【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
「何という恥辱。くっ……殺せ! いっそ殺してくれ……!」
「何という恥辱。くっ……殺せ! いっそ殺してくれ……!」
すっぽ抜けたアンシュベルと、爆風に吹っ飛ばされたニコルの両方を脇に抱えて、人型の
ようやく、衝撃がおさまって――
「助かった……ような気がぜんぜんしないですう……」
裸エプロン姿のアンシュベルが、煤だらけの真っ黒な顔で、ニコルにしがみついた。泣きべそをかく。
ニコルは、おそるおそる顔を上げた。
目の前に、火の海が広がっている。
熱にあぶられた
「な、何が起こったんだ……?」
「だから、素人が《召喚術》に手を出すのはやめろと言ったんだ。めちゃくちゃじゃないか」
頭上から、やや苛立ったふうな、聞き慣れた声がした。
ニコルは目をこすった。きょとんとして、辺りを見回す。
瓦礫と油を混ぜ合わせて撒きちらしたかのような床に、まだ、ぎらぎらと燃え残りの火がくすぶっている。タールの臭いがした。
「不用意に動くな。まだ何かいる。仕留め損ねたようだ」
鈍色をした煙の向こう側から、冷ややかな声が聞こえてきた。
ニコルは、ぞくりとして息を吸い込んだ。
「まさか、敵が侵入……?」
息を殺し、火と煙の向こう側をうかがう。誰かがいる。
瓦礫を踏む音と同時に、別の声がした。
「構うもんか。その
「言われるまでもない」
ひとすじ、ふたすじと。まとわりつく煙をいらだたしげに振り払って、人影が現れる。
まぶしいほどに整えられた純白のエプロン。
未だかぎろい残る熱気の中、埋み火混じりの瓦礫をこともなげに踏み越えて、人影はしずかに立ち止まった。
逆巻く熱風に、黒髪が荒々しくなびく。
流れる煤煙を振り払い、瓦礫を越え、燃え崩れるツタをへし折って。
音もなく、すっと廊下に降り立つ。
通す袖すらない、破れかけの短い上衣のみを腕に引っ掛けて。身にまとうは純白のフリルエプロン。漆黒のブーツ。黒の革手袋。あまりにもまぶしすぎて、ただちには直視しかねる姿である。
ニコルは半ば、腰を抜かした。ぱっと顔を輝かせる。
「ザフエルさん!?」
さすがのザフエルも、虚をつかれた顔で即座に振り返った。
「むっ」
「やっぱりザフエルさんだっ! 助けに来てくれたんですね!」
満面の笑顔に加え、土埃やら煤やら、キャンディに塩の小瓶、
ニコルは両手を広げてザフエルに駆け寄った。
バネ仕掛けの子犬みたいに、力いっぱい飛びはねて首根っこにかじりつく。
勢いあまって、いつもより余計に二回転ほどぐるぐる回る。ニコルは、半泣き顔をザフエルの胸にうずめた。
「あああありがとです! やっぱザフエルさんだ! 今度こそ、もう、本当に、だめかと思いました!」
裸エプロン同士が感動の再会。
……という人生最大の衝撃に硬直して白目の直立不動になるザフエルの代わりに、側にいたヒルデ班長が、ニコルの首根っこを掴んだ。子猫みたいに引き剥がす。
「あんな爆弾くらって、よくもまあ平気な顔して生きてられるもんだね。それよりお手柄だ。アンシュも、デカい准将もいるじゃないか」
「いいんです助かったんだし。結果さえ良けりゃこの際もう何でも……って、えっ? チェシーさん? どこに!?」
ニコルは、ぐるっと勢いをつけて振り返った。直後、ぎゃあああああ! と両手で目を覆ってのけぞり返る。
「変質者がいるだああああ!!!」
「きゃあああああ准将さんがすっぽんぽんーーーー!!」
同じくアンシュベルも、しっかり片目だけは薄く開けつつ金切り声の悲鳴をあげる。
「誰が変質者だ」
