「私より奴のほうがよほど礼節に欠けている」

「失礼」

 するどいノックの音がひびく。

 病的に白い指揮室の中央には、対ゾディアック国境の地形を精緻にかたどった戦略地図模型が配置されていた。

 中央に突出するのは、ノーラス城砦を囲繞いにょうする山嶺。

 なだらかな山腹から急峻な山崖さんがいまで、死角なき十字砲火を浴びせることが可能な掩蔽壕えんぺいごう数十基を有し、縦横無尽に巡らされた迷路のごとき地下道によって、各堡塁ほうるい稜堡りょうほと接続される。

 最強にして無類、難攻不落の大防衛線である。

 模型が載った巨大テーブルを囲むのは、第五師団の主だった士官および参謀将校。

 彼我の高低差まで精巧な模型を睥睨する彼らの姿は、さながら古い民話に出てくる霧の巨人のごとくだった。

 返事も待たず、扉が押し開けられる。

 ザフエル・フォン・ホーラダインが指揮室に姿を現したとたん、士官一同はいっせいに姿勢を正した。

「気をつけ。中将閣下に敬礼!」

 指揮室の実質的なあるじに向け、踵を鳴らし一糸乱れぬ敬礼を送る。ザフエルは、端然と敬礼を受けた。

「ご苦労」

「あ、ザフエルさーん、こっちこっち」

 林立する士官たちの狭間にあって、一人だけ櫛の歯が折れたかのようにちんまりとしたニコルが、顔をのぞかせる。

 ひらひらと手を振るニコルに対し、ザフエルは上官の答礼を待って微動だにしない。

 チェシーは、じろりと横目にニコルを睨んだ。容赦のない肘鉄で後頭部を小突く。

「さっさと終わらせろ」

 ぷくぅ、と、たんこぶが盛り上がったところで、ニコルは条件反射の答礼を大人しく返した。

「失礼しました」

「軍議に遅参し、申し訳ございません」

 ザフエルが詫びる。

 何とか体裁をつくろい、事なきを得たところで階級順に敬礼は解かれた。

 さっそく本題に入る。

 ザフエルは、部屋を斜めに横切った。戦略地図の北側につく。影が盤面に覆いかぶさった。

「突然の招集とは。戦況に何か異変でも」

 定位置につくなり、尋ねる。

 ノーラス側にいるニコルと向かい合う形だ。ニコルは、軍議再開の口火を切った。

「参謀長、申し訳ないです。先んじてレゾンドさんから状況を聞き出してしまいました」

「介意無用です」

 ザフエルの諒を得る。ニコルは、最前線にて敵軍と対峙する凸型の青い木の駒を示した。

「大変なことになりました」

 輜重部隊ふくめ、総数一万五千。駒に立てられた軍旗は、聖ティセニアの公女将軍と謳われるシャーリア隷下れいか、第一師団本隊であることをあらわしている。

「第一師団ならば、今、アルトゥシーに駐留しているはずですが」

 ザフエル以下、全員が、青い駒だけを睨んでいる。

 何せ、ノーラス城砦の要職全員が雁首揃える統合戦略会議である。張り詰めた空気のなか、ぷくうと盛り上がったニコルのたんこぶは、あまりにも場の雰囲気にそぐわない。

 レゾンド大尉が説明を引き受けた。

「第一師団参謀、ヴァンスリヒト大尉より、フランゼス殿下が重傷を負われたとの知らせがありました」

「で?」

 ザフエルは、そっけなく続きをうながす。

 今にも泣きそうな顔で、ニコルは抗議する。

「フランは僕の数少ない幼馴染なんですけど!」

「存じ上げております。さぞかしご懸念でしょうな」

「何ですか。その、心にもない言い草は」

 友達が怪我をして明日をも知れぬというのに、なんともつれない言葉である。ニコルが物理的にも小さな胸を痛めていると、今度は、隣でチェシーが漫然と首をひねった。

「フランゼス公子とは戦ったことがないな。少なくとも、功成り名を遂げた人物ではない」

「もう、ぶしつけな」

 ザフエルだけでなく、チェシーにまで友の名をないがしろにされるとは。

 ニコルは、ふてくされて、それぞれの顔を交互に睨んだ。

