「さては、私を太らせて食おうという魂胆だな。悪趣味な」


「誰がデコボコだ、誰が」

「いいから早く早く、無駄にデカイ人! 僕、もう、お腹ぺっこぺこです」

 ニコルは、未だ衝撃さめやらぬチェシーの袖を無理やり引っ張った。食堂の隅っこへと連れ込む。

 チェシーは突っ立ったままだった。食事の乗ったトレイだけを渡されて、何をどうすればいいのか分からない、といった顔だ。

「カトラリーはどこだ。給仕を呼んでくれ。メニューを」

 ニコルは、当て布ごと破れたボロ椅子を、がたがたと音をさせながら引いた。

「何、スカした寝言を言ってるんです。ほら、チェシーさんも座って。一緒に食べましょうよ。はい、先割れスプーン。ここはね、洗い物減らすために自前のスプーンが要るんですよ。こんなこともあろうかといつでも常備してますからね! 僕の予備を貸してあげます。それから、飲み物もご自分で。コップも僕のを貸してあげます。あとは、塩、マスタード、オリーブオイル、胡椒。とんがらし粉もありますよ、これ辛いんですよ、三倍辛いやつです。ひとふりすると火を噴きます。いいから早く座って。食べましょうよ」

 まるで要領の悪い子供をいさめるかのように、まめまめしく世話を焼き始める。

 チェシーは、どこかぽかんとして、こんなときだけはやたらと手際のよいニコルの指先を見つめていた。

「おーい、閣下」

 群がる兵士たちの向こう側から、ちょうど何か思いだしたらしいヒルデ班長の声が聞こえてきた。居場所が見えていないのか、巨大おたまを振り回している。

「朝の話、了解だよ。ちょうど在庫もあるしね。ビジロッテに言ったら、喜んで参加するとさ。今から準備するけど、それでいいかい」

 ニコルは口一杯にじゃがいもを詰め込んでいて返事もできなかったが、満面の笑みでスプーンを振り返した。

「何だ、話って」

 チェシーは、遠慮がちにニコルの向かい側へ座った。ニコルはスプーンを置いた。もぐもぐする。

「はえに《ほんひょー》のはらしひらのほぼれへるへひょ」

 ニコルは、飲み込みきれないじゃがいもに目をぐるぐるさせる。

 チェシーは肩をすくめた。借り物の先割れスプーンで、目の前のコップを叩く。飲め、と言わんばかりだ。

「はあ、美味しすぎて危険だ」

 白湯さゆを一気に流し込んで、どうにかこうにか必死の生還を果たす。チェシーはあきれ返った目をした。

「何やってるんだ、あさましい」

 ニコルは揚げじゃがに岩塩を一振りした。ぱくぱくと口へ放り込む。

「だって、ええと、いつからだっけ、昨日の昼から何も食べてなくって。いや、朝だったかな」

 ニコルは、塩のついた指を舐めた。ついでにひぃ、ふぅ、みぃ、と指を折って数える。

「ほらチェシーさんも食べて食べて、わわっ!」

 手が滑って、塩の小瓶を膝の上にひっくり返してしまう。

「何やってんだ。師団長ともあろうものが、日々の食事にまで事欠くとは。斜陽貴族も極まれりだな。深く、哀矜あいきょうの意を表させていただくとしよう」

 チェシーは、すっかり飲み干されて空になったニコルのコップに、白湯をつぎ足した。

「これで一杯やってくれ師団長。私のおごりだ」

「どうもすみませんです。ありがたくお受けします。おっとっと」

 ニコルはコップを両手で押し戴いた。くっと一気に杯をあおる。濡れた口元をこぶしでぬぐい、オヤジ臭い息をつく。

「ああ、沁みるなあ……って、何言ってるんですかただの水じゃないですか」

「水もタダじゃないんだ。水だぞ、水。高級品だ」

 ニコルはくちびるを軽くとがらせた。笑ってチェシーを睨む。

「もう、毎度毎度チェシーさんは。その挑戦的ボケツッコミ体質、どうにかしてくださいよ。いいんですよノーラスは。雪解け水の井戸も氷室もあるんですから。夏になったら、イル・ハイラームで氷を売るんです。めっちゃ儲かるってディー主計監が言ってました」

