反撃開始だ
「つまり、僕にできるすべてのことを、今すぐ、全部、とにかくやれってことだよね」
ともすれば辛気くさくなる考えを、勢いよく振り払う。こういうときは、万事自分に都合良く解釈するに限るのだ。
こんなところでぐちぐちと落ち込んでいては、せっかく叱ってくれたザフエルの期待に応えられない。
ニコルは腰のベルトポーチから《
目指すは崖上の堡塁にある大砲台。
「よし、行くか」
薔薇の瞳に決意の光が灯る。
ニコルは、フリルエプロンの紐をきゅっと締め直した。途中でほどけて、全裸の変質者として通報されてはたまらない。
右手首にはめた《先制のエフワズ》が、一帯を照らし出すほどの霊光を放った。
階段を駆け下り、城砦の外へ出る。
はるか遠い北の地から頭上へ、赤い尾を引く炎が飛来した。灼熱の砲弾が夜空に弧を描いた。轟音を響かせ、飛び過ぎる。
城砦裏手の山腹に着弾。爆発。火の手があがった。火の葉が赤く燃え散らばる。燃える噴水のようだった。黄色い煙が何本も噴き流れる。
「
舌打ちする。火山の噴煙の立ち昇るがごとく、夜が赤く染まる。一刻の猶予もない。
ニコルは、得たりと笑った。
「さあ、こっちに来い!」
ニコルは、手にした《カード》を大きく振っていざなった。走り出す。
漆黒の渦が《カード》を中心に流れ、たなびく。
数百の目玉が、さざ波を立てて毛羽立った。一斉にニコルを見る。
思った通りだ。闇の《カード》に反応している。
「相変わらずキモいな! 鳥肌みたいだ」
闇の匂いが甘美に漂う。どこから集まってくるのか、
おそらく、ノーラス中の
自らを囮にしながら、ニコルは走った。背後から、
稜堡の突端に位置する塔を目指し、迷路のように入り組んだ城砦内を疾駆してゆく。舗装された石畳を蹴る軍靴の音が、するどく響き渡った。長く引き延ばされた影が、アーチの続く天井に踊る。
巨大な
屋外に出さえすればこちらのものだ。時に爆破し、時に焼き払い、時に旋風で細切れに切り刻みながら、敵を焼き払う。だが、焼いても吹き飛ばしても
回廊を越え、営門をくぐって、中央堡塁へと向かう。
「変質者……じゃなくて師団長閣下! いったい、その格好は」
騒ぎに気付いた歩哨が、あわてて銃を肩から降ろした。最敬礼で出迎える。
「退いて退いて退いてーーーっ!」
ニコルは両手を振り回し怒鳴り返した。背後から、法外な量の
「やばいやばいやばい!」
ともすれば覆い被さってこようとするスライムの擬足を、必死にかいくぐり、飛び越えて避ける。
伸びてきた目玉つきの触手が、足を絡め取った。捕まってしまう。
バランスを崩し、前のめりに大きくつんのめる。
「わあっととと!」
かろうじて逃れた。片足のけんけん飛びになって、たたらを踏む。
最後、身を投げるように振り返りざま、《カード》を薙ぎ払った。
「呪文省略! 開け《
猛然と土煙を巻き立てて、漆黒の旋風が地を這う。
反動で、ニコル自身もまた、後ろ向きに吹っ飛ばされた。
「痛い痛い痛い!」
間一髪。
待ちかまえていた歩哨が、重い防火扉を閉め切った。
勢い余った
黒い波が押し寄せてきたかのようだった。凄まじい音が渦を巻く。不気味にたわんだちょうつがいが、怖ろしげな悲鳴をあげて軋んだ。
ネジが一個、弾け飛んだ。
「閣下、今の、あの物体は」
ひどい顔色の歩哨が、顎をわななかせながら尋ねてくる。
「隔壁を落として。扉を破られそうなら全員すみやかに退避せよ。決して無理をするな」
ニコルは、ぜいぜいと息を切らしながら言った。胸を押さえ、息を整える。あの勢いだ。いずれ扉も破られるだろう。ヒルデ班長がうまく城砦内を制圧してくれればいいが。間に合わなければそれまでだ。
最悪の事態を迎える前に、反撃の準備を終わらせなければならない。
ニコルは、堅牢な稜堡塔の最上階へと、一気に駆け上がった。
「ごめん、遅くなって」
飛び込むなり叫ぶ。
「アーテュラス閣下!」
配置についていた砲手たちが、ニコルを見るなり顔を輝かせた。と同時に、見てはいけないものを見たかのように、微妙な表情になる。当然だろう、師団長ともあろうものが、半裸のフリルエプロン姿で飛び込んできたのだ。想像を絶したに違いない。
が、照れる猶予も、言い訳する暇もない。
