《静寂》のイーサ
「こちらこそ、お邪魔して」
言いかけてニコルはあんぐりと口を開けた。
白磁を思わせる、艶やかでなめらかな顔色に見とれ、なかば唖然、なかば呆然として。
それから、ものすごい勢いでザフエルを振り返った。
「はいぃ!?」
「こればかりは同感だな」
チェシーもまた、さすがに驚きを隠せない様子でつぶやいた。
「兄妹か」
「お恥ずかしゅうございます」
薔薇色の瞳の少女は、はにかんだ仕草とともに、つと頬を赤く染めた。白いレースの手袋をつけた両の手を身体の前に添え、楚々として佇む姿をザフエルの背後へと寄り添わせる。
ザフエルはそっけなく振り向き、儀礼的に少女の手を取った。
「これはユーディットと申します」
無感動な黒い瞳が、真正面からニコルを見つめた。
「私の妹にあたる者です」
「い、いも、いもうと」
ニコルは裏返った声を詰まらせた。まじまじとザフエルを見返す。
「ザフエルさんに!?」
「にとは何です。に、とは」
ザフエルは仏頂面で鼻白んだ。
「まあ、兄さまったら」
レイディ・ユーディットは口元を指先で隠し、くすくすと清楚にさんざめいた。場に和やかな――それでいてどこか仮面劇にも似た、社交めく雰囲気が立ち返ってくる。
ザフエルは軽く咳払いした。
「ユーディット、こちらは《ナウシズ》と《エフワズ》の
正式な紹介を受けたレイディ・ユーディットは、まっすぐに姿勢を正し、ニコルを見つめ、微笑んだ。
「あらためまして。はじめまして、アーテュラスさま。サリスヴァールさま。お逢いできて嬉しく思います。ユーディットと申します」
優雅な口上ののち、やわらかく膝を折る。黒絹のような細髪がうなじからはらりと降りた。
「は、はっ、はじめまして」
ニコルは、せわしなく慌てふためいてから少女の前にひざまずいた。
「先ほどは失礼を致しました、レイディ・ユーディット。御機嫌うるわしく」
緊張のあまり身を固くしながら、差し伸べられた白いレースの手を取り、くちづける。繊細な感触が伝わった。たおやかでやわい手触り。まぎれもない女性の指先だった。手首につけた花の香りが、ふわりと甘く鼻をくすぐる。
続いてチェシーがひざまずいた。極めて儀礼的に挨拶する。ニコルは横目でチェシーの様子を確認した。
「お逢いできて光栄だ。レイディ・ユーディット。お名前はかねがね
さりげなく手を取り、洗練された所作で口づける。
やけに手慣れたその仕草に、ふと、気まずい思いがこみ上げた。知らず、唇に手をやる。寒さのせいか、唇は薄皮が固まったかのように乾いていた。
「閣下」
ザフエルが遮るようにして口を挟んだ。
「ここは寒うございます。よろしければコンサバトリーへ」
「……それにしちゃあ、妙に小綺麗な庭じゃないか。賭けてもいい。これは絶対にホーラダインの趣味じゃない。かの猊下ならバラだろうが噴水だろうが、マス目どおりのカクカク角切り、チェス板みたいにして四角四面で統一するにきまって……おっとご本尊のお出ましだ」
出し抜けに、人の声や足音などが、どやどやと入り乱れて近づいてきた。
白薔薇の咲き乱れる小径の向こうに動く人影が見える。
「やあやあホーラダイン猊下、この度は晴れがましき祝祭にお招きいただき恐悦至極」
まず現れたのは、白の乗馬服に深緑の上衣、裾に角笛の紋章をあしらったティセニア軍猟兵の略式軍装に身を包む青年将校である。手に花形帽章のついた黒の二角帽を持っている。
猟兵将校は、さんざん悪口を言っていた当のザフエルと真正面から顔を突き合わせておきながら、何ら悪びれもせず、平然と帽子ごと手を振った。一瞬、その手元にうっすらと蛍火のような、緑に揺らめく光がたなびく。
「ごきげんよう、お歴々の諸君。お揃いだな」
陽気な笑い声が弾ける。はしばみ色の瞳が気さくに輝いた。
「こんにちは、アンドレーエさん」
ニコルは、にっこりと笑って挨拶した。
「ご無沙汰しています。あれはいつでしたっけ、夏頃に一度、ノーラスに来ていただいたとき以来ですね」
「お美しいレイディ、ご歓談のところ申し訳ない。御邪魔しますよ」
偵察、敵状攪乱の工作を主任務とする遊撃部隊である第二師団の長、ヨハン・ヴァーレン・アンドレーエ元帥は、いかにも俊敏な身のこなしの男だった。眼前を横切るかたちになるレイディ・ユーディットに対し、手にした帽子を、胸元でくるくると軽妙に回し振ってお辞儀をする。
「それはそうとしてアーテュラス。ちょっとひどいんじゃないか」
はじばみ色の瞳が、じろりと険しくニコルを睨み付ける。
「久しぶりに会う旧友に対して、何という仕打ちをしてくれるんだ」
「何の話です。出会い頭にいきなり」
ニコルは眼をぱちくりとさせる。
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