12–6 栄光の旗の下に

人であることすら棄てて、いったい、何を守ろうって言うんだ

 炸裂音が響き渡った。激しく燃える照明弾が、まばゆい白煙と、けたたましい風切り音を引いて森を駆け抜ける。

 奇怪に歪んだ樹木の影が、放射状に引き延ばされて闇に踊る。強すぎる灼熱のまばゆさに、魔物でさえもが退いてゆく。

 ユーゴは遮光ゴーグルをはずした。硝煙ただよう手筒を下ろす。

「師団長。照明弾は、残りあと五発です」

「その後ろ向きな数え方はやめろって。辛気臭え。もうそこまでお迎えが来てるっていうのに」

「天国からの?」

「てめえからお先にどうぞ!」

 アンドレーエは、鼻で笑った。分厚い手袋をはめた手を振りかざす。

「《静寂イーサ》の加護あれかし。行け」

 その手で肩に触れた兵は、《静寂イーサ》の迷彩に守られ、すぐに見えなくなった。四方八方へと散ってゆく。闇の奥で、暗緑の燐光が、するどい軌跡を描いて飛び交った。

 生き残ったヴァンスリヒト隊の残党が、部隊の前方で剣を振るい始める。

 アンドレーエは足を止めたままだった。《静寂イーサ》の効果を多数に及ぼしたまま維持するには、相当の集中力が必要だ。片手間にはできない。

 その間、自分自身の身を守ることすらできないほどに。

「いいか、どうせならこう言えってんだ、『すばらしいことに、まだ、残り五発もあります!』」

 動けないので、仕方なく口ばかりが達者になる。

 ユーゴは、膝に縛り付けた革鞘から、山鉈を抜いて構えた。手の中でスピンさせて持ち替える。

「『残念なことに、もう、たったの五発しかありません!』」

 まだら模様の巨大な蟲が、壊れた折りたたみ傘みたいな脚をばたつかせて目の前に迫ってきた

「何でも前向きに考えたほうが楽しいだろ」

「それを現実逃避と……《白炎射はくえんしゃ》!」

 薙ぎ払う刃が、白熱する炎の尾を引いて旋回する。ユーゴが鉈を振るうたび、ちぎれた脚が、ばらばらと音を立ててその場に散った。

 アンドレーエは不満たらたらで唇をとがらせた。

「戦闘用の《カード》、いいなあ。俺も、技名を連呼しながらポーズキメるカッコいいやつが欲しい。くまに塹壕の穴を掘らせるとか、ピヨピヨ鳴いて鳥を呼ぶとか、そんなのしか持ってねえよ……」

「指をくわえて見てないで、まずは現実を直視してください。《静寂イーサ》の効果が弱まってますよ!」

 アンドレーエは、仕方なく口をつぐむことにして、ルーンの効果を持続させることに集中した。

 ユーゴも、口ではさんざん難癖をつけつつも、表情はいつもと全く同じ。困ったような苦笑顔のままだった。次々に、魔物を片付けてゆく。

「さてと」

 軽口ばかりを叩いてはいられなかった。動けないのであれば、代わりに頭を働かせておかねばならない。

 嫌な憶測が脳裏をかすめた。

 度を超した召喚は諸刃の剣だ。無限に生み出される魔の連鎖を断ち切るのは、たとえ召喚主であっても、容易くはない。

 アンドレーエは、血の気の失せたくちびるを噛みしめた。通常の軍隊に、魔を根絶する力はない。それは、ティセニア軍であろうが、ゾディアック軍であろうが同じことだ。

 放置すれば、いずれ何人たりとも入り込めぬ虚の領域と化す。

 不毛の地、暗黒の森、死の城砦。

 たとえノーラスが戦略地図から消えても、ノーラスを取り巻く情勢は変わらない。

 以前、ツアゼルホーヘンで吐き捨てた残酷な評価を、アンドレーエは思い出していた。

(籠の中の哀れな小鳥。火線に晒され、闇に狙われ、あたら命奪われる時を待つぐらいならば、いっそ)

 魔を滅するかりそめの英雄として。偽りの光、祭り上げられた傀儡の救世主として。

 闇をもって闇を禊ぎ、異端たる堕罪の血を洗い流してこそ。

 偽りの闇は、真実の光となる。

 たとえ今を生き長らえたとしても同じこと。何度でも、何度でも、魔の討伐へ投入され続けることになる。

 刀折れ矢尽きるそのときまで。自ら、散華を選び取る他なくなるそのときまで。


 アンドレーエは、殺伐とした眼で、地面に跳ねる泥を睨みつけた。

 どこからか来る微光を反射して、水たまりが青く光っている。

 見上げると、枝先がそこかしこで青く帯電していた。悪魔の火が燃えている。

 嘲笑う声がした。翼を持つ薄暗い影が、枝から枝へ、点々と飛び移ってゆく。道を教えているかのようにも見えた。

「師団長。全部、片付きました。前進できます」

 雨にかすむ白い吐息を吐き散らし、ユーゴが戻ってきた。

「ご苦労だったな。先に進めそうか」

「心なしか、突然、魔物の数が減ったように感じました」

「だろうな。そんな気がした」

 声がざらついた。先ほどの影が、吸い込まれるようにして消えていった先の闇へと、視線を走らせる。

 アンドレーエは薄暗い表情を浮かべた。手負いじみた眼をぎらつかせる。

「……人であることすら棄てて、いったい、何を守ろうって言うんだ。そうまでして護りたいものが、いったい、この国のどこにある?」

「……師団長」

「ユーゴ。俺は、絶対に死なねえからな。ゆくべき人の道を迷わせ、帰るべき道を見失わせるような真似は、絶対にさせん」

 ユーゴは、揺れ動く眼でアンドレーエを見やった。

「……変なフラグ立てるのはやめてくれませんか」

「違ぇよこの野郎!」

「だって、今のは、『俺この戦争が終わったら結婚するんだー』とかいうアレのことでしょう」

「泣くぞコラ! フラグ立てるにはまず相手が必要だろチクショウ言わせんな」

「何と。意外ですね。小官でさえ……おっと」

「貴様! いるのか!? 神殿騎士のくせにいるのか!」

「……フッ」

「ムカつく! 貴様の除隊は撤回だ。絶対に逃がさんからな! もう帰る!」

 アンドレーエはガニ股で傍若無人に歩き出した。その背後で、ユーゴは、背中の荷物を確かめつつ、大事に揺すり上げる。

 絶望にも似た予兆が迫り来る。

 アンドレーエは、暗鬱の森を振り仰いだ。

「ティセニアに戻れたらやりたかったことが、あいつにもあった筈なんだ。それを伝えてやらなきゃならねえ」

 樹木の枝先に宿っていた青い道標の炎はもう、なかった。


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