「フランは研究者であって軍人じゃないから、別に名聞みょうもんなんてなくってもいいんですよ!」

「それは失礼。で、不躾じゃないほうの意見はどうなんだ」

「ふむ」

 ザフエルは咳払いをした。

「フランゼス殿下が、名誉の……かどうかは存じませんが、戦傷をこうむったのは承知しましたが、それとこれと、いったい何の関係がノーラスに」

 言いかけて、口をつぐむ。

 アルトゥシーの周辺に、敵部隊が配されている。赤い色の駒だ。旗印は敵第四師団、巨蟹宮きょかいきゅう

 チェシーは、険しさを増したザフエルの視線を追った。

「公子一人の負傷で防衛陣地を捨てるなどありえない。第一師団も、そこまで馬鹿ではないだろう」

「さすが、何度も砲火を交えただけのことはありますな」

 ザフエルが冷ややかに受け流す。チェシーは片眉を吊り上げた。

「さしあたって、この場で、過去の軍歴をあげつらうのは控えてもらえるとありがたいね。士気が削がれる」

「一国の王族に対し、馬鹿だのでぶだの、礼節のかけらもない発言こそいかがなものかと思いますが」

「何やら不都合でもあるかのような口振りだな。気を利かせてあんたの考えを代弁したつもりだったが。というか、でぶなんて一言も言ってないぞ」

 チェシーの青い眼が剽悍ひょうかんにぎらつく。

 ザフエルは、しらじらしく肩をすくめた。

「言いました」

「言ってない」

「言いました」

「言ってない」

 ザフエルもチェシーも、場の空気などはたから無視。作戦会議で論じるべき内容にしては、あまりにも大人げない些末言さまつごとばかりを、侃々諤々かんかんがくがくいがみ合っている。

 放って置かれたニコルは、最初こそ手持ち無沙汰気味に、ルーンの声を聞いたり、戦略地図を眺めては、うーん? と、いかにも分かったふうな顔で唸ってみたり。

 あるいは、列席の士官たちにちょこまかと冷たい水を配り歩いてみたりしながら、師団屈指の不毛な言い争いが終わるのを待っていた。

 が。

 レゾンド大尉の眉間に、苦渋の縦じわが五本六本と刻まれ始めるのを見るに、そうも言っていられなくなった。何だか急に白髪が目立ち始めてきたようにも見える。

「要は、敵に気付かれることなく、フランの治療が行えるよう、ノーラスなり、イル・ハイラームなりに後送すればいいってことですよね。でも妙だな。衛生部に任せるんじゃどうしてだめなんだろ」

 間に割り込んで、さりげなく話題を元に戻す。

 ザフエルは唐突に口をつぐんだ。

「ふむ」

 それでも一応は軌道修正する気になったらしい。ザフエルは腰に手を当てた。しばし黙考ののち、口を開く。

「いかにもシャーリア殿下らしい意趣ですな。足を引っ張る傷病兵は速やかに後送収容せよとの仰せ。常日頃、兵の消耗にはあれほど気を払わずとも平気なくせに、弟君を戦死させる不名誉に耐えられないとはこれ如何に」

「何という縁起の悪いことを。戦死なんかしてません!」

 チェシーが身をかがめた。小声で耳打ちする。

「聞いたか、あの言い草。私より奴のほうがよほど礼節に欠けている」

「何か」

 ザフエルが、じろりとチェシーを睨む。

 チェシーはふんと鼻白んだ。

「別に」

「続けてよろしいでしょうか」

 レゾンド大尉が、萎縮の面持ちで口を差し挟む。

「どうぞ」

「恐れ入ります」

 書類を見下ろしたレゾンド大尉の眉間に、苦渋のしわが、さらにもう一本、追加された。

「ただし、人選に要望がありまして、その」

 レゾンド大尉は、含みのある視線をチェシーへと向けた。口ごもる。

 チェシーは低い笑いを漏らした。

「何ともはや。直々のご指名とは光栄至極」

りに来ましたな」

 ザフエルが、ぼそりと言った。チェシーは思わず失笑した。

「大いにあり得るな」

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