 言いながら、嬉々としてスープを口に運ぶ。互いの声も聞こえないような喧噪の中で、忙しなくかき込むように食事できることが、実は嬉しくて嬉しくて仕方ないのだ。

「氷を? 誰が買うんだそんなもの」

 チェシーは、にわかには信じられない、といった顔をした。針葉樹の森と凍土に覆われた国では、夏はほんの一瞬だ。雪が溶ける間もなく、再び冬が来る地域も珍しくない。

「削った氷に直接、果物のソースと練乳をかけて食べるんですよ。チェシーさんは何味がお好きですか?」

「私はキイチゴがいいな。カリンカだ」

「赤いやつですね。さ、氷はともかく、お昼ごはんも冷えないうちに早く食べちゃってください。食べ終わったらすぐ行きますから。チェシーさんに見てもらいたいものがあります」

 チェシーはわずかに表情を変える。

「何を」

 ニコルは、先割れスプーンでソーセージを突き刺した。持ち上げて、ゆらゆらと揺らす。ザフエルが見ていたら、行儀が悪いと叱られるところだ。

花誕祭かたんさいに捧げる子羊って、その時が来るまでは、めいっぱい栄養のあるものを食べさせて、ぷくぷくに太らせておくらしいです」

 チェシーはひるみもしなかった。

「ほう、そういう習慣があるのか」

「ルーンの聖女生誕を祝う大祭です。めったにない祭りですね。たぶん、ここ二、三十年は開かれていないんじゃないかな」

「聖女か。私にはどうでもいいな」

 チェシーに気付いた様子はない。ニコルはふうふうとあつもののスープを吹いた。ぐりぐりメガネが、湯気で白く曇る。

「熱つつ、それにしても、このスープ美味しいな。後で作り方を教えてもらおうっと。そしたらチェシーさんにもどんどん食べさせてあげますからね。ぷくぷくに太っちゃうかも」

 チェシーは鼻で笑った。

「さては、私を太らせて食おうという魂胆だな。悪趣味な――ありがちな話だ」

「煮ても焼いても食えそうにないですけどね」

 ニコルは伝わったことに満足して、ソーセージにかぶりついた。ぷりぷりに張りつめた皮が、ぱりん、と油を飛ばす。

「よく言う。良薬、口に苦しのたとえを知らないのか」

「毒薬の間違いでしょう。どうせ一杯食わされるのがオチです」

「黙って聞いていればこの野郎」

 チェシーは手を伸ばした。ニコルのほっぺたをぶにゅううううと引っ張る。

「ひひひひたいひたいひたい。何すんですか痛いです」

 真っ赤に腫れた頬を押さえて涙するニコルを、チェシーはいたずらっぽく見やる。

「あとで廠舎しょうしゃの裏に来い。鉄拳制裁だ」

 言いたいだけ言ってしまうと、チェシーはスープに口をつけた。案外、まんざらでもなさそうな顔をする。

「ウマイな、これ」

 ニンニクの香りとともに、ほろりと芋の煮くずれる甘い湯気が立つ。

「でしょでしょ?」

「確かにうまい」

「ヒルデさーん、チェシーさんが今日のランチすっごいおいしいってー! だから、後で作り方教えてください!」

 ニコルは、椅子の背に手をかけて身体をねじり、いきなり大声で叫んだ。厨房から返事が戻ってくる。

「いつでも食いに来なって言っといて」

「だから、兵卒の食い扶持を将官が横取りするのはダメだって言ってるだろ。うん、うまかった」

 チェシーはあっという間にぺろりと平らげた。食器を持って立ち上がる。

「そんなことしなくても、君がこれの作り方を覚えて、私のために毎日、士官食堂で提供してくれればいいんだ。そうしたらいつでも食ってやる」

 平然と言ってのけた。

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