人魚というか、半魚人というか、半イソギンチャクというか。うようよする目玉の触手だらけな着ぐるみを、上半身だけ脱いだ格好のチェシーが立っていた。首に胸壁を模した形の第五師団認識票が揺れている。
もちろん、そのほかは(自主規制)。
「……だから、君らを逆に怖がらせないよう、わざとこうやって、ずっと
チェシーが忌々しげに舌打ちした。
「とにかく、これで全員集合ですね」
ニコルは、ヒルデ班長が差し出した新しいフリルエプロンを、チェシーに押し付けながら言った。
「要らん」
チェシーは、苦虫を噛み潰したような顔をあからさまにそむけた。腕組みしたまま、受け取ろうともしない。
即座に、全員がチェシーに飛びかかった。暴れるチェシーを押さえつけ、無理やりエプロンを装着させる。
「黙って着なさい変質者め」
「絶対に断る!」
「着るったら着るです!」
「嫌だと言っている!」
「さもないとぶん殴るよ!」
「待て。やめろ。やめてくれ!」
「あははは本当にチェシーさんも無事でよかったですねあははは!」
乱闘の末に出来上がったのは、丈の短いフリルエプロンに給食用丸帽子にすね丸出しのブーツ。
「何という恥辱。くっ……殺せ! いっそ殺してくれ……!」
歯噛みしながら、チェシーは、耳の先まで
それにはもう構いつけもせず、ニコルはヒルデ班長を振り返った。
「これで良し。そこでヒルデさんに、もう一つお願いがあるんですけど」
背伸びしてひそひそと耳打ちする。
ヒルデ班長は目を丸くした。
「何だよ、閣下。それ本気かい」
ニコルは自信たっぷりに腰に手を当てた。ふん、と鼻息を荒くして胸をそらす。
「ヒルデさんの服だけが
ヒルデ班長は自分の格好を見下ろし、大声で笑い出した。
「確かに、毎日のことだからね。なるほど、一理ある。で、どうすりゃいいんだい」
「二手に分かれます。ヒルデさんは、城砦中に残ってるはずの
ニコルは、にっこりと笑った。
「よって、できるだけ迅速に、大量に、さっきお願いしたように計らってください。アンシュやチェシーさんも一緒に。人手が要るでしょうからね。僕は大砲台へ向かいます」
「あのデカイ大砲があるとこだっけ?」」
「ええ。とにかく反撃して敵の砲撃をやめさせなきゃ」
「あいよ。任せときな」
「ということで、チェシーさんはヒルデ班長に同行。
「了解。もう、こうなりゃ野となれ山となれだ。どこへでも行ってやるよ」
チェシーはやけくそな態度で敬礼する。ヒルデ班長は、肉厚な手でばんと胸を叩いてみせた。得心の行った顔を、くしゃりとさせる。
「よっしゃ。じゃあ行くか、デカい准将さん。まったく何てえ格好だい。将校ともあろうもんが、そんななりで……ぷっ」
「笑わないでもらえるだろうか!」
「まさか、とんでもな……ぷっ、ほら、アンシュも行くよ」
「はいですっ」
「アンシュ」
ニコルは、ちょこまかとヒルデ班長の後を追いかけていくアンシュベルの背中に声を掛けた。きょとんとした顔が振り返る。
「何です?」
「ごめんよ。頼りない
ニコルは謝った。
アンシュベルは立ち止まった。小さく首を振り、突然、ぱたぱたと駆け戻って来る。
「師団長っ」
「え?」
「ありがと、です」
こまっしゃくれた笑みを浮かべ、鼻の頭をくしゅっとこすり上げ。ひょい、とつま先立ちして。
アンシュベルは、ニコルの頬についばむようなキスをした。
「
頬を染めて言い置くなり、エプロンをひるがえして駆け去っていく。
「
突き放すような鉄の声が、夢想を破った。
「なぜ、《
底知れぬ眼が、決して外に表さない怒りを秘めて、ニコルを見つめていた。
