【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
「そんな自殺行為をするぐらいならホーラダインと腕組んでバレエを踊った方が百倍マシだ」
「そんな自殺行為をするぐらいならホーラダインと腕組んでバレエを踊った方が百倍マシだ」
「な、何なんです、あれ」
愕然と眼を見開いて、妖艶にはばたく姿を目で追いかける。
「下位の悪魔だ」
ニコルはぎょっとして黙り込んだ。
「いいか、裸の女がいっぱいパタパタ飛んでるからって鼻の下伸ばすんじゃないぞ」
チェシーはどこか愉快そうに空を見上げながら答えた。ひゅうっとかろやかな口笛を吹き鳴らす。
「な、何言ってるんです」
ニコルはがちがちに引きつった笑いを浮かべた。こんな時に下らない冗談を言えるなんて、いったいどんな神経をしているのか……。
「ちぇ、チェシーさんじゃあるまいし」
「女なら間に合ってる」
「ええっやっぱり……じゃなくて!」
ニコルは顔を真っ赤にして身を乗り出した。狭い隙間から拳を振り上げんばかりにしてチェシーの上腕をつかみ、くしゃくしゃに握りしめる。
「あ、相手は誰です! い、いつの間にそんな不謹慎な」
チェシーはにやりとして振り返るなり、手を伸ばしてニコルの襟首をぐいと掴み寄せた。
「野暮なことは訊かぬが花だぞ」
訳知り顔でしれっと耳打ちする。
「な、”義兄さん”?」
ぴき、と顔が硬直する。
……。
…………。
――ななななな何にぃぃぃいーーーっ!!!
「いや、冗談言ってる場合ではなかった」
さんざんにからかっておきながら、その軽い口調とは裏腹のけわしすぎるまなざしでチェシーは上空を振り仰いだ。
魔物から寸刻も目を離さず、死角を探して馬車を駆り続ける。
「第十師団を猛追していたはずのシャーリアが不自然なまでに行軍を遅らせれば当然、予期せぬ何らかの事態が起こったと見透かされる。どうせ泳がされ後をつけられたんだろう」
ひくく舌打ちして続ける。
「ここであのお姫様を釘付けにしておけば第一師団は間違いなく援軍を差し向けてくる。師団の名誉に賭けてノーラスの世話にはならんだろう。敵の狙いはおそらくそこだ。シャーリア一人を狩るのが目的ではなく、浮き足だった本隊を――司令官不在ゆえ戦略的な機動性を欠いた本隊を分断し、精神的退路を断ったうえで包囲殲滅するなど赤子の手をひねるより容易かろうさ。そして、返す刀でアンドレーエの第二師団を迎え撃つ。一気に形勢逆転だな」
「そ、そんな」
ニコルは息を呑んだ。
「じゃ、どうすれば」
チェシーはふと、口をつぐんだ。
感情を削ぎ落とし、醒めきった目線でニコルを見下ろす。
「だが我々の存在は想定外だったはずだ」
ニコルは言外の意図を予感してくちびるを噛んだ。
顔をこわばらせ、うつむく。
それは、つまり――
「最悪だが最良の手段だ」
無言を了承ととらえたか、チェシーは用心深く言葉を選びながら続けた。
「魔物を使ってくるときはたいてい陽動か威力偵察と決まっている。よって駐留部隊に正面を死守させ、その間隙に乗じて撤収すれば脱出も不可能ではないと考えるが、どうだ」
ニコルは一瞬、声を詰まらせた。
青ざめた様相でチェシーを見上げ、声を硬くして尋ねる。
「ほかのみんなや街の人を――見殺しにしろと」
「そもそもがカード使いでルーンの庇護を受けている君ひとりを護るのと、街全体の防衛を行うのとではまったく勝手が違うんだ」
チェシーは冷徹な軍人の顔をよそおってさえぎった。
「重傷の公子だけならともかく、あのがみがみと口うるさいお姫様まで過積載の救急馬車に乗せ、なおかつ魔物どもを掃討し背後にいる紋章使いを駆逐して一個中隊全員を無傷で撤退させろと?」
馬鹿にしきった口振りでふん、と嘲笑う。
「そんな自殺行為をするぐらいならホーラダインと腕組んでバレエを踊った方が百倍マシだ」
「チェシーさん」
ニコルは歯を食いしばった。
「まさか、そんなこと、本気で」
「当たり前だ」
「……」
変わらないチェシーの表情を睨み付ける。
「分かりました」
ニコルは長いため息をつき、ひくく言った。
「致し方ないです」
「……ずいぶんと殊勝だな。どうした。反論しないのか」
「いいんです」
メガネをかすかに光らせ、ぼそっとつぶやく。
「ノーラスに戻ったらザフエルさんと二人、白タイツに白レオタードで白鳥のかぶり物かぶってくるくる回っていただきますから。絶対に」
「な、なにっ」
しばしの沈黙。
チェシーはぎごちなく呻いた。
「おい」
「はい」
「はいじゃない!」
チェシーはこめかみにぴきぴきと青筋を立てながら片頬を引きつらせた。
唸るように言う。
「よくもまあこの状況でそんな凶悪きわまりない特攻命令を下す気になれるものだな」
「だって誰かを犠牲にして自分たちだけ生き残るなんて嫌ですもん」
騒然と鳴る車輪、金属と革の擦れる音に混じって、荒々しく空気を裂く悪魔の喚声が伝わってくる。
ニコルはチェシーを真似て、ちょっとばかり不敵ににやりとしてみせた。
続けて何気なく言ってのける。
「それに、チェシーさんだって本当はそんなことするつもりさらさらなかったでしょ」
どこからか怯えた銃声が虚空に数発、ぱらぱらと乱れて響き渡る。
「よく言うよ」
面白くもなさそうにチェシーはかぶりを振る。
「青くさい科白だ。児戯に等しい」
「自分が言いたくないもんだから代わりに僕に言わせようっていう魂胆のほうがよっぽど白々しいと思いますけど」
チェシーはふいに荒々しく笑った。
「まさか。こう見えても私はゾディアックの悪魔と呼ばれ恐れられた男だぞ。そんなあからさまに嘘と分かる嘘をついてどうする」
「これだからあまのじゃくはもう」
「誰があまのじゃくだ」
「チェシーさんでしょ」
ニコルは風に強くなびく髪を押さえた。そんな子供じみた言い争いがなぜかやたらとうれしくて、ついチェシーの横顔を見上げ、微笑みかける。
「バレバレですって。諦めてくださいよ」
「ちっ」
チェシーはふてくされたような舌打ちをしてみせた。
「次こそは出し抜いてやるからな。覚えてろよ」
「そう簡単に騙されるもんですか」
「そいつはどうかな」
「え」
思わず聞き返す。チェシーは手綱を巧みにさばいて馬首を返しながら、やれやれと肩をすくめた。
「少しはホーラダインの気苦労も察してやれよ……」
言いかけて、思い直したように口をつぐむ。
「まあ、いいか。君みたいに途轍もなく単純でお人好しで馬鹿正直で思いこんだら一直線の行き当たりばったりな指揮官が一人ぐらいは軍にいても許されるような、そんな馬鹿げた気がなぜかひしひしとしてきたよ」
チェシーは果敢に鞭をふるった。
「……それがどれほど誇らしいことか、どうせ君には分かってないんだろうがね」
馬車は速度を上げ、元来た道を猛然と疾駆し始めた。
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