「……私もお茶に招かれたかった」

「こ、こ、これは……!」

 ニコルは、こざっぱりとなった畑を、唖然と眺めた。チェシーが片方の眉だけを吊り上げる。

「どうした。何か不満でも?」

 ニコルは、ぱっと顔を上げた。感極まって、うっとりと手を結び合わせる。

「僕は、今、猛烈に感動しています! 素敵ですチェシーさん! 何その斬れ味! めっちゃカッコいいじゃないですか! 完全に惚れ直しました! これぞ天賦の才、天は二物を与える、まさに天職というにふさわしい、草むしりのエキスパート!」

 ニコルは、今にも踊りださんばかりに大はしゃぎした。うるうるした尊敬の眼差しで、チェシーの横顔に熱く見惚れる。

「ふっ、それほどでも」

 チェシーは意外とまんざらでもなさそうな表情かおをして、前髪を搔き上げる。

 が、ふと、口をへの字に曲げた。腕を組む。

「待て。よくよく考えたら、なぜ、私が、わざわざ君のために、それもまた《壱式いっしき》で草むしり、などというトンチキ行動をせねばならんのだ」

「いやいや、騎士たる者が些末なことを気にしちゃいけません」

 ニコルは、さっそく、熊手をしょって畑へと繰り出した。

「意外に親切なのがチェシーさんのいいところなんですから」

「意外は余計だ」

「でも事実でしょ」

 刈り取ったというよりは、むしろ土の表面ごと強引に引き剥がされたに等しい雑草を、畑の隅にかきあつめる。

 またたく間に、開かずの倉庫の真ん前に、うず高い雑草の山が築かれた。

「うっ、開かずの倉庫がさらに開かなくなってしまった」

「分かっててなぜそこに積む」

「そこに雑草の山があるからです」

「この倉庫、いったい、中に何が入ってるんだ。窮乏時の物資とか、備蓄用の何かがしまってあるんじゃないのか」

「さあ……? 何が入ってるんでしょうね」

 ニコルは呑気に首をひねった。素知らぬ顔でにこにこする。

「ま、いいじゃないですか。本日の農作業はこれにておしまい。おかげさまであっというまに終わったことですし。お礼と言ってはなんですが」

 両手の土を払い落としながら、チェシーを振り返る。

「冷たいお茶をご馳走しますよ」

「ああ、なるほど。そういうことか」

 チェシーは、うっすらと謎めいた微笑を浮かべた。踊るウサギやらカエルやらの形に刈り込んだトピアリーを、小馬鹿にした面持ちで眺めやる。

「分かった。。おともしよう。上官の君に誘われたんじゃあ、断りようがない。たまには無条件で相伴にあずかってやるとするかな」

「お忙しいなら別にいいんですよ」

「まさか。君の行くところ、何処いずくなりとも」

 そこへ。

 風雲急を告げる気配がやってきた。師団参謀部の副官レゾンド大尉が、足音も荒く駆け込んでくる。

 レゾンド大尉は敬礼して立ち止まった。

「お二人でおくつろぎのところ、お騒がせ致しまして、誠に申し訳ございません。ホーラダイン中将閣下は、こちらへお見えでしょうか」

 チェシーが口元を苦々しくゆがめる。

「別にくつろいでいるわけではないが」

 レゾンド大尉は、恐縮に泳ぐ目線を左上方へと逸らした。

「失礼いたしました! ご歓談中にも関わらず、不作法にもお邪魔致しまして」

「どちらにしろ誤謬ごびゅうだらけだ」

 レゾンド大尉の顔が、ますますこわばる。ニコルはやんわりとチェシーに横槍を入れた。

「レゾンドさんは、ザフエルさんのわがままに振り回されすぎて、こういう言い回しじゃないと怒られると思ってるんですよ。なるべく混乱させないように」

「どうせ、君らがいつもベタベタとくつろいでたりご歓談中だったりしてるせいだろう」

「うっ」

「で、ホーラダインに何用だ」

 チェシーは、すこぶる権高けんだかな口振りで、レゾンド大尉をただした。

「はっ。第一信号線より緊急連絡が入りまして」

「第一師団だね。シャーリア殿下の」

 ニコルは、メガネを白く光らせた。レゾンド大尉はうなずいた。手に持った資料ばさみを、緊張気味に握りしめる。

「はい。それで参謀長のご判断を頂戴したく、お探ししていたところであります」

「探すのはいいんですけど」

 ニコルは、ちょっとばかりむくれてみせた。口を尖らせて文句を言う。

「行方不明のザフエルさんを探すのに、何で僕の畑に来るかなあ。少々、安直すぎやしませんか」

「いえ、それはその、つまり」

「実に的確な判断だ、大尉」

 言うに言われぬ葛藤に苦しむレゾンド大尉へ、チェシーは寛仁かんじんな助け船を出した。さらりと後を引き取る。

「あの男の行動様式をおもんみるに、ニコルの尻を追い回す以外の推測はあり得ない」

「はっ、仰有るとお……いえ、決して、そのようなことは!」

「今頃、絶対、その木陰あたりに潜んだまま出るに出られず、困ってると思うぞ」

 チェシーが、ひょいと親指で背後の茂みを示す。

 ニコルは笑った。

「まさか。じゃあ、いったん指揮室に戻りましょう。チェシーさんもご一緒してもらえますか」

「了解」

「じゃ、僕らは先に行ってますので、レゾンドさんはザフエルさんを探してきてください」

 ニコルは、軍手を麦わら帽子の中に押し込んだ。首に掛けたタオルをするりとはずす。

「詳しい状況説明は、ザフエルさんが来てから、ということでいいですか?」

「はっ」


 ニコルが、チェシーを伴って去った、あと。

 草いきれの残る畑は、不思議と静まりかえっていた。

 ゆるやかな風が、踊るウサギとカメのトピアリーをひそかに揺らす。キチキチキチ、と目立つ鳴き声を残してばったが跳ねる。

 その後を追うかのように、木漏れ日をさくりと踏みしめて。

 黒髪の軍人が、畑に歩み出てくる。

 金の参謀飾緒が、右肩にきらめいている。純白の軍衣に青い袖の折り返し。漆黒の手袋。黒鞘のサーベルを押っ取った左腕には、元帥付きの副官であることを示す白の腕章。

 漆黒のルーン、《破壊のハガラズ》を配した手甲バングルが、未だしびれる残響の余韻を残しつつ、明滅している。

 欠点など見当たりもしない、完璧に近い秀麗な面持ち。

 だが、しかし、である。

 聖ティセニア公国軍、第五師団参謀中将にしてノーラス城砦副司令。聖ローゼンクロイツの忠実なる騎士にして、誰もが畏怖する鉄血の軍人こと、ザフエル・フォン・ホーラダインは。

 相当の仏頂面であった。

 どうやら、不機嫌の頂点にいるらしい。

 黒髪の毛先に降った葉っぱやら木くずやらを、むっつりした様子で払いのける。

 ルーンの結界で完全に防御したとはいえ、さすがに《壱式いっしき》の直撃は心外だったらしい。

 いや、本当のところは――

 気配を殺して、ウキウキと楽しげなニコルの草刈りをこっそり盗み見ていたにも関わらず、後からやってきたチェシーに、存在を勘付かれたのが、なおいっそうの不興をかきたてて止まぬ真の理由にちがいなかった。

「無粋な真似を」

 ザフエルは、鋭いまなざしを険しくして、士官食堂の屋根を見やった。ぼそりと吐き捨てる。

「……私も、冷たいお茶に招かれたかった」


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