「師団長ともあろう方が、軽率に過ぎます。目先の犠牲に萎縮し大局を見失って軽挙妄動に走るとは」
声は静かだが、頭ごなしのきびしい叱責だった。いつもの無表情とはまるで違う。
「何度、申し上げれば分かって頂けるのです。一将兵の命など、大事の前の小事にすぎません。ましてや従卒の一人や二人など」
ニコルは、きっと顔を上げた。反射的にザフエルの言葉をさえぎろうとする。
「いくら怒られたってそれだけは」
「笑止」
ザフエルは、ぴしゃりと否定した。たたみ込むように言いつのる。
「非現実的な発言ですな。その甘さこそ、戦場における貴方の最大の欠点であり弱点だと自覚すべきです。たとえ、どんなに、それが我々部下にとって」
ザフエルは、ふいに口をつぐんだ。ニコルを見つめ、緊迫の気配を解いて、あきらめたようなためいきを長々とつく。
「とにかく、かかるありさまでは麾下の兵に示しがつきません。以後、謹んでいただきます。司令官の身に何かあってからでは遅いのです。閣下の従卒には、後ほど私から言って聞かせます」
再び、むっつりと不機嫌な声に戻っていた。
「はい」
ニコルはうなだれた。厳しい態度を取るザフエルの真意もまた、痛いほど伝わってくる。それだけに反論はできなかった。
「でも、叱らないでやってください。お咎めなら代わりに僕がいくらでも受けます」
伏せた顔をあげることもできない。叱責の続きを待つ時間が砂を噛むようだった。
「分かればよろしい」
言いたいことを言ってしまうと、ザフエルはきびすを返した。さっさと立ち去るのかと思いきや。
つと、立ち止まって。
腕にかけていた上衣を広げた。背後から顔も見ずにニコルの肩へと打ち掛ける。
ニコルは眼をみはった。と胸をつかれ、顔を上げる。たなびく黒髪だけが見えた。
「失礼。出兵準備がありますので」
それだけを言い残し、ザフエルは去った。
▼
薄闇にルーンの灯火が赤く、青く、吸い込まれるように明滅している。
「あーあ、怒られちゃった」
ためいきをこぼす。
通す袖もろくに残っていない軍衣を、改めて羽織り直す。濡れた生地が、ひやりと肌に当たった。
心もとなく、襟元を掻き寄せる。
割れた壁やくすぶるツタがあちこちに転がって、行く手をさえぎっていた。千々になって四方へ伸びる影が足元でゆらめく。
前へ踏み出そうにも、地に足がつかない気がして、どうにも足取りがおぼつかない。
ザフエルの消えた廊下の向こう側を、ぼんやりと見送る。ザフエルにはザフエルの任務がある。いつまでもニコルだけ構っているわけにはゆかない。城内の兵を鼓舞し、持ち場に着かせなければならないのだ。同じく、自分にも果たすべき任務がある。
そうと分かっていても、足が動かない。
「怒らせちゃった……」
肩を落とし、ぽつりとつぶやく。
お小言代わりにねちねちと嫌みを言われるのは、いつものこと。でも、あれほど面と向かって正論で叱りつけられたことは、今までに一度もなかったような気がする。
ニコルは、とどろく闇に聞き耳を立てた。滝に打たれるような、巨石が転がるような被弾の音が続いている。振動で床が浮いた。
足元が揺らぐ。揺れ続ける。
もう一度、耳をすます。
もし、本気で守る価値なしと見限るつもりなら。
何事もなかったかのように無視を決め込むことだろう。ザフエルは忠実な神殿の使徒だ。聖堂の彫像には祈りを捧げても、伽藍を切り出した石切り場のかけらには一瞥すらくれぬ。
興味すら持たれなくなったら、きっと。
ニコルは、ザフエルが着せてくれた軍衣の襟を、もう一度、ぎゅっと握りしめた。
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