《先制》のエフワズ
なぜ、よりによって隠れる先に選んだのが自分の背中なのか。
「とぼけた顔してアーテュラス、貴公も案外隅に置けない奴だな。いつの間にそんな間柄になった?」
アンドレーエは、笑ってニコルを肘でつついた。にやにやと下世話な探りを入れてくる。
恥ずかしながら生まれてこのかた言われたことのない言葉を向けられて、ニコルはポカンと口をあけた。
「そんな間柄って、どんな間柄ですか?」
「背中にかばった女子に聞けよ」
「アンドレーエ」
さすがに目に余ると思ったのか。エッシェンバッハは、弓なりのするどい眉をひそめ、たしなめた。
「いくら、女性との縁のなさでは小アーテュラス卿も貴公とどっこいどっこいだったとはいえ、モテない嫉妬をそうもあからさまにするものではない。腐ってもルーンの嫡流だぞ」
「そ、そうですよアンドレーエさん。エッシェンバッハさんの仰有るとおり……えっどっこいどっこい?」
横合いからふと、誰かの酷薄な視線が突き刺さった。
一瞬、右腕にはめた《先制》のエフワズが赤く、苛烈に光る。
ニコルは息を押しこごめた。顔を伏せたまま、すばやく視線を左右へと配る。
「確かに、女性の扱いに関しては卿とそいつはどっこいどっこいのようだな」
小馬鹿にした顔でチェシーがせせら笑う。
「何だとう!? 貴公にだけは言われたくないぞ。俺だって決してモテないわけではないのだ。ただ、
アンドレーエが憤懣やるかたなしの紅潮した顔で詰め寄った。チェシーは肩をすくめ、ニコルを顎でしゃくる。
「メガネ副官ってこいつのことか?」
「アーテュラスが俺の副官をつとめられるわけねえだろうが!」
チェシーはアンドレーエと口さがない舌戦を繰り広げている最中。一方のエッシェンバッハは、まるで興味なさげな態度で、ポケットから黒革の手帳を取り出してページを繰っている。もとよりザフエルは敵視の対象にあらず。
とすると、今の視線はいったい誰の――
ニコルは、わずかに歯を噛みしめた。
もしルーンの反応精度を探られたのだとしたら。今はとにかく、何も気づいていないふりをして、この場を取りつくろったほうがよさそうだ。
「的中率十割で女性と見ればいきなり口説き始めるチェシーさんと僕らをいっしょくたの扱いにしないでください」
ニコルは苦笑いをつくってみせた。あたふたと両手を振り回し、いつもどおり、必死に弁明するそぶりをして見せる。
「誤解ですよ。こちらのレイディとはその、まだ別に、何も」
背後から、沈痛なまでにちいさく、息を呑む音が聞こえた。
「閣下は、わたくしのことを、お疎みに……?」
「え」
思わず耳を疑う。
レイディ・ユーディットがニコルから離れ、後ずさった。両手を口元で揉みしぼり、くちびるに押し当てる。吐息の凍りつく青ざめた色が見えるようだった。
「えっ、いや、その、ええっ!?」
心外すぎる反応に、ニコルは慌てふためいた。もしかして大失言やっちゃった? 感ありありの怖気づいた眼差しを、ザフエルへと向ける。
「そ、そういう意味では、えと、あの、な、な、何が、その、どうなって、えっ?」
だがザフエルはニコルを見てすらいなかった。遠い城壁や氷の噴水、白く雪をかぶった針葉樹の連なる庭の奥にかすんで見える黒い尖塔の周辺を、見るともなく眺めている。
チェシーがザフエルの視線の先にあるものを追って背後を振り返った。眼をけわしくすがめる。
「申し訳ございません」
レイディ・ユーディットは取り乱した素振りをおさえ、ようやく気丈に微笑んだ。目の縁を指の背で押さえてから、かぶりを振る。
「アーテュラス閣下は、わたくしが……おそばにいるのが御迷惑でいらっしゃいますか……?」
「い、いえ、その、まさか、えっと!」
今までの人生において、言われたこともなければ陥ったこともない波乱の状況、第二弾である。あまりに想定外すぎてまともに声も出せない。
「な何をお仰有いますかめめめ迷惑だなんて別にねえチェシーさん」
「は?」
チェシーが突き放すような勢いで振り返る。
「私と君のそれに何の関係がある」
あまりの声のとげとげしさに、思わず絶句する。
「ああ、そうか。なるほどな」
チェシーはあやうい自嘲の光をよぎらせて、ニコルとレイディ・ユーディットの眼の色をそれぞれ見比べた。口許に苦い笑みが宿る。
「わかった。確かに迷惑だったろうな。こんな世迷いごとはさっさと終わりにしたほうが」
半ば吐き捨てるようにして言いかける。
「おっ、なになに!?」
ちゃっかり聞き耳を立てていたらしいアンドレーエが、彗星のごとくすっ飛んできた。
眼をきらきらと星の形に輝かせ、藪から棒に割り込んでくる。
「さては貴公ら、恋の鞘当てを演じていたのか。そういうことなら俺にもぜひ花婿候補としていっちょ噛みさせてください。ずるいぞアーテュラス、チビのくせに一人前に色気づきやがって。ホーラダイン猊下、俺にも彼女を紹介してください住所氏名年齢それから好きな食べ物と……」
チェシーは寒々しく眼をほそめた。首を振り、肩をすくめる。
「面倒事は御免被る。そろそろ部外者は黙って立ち去る頃合いだな」
「まだ逃げることは許さなくってよ、サリスヴァール」
高飛車な女の声が響き渡った。
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