目立つと思ったが、なぜかどうしても見当たらない。
人混みを掻き分けて探そうにも、誰もが意外と似たような格好をし、荷車を引き、大荷物を担いでいる。
何としてでも神殿騎士に発見される前に見つけ出してやらなければ。どんな騒ぎを引き起こすやらしれない。
「ああもう世話の焼ける……!」
アンドレーエは業を煮やし、帽子を取って、くしゃくしゃの髪を掻き回した。手首のベルトに留めた《
アンシュベルの声を、騒音の中から探す。
ルーンの波長が澄んだ音となって響き渡る。ふと、別の共振がかぶさった。
だが、思ったより微弱で、何のルーンか判別はつかない。
構わず強引に《
邪魔な騒音が、吸い込まれるように消えた。
怖いほどの静寂が耳に染み入る。
遙か彼方、人混みの奥の奥に大荷物を背負って右往左往しているアンシュベルの姿が見えた。今の状況に気付いているのかいないのか。
両手をメガホンの形にして口に当て、いきなり叫び出す。
「アンドレさああん、ねえ、どこにいるですかああーアンドレさああん」
半泣きの声が飛び込んできた。
「ふええええんアンドレーエさあん! どこいっちゃったですかああ! アンシュは迷子になっちゃったですぅ……!!」
やはり思った通りだ。アンドレーエは愕然と顔を引きつらせる。
アンシュベルの身も蓋もない呼び声に、神殿騎士が顔をあげ、振り返った。気づいたらしい。
即座に呼子の笛を鳴らして仲間を集め。武具の音も猛々しく、アンシュベルを包囲する。
アンドレーエは、イーサの効果を振り払った。
「何やってんだ、あのバカ娘!」
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