側防塔内に据え付けられた要塞砲は三門。どれも、ノーラス城砦最大の巨砲だ。
ニコルはそのうちの一つに走り寄った。銃眼から、はるか北の森を見はるかす。
闇が遠い。どこまでも広がっている。
星の散る北の夜空は、わずかに藍をふくんだ黒。アリアンロッドの輪と謳われる小さな星座が、天上にきらめいている。
次いで、視線を地に転じる。
リーラ河の手前で、何かが激しく燃えているのが見えた。
砲火を受け、善戦空しく崩れおちた分派堡の残骸だ。河面に、火がこぼれ映っている。ちぎれた雲のように、めらめらと炎があがっていた。
夜を焦がす赤い色。
血を流してうずくまる瀕死の姿。
そんな様相を思い起こし、おそろしさについ、立ちすくんでしまいそうになる。
ニコルは自らを叱咤した。檄を飛ばす。
「反撃開始だ。第一要塞砲、基準弾装填にかかれ!」
「了解」
砲兵たちは希望を取り戻した明るい顔できびきびと動き出した。
「基準砲、装填開始します」
「掃拭急げ」
威勢の良い声が、次々に放たれる。合図とともに、砲手が一斉に綱を引いた。がらがらと音を立てて滑車が回る。鎖が床を滑った。
目をみはるほど巨大な要塞砲が、重金属の軋みを上げつつ、前方へとせり出してゆく。
「弾着標定、急げ!」
塔の下の方から、めきめきと何かがへし折れるような音と、鈍い振動とが伝わった。
ガラスの砕ける音。悲鳴。そして一発の銃声が鳴り渡ったかと思うと。
そのまま、吸い込まれたように何も聞こえなくなる。
もう時間がない。
「え、え、ええと、まずはどうすればいいんだっけ」
ひたすらに焦るばかりで、まともに働きもしない頭をぐしゃぐしゃかき回す。ニコルは、とりあえず近くにいた砲兵を捕まえた。
「急いで作業して欲しいことがあるんです。えっと、砲弾の炸薬の中に、これを」
青光りする闇を帯びた《カード》を、砲兵たちに示す。
「これを仕込んだ薬包弾を作ってください。危険だから、決して素手では触らないようにして。で、《
「やってみます」
「お願いします」
砲兵たちが、おそるおそるの手つきで火ばさみを使い、《カード》をつまむ。
作業の意図が伝わったことを確認してから、ニコルは、中央に設置された砲へと駆け寄った。
台座には、薔薇と剣のレリーフを豪奢に施してある。
「カナン砲長」
「はっ、お呼びでありますか、閣下!」
呼ばれた砲長は、直立不動の敬礼姿勢を取りつつ、微妙にフリルエプロンから目線をそらした。ちょっと頰が赤い。
ニコルは、カナン砲長の首にかかった望遠鏡を引ったくった。眼に押し当てる。
「敵砲の位置は確認できてますか」
紐に首を絞められ、じたばたしながら、無精髭の下士官はかぶりを振る。
「い、いえっ、まだでありますエプロン」
右手首に、ぴりりと電気で刺したような赤い感覚が走る。ルーンに反応あり。ニコルは手をかざした。眼下に広がる広大な闇の一点を指す。
「あそこだ。測距用意して。来ます!」
暗い森の中から、狼煙の光跡が打ち上げられた。
走り火が曲射弾道を描いて空を突き抜ける。漆黒の天蓋が赤く色づいた。
やや反応が遅れて、どん、と空気が振動した。
「着弾!」
誰かが叫ぶ。
ノーラス城砦内部に巡らされた覆道の一部が、赤い土塵に包まれて吹き飛んだ。異様に高い火柱と狼煙が上がる。基準弾だ。
「敵に位置を知られた」
火を消しに駆け寄る兵士たちの姿が見えた。ニコルは顔をゆがめる。
もはや、偶然の命中ではない。敵方の照準はこれで距離も角度も確定だろう。今後は、すべての砲弾が、今の位置を狙って落ちてくる。反撃のいとまもなく、ただ射すくめられ続けるばかりだ。
「測的しろ!」
「敵、射出点確認しました。測距開始します」
測距儀を操っていた砲兵が、冷静に報告する。
斜めに組み合わさった二本の望遠鏡にも似た測距儀のレバーを回し、目盛りを読み上げる。
「目標確認。距離三六〇〇」
「距離三六〇〇、了解」
「第一射、
「アイ・サー!」
小気味よいほど揃った返答とともに、その場に居合わせた十数名の砲手全員が、巨大な巻き上げ機前に走り寄る。
「
「基準弾、装填。発射準備完了」
「よし、耳ぃ、ふさげぇ! 撃てい!」
気を取り直したカナン砲長が、引き金索を引く。ニコルは手で耳をふさいだ。
轟音とともに巨砲が火を噴いた。
反動で、半ば跳ね上がりながらレール上の砲架が後座する。壁と床あわせて十本以上も取り付けられた鎖が、いっぱいに伸びきって巨砲を支えた。
河を越えた漆黒の森に、炎が吸い込まれてゆく。
火はすぐに煙にまぎれ、見えなくなった。
「命中なし。照準修正」
「基準弾、再度標定」
「やや左。射角修正よし」
「装填よし」
「耳ふさげ! 撃て!」
落下した地点で、炎が続けざまに上がった。
「命中!」
白く弾けた光が飛び散る。砲手たちが歓声を上げた。
そこへ、先ほど《カード》を仕込むよう頼んだ砲兵が駆け寄ってきた。
「準備完了しました、閣下」
「どうもです。よかった間に合って」
ニコルは、大砲のすすで真っ黒の鼻をこすった。顔を輝かせる。
「じゃ、いつでも装弾できるように準備をよろしくです」
砲兵が駆け去る。入れ替わるようにしてカナン砲長が近づいた。
「何です、今のは」
「すみません、地図ありますか」
たちどころに、軍議用の机が用意された。ノーラス城砦を中心とした、方向と距離の正確な地図が広げられる。
ニコルは地図の一点を差し示した。ルーンの幻視が見せた河の光景から推定される位置に、木で作った砲型の駒を置く。
「さっき参謀とも協議したんですけど、今のままではおそらく、この位置に重加濃砲を配備されることになります」
木の駒を中心にして円を描き、補助線を引いて距離を入れる。
「しかし、敵軍には魔召喚を使う部隊が混じってます。近づいて制圧することは不可能です。僕かザフエルさんが近接して直接攻撃すれば別ですけど、なんせ対岸だ」
カナン砲長は、何でそんなことまで分かるんだ、という猜疑の面持ちでニコルを見やった。ニコルは気にせず続ける。
「当然、ゾディアック軍は橋頭堡を死守してくるでしょう。こちらとしても、絶対に配備を阻止しなければならない。と思ってですね、先ほど作ってもらった必殺の薬包弾で一掃しようかと」
「何わけのわからんことを」
砲長はいらだたしげに地図を叩いた。勢いで、砲台の駒が逆さまにひっくり返る。
「いくら閣下の御提案とはいえ、たかが大砲の弾一発ごときに何ができると」
再び、地面を揺るがす発射音が鳴り響いた。巨砲を設置した床が、今にも砕けそうな勢いで振動する。
ニコルは、耳を押さえ、髪を爆風に逆巻かせながら、砲声に負けじと大音声で怒鳴り返した。
「ありがとうございますじゃあさっそく準備を」
カナン砲長も、同様の仕草で耳を押さえつつ、声を荒らげる。
「闇属性の《カード》! そんなものを込めた弾を撃って暴発でもしたらどうする気ですか! 吹っ飛びますよ城砦ごと!」
「大丈夫、三発ありますからどれかは当たります」
「はあっ!?」
シャナン砲長は、強面の声を裏返らせた。
「わからんお人だな、だからそんな危険な」
「そうですよねまずはやってみなくちゃ何事もわかんないですよね。僕も手伝います」
いてもたってもいられなくなったニコルは、勢いよくフリルエプロンの裾をからげ、砲台へと向かった。しかし、あっけなく追い払われる。
「まだ装填の準備が終わってません。いいから閣下は無理しないで、そっちで待ってて下さい」
「うっ」
しょんぼりとして、部屋の隅に座り込む。
もともと現場重視の指揮管理体制ではあるのだが、さすがにその扱いは悲しい。
壁に向かっていじいじと指文字を書きながら、そんなに冷たく言わなくったってとか僕だって少しは役に立ちたいのにとかよくよく考えたら元帥にむかってそんな言い方ないんじゃないのとか、うら寂しい気分をどんよりと背負い込んだりしていると。
「きゃあああああ!」
突然、ガラスに爪を立てて引っ掻くのにも似た悲鳴が、階下から駆け上ってきた。
続いて、砲塔全体がぐらぐらと揺れ動いた。下から何か吹き上げてでもくるかのような地鳴りが迫ってくる。
「いやあああ、ついて来ないでええええ!」
「静かにしろ。君が泣き叫ぶから反応する」
甲高い声が耳を突き抜ける。ニコルは青ざめた。あの声、あの足音は、もしや――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます