揚げたての角切りじゃがいも。肉汁あふれる、ぷりっぷりの茹でソーセージ。まだじゅうじゅう言っている焼きベーコン。



 一般兵士向けの食堂は、戦場である。連日の厳しい練兵でくたくたになった兵士たちが、昼飯時になると、餓狼のごとくなだれを打って飛び込んでくる。

「おばちゃん、めし!」

「おばちゃん、ビール!」

「うっせえガキども! まずは手を洗えってんだよ!」

 騒々しい怒鳴り声が、笑顔と一緒に飛び交う。什器のぶつかり合う、にぎやかな音が響いた。てんやわんやの大騒ぎだ。

 ずっしり重い黒パンを平たく切り分けたもの。のどをうるおす温いビール。

 兵士たちは、配膳の列に並ぶあいだも、待ちきれぬとばかりに、口に詰め込めるだけ詰め込んでゆく。

 だが、本日のランチは特別だった。

「かかかかかっかっかっか」

 先頭の兵士が、カラスのような奇声を上げた。いきなり急停止。見えない壁にぶつかったかのごとく凍りつく。

「閣下!」

 直立不動で最敬礼する。

 もちろん後ろからは、メシメシとうるさい兵隊さんたちが、列を成してぞくぞくと詰め掛けているわけであり。

 押された兵士は当然、前のめりにつんのめる。兵士たちは、口々にうわああとかぎゃああとか言いながらばたばた倒れた。ゴハンも大盛り、人間も大盛りである。

「重いいいい!」

「苦しいいいい!」

「しー」

 兵士たちの列が滞って山盛りになっている地点に、あやしい人影があった。

 ぐりぐりメガネにマフラーで覆面をした、見るからに挙動不審な人物。

 手にしたスプーンと一緒に、人差し指をくちびるに当て、声をひそめる。

「静かに。僕はここにいません!」

 これだけの騒ぎを起こしておいて、しーっはないだろうと思うが。

 ともあれ、何の自覚もないらしいその人物は、あくまでも自分の存在を見なかったことにしろと、声高に言い張っている。

 しかし、たとえ、どんなに身をやつそうとも、だ。

 交差する二本の元帥杖を紋様とする肩章をつけた、顔中ほっかむり姿のぐりぐりメガネなど、この僻地ノーラス城砦において某元帥の他に存在するだろうか?

 いるわけないのである。

「何やってるんです、アーテュラス閣下。こんなところで」

 積み上がった兵士の山から、質問が飛ぶ。

「しいーーっ。静かに。静かに」

 ニコルは、首からさげたちいさなガマグチを見せつつ、こめかみに冷や汗をにじませた。

「実はですね、今日からお小遣いの倹約を始めたんです。士官食堂でランチ食べたら、もんのすごくお金がかかるんです。ザフエルさんがうるさいから。とてもじゃないけど、あんなの毎日食べてたら、万年筆なんかもう一生かかっても買えないです」

「おいニコル」

 いきなり、凄みを効かせた低い声が、背後の頭上から降ってきた。

「うわあ出たっ」

 ニコルは、反射的に逃げ出しかけた。その襟首を、瞬時に伸びた鹿革の手袋がぐいと掴んだ。つるし上げる。

「ここ数日、士官食堂に姿を見せないと思ったら。何をしている。こんなところで」

「くくくく苦しいってば、チェシーさん」

 子猫みたいに取り押さえられた最高司令官の有様に、居合わせた兵士全員が唖然とする。

「サリスヴァール准将に敬礼!」

 下士官の誰かが号令をかけた。空気がものものしく変わる。兵士たちは即座に整列し、踵を鳴らして直立不動の姿勢を取った。緊張の面持ちで敬礼する。

 チェシーは、いかにも命令し慣れたふうの、どこか尊大な態度で手を挙げた。気安い笑顔で、張り詰めた雰囲気を払いのける。

「休んでよし。礼も不要。我々は、ここでは部外者だ。気にしないでくれ。すぐに退散する。諸君らは、食事をしっかり取って休憩。午後の訓練に備えたまえ。そうだな、師団長閣下」

 チェシーは、がらりと態度を変え、脅しつけるようにニコルを睨む。

「うっ、えっと、いや、あの、僕はここのゴハンを」

 ニコルは、首根っこをつるし上げられた状態のまま縮み上がった。しおしおと眉をハの字に下げる。

「何やってんだい、あんたたち」

 十文字に風を切り裂く、銀の閃光。

 と、同時に。二つの巨大なおたまが びしッ、と、鼻先一寸前に突きつけられた。

 目の前の視界が、巨大おたまで塞がれている。

 丸いおたまの縁を、つつつ、と。

 スープのしずくが伝ってゆく。ニコルは眼の焦点を真ん中に寄せた。しずくが鼻の上にぽたりと落ちる。

 ごく、とのどを鳴らす。実においしそうな匂いだ。ではなくて。

 ニコルは、冷や汗が小脇を流れるのを感じた。寸止めでぶん殴られる寸前だったのはいい。だが、自分はともかく、まさか、チェシーでさえもが。

 身動き一つ取れないまま、巨大おたまの柄で脇腹をぐりぐりされているとは。

「腹空かした坊やたちが、泣きそうなツラして、あんたら睨んでるの分かんないのかい!」

 巨大おたまの向こう側から、迫力ある女性のどら声が響き渡る。

「いいかい、兵隊さんはメシが命! あたしの鉄鍋スープを頭からぶっかけられたくなかったら、イチャイチャ通せんぼしてないで、さっさとそこを退きなってんだよ、このデコボココンビ! さもないと塩をぶっかけるよ!」

 紺の前掛けに長靴姿。頭は白いコック帽。腕まくりした太い腕。

 ノーラス城砦に常駐する第五師団、四万五千の腹を満たす食堂の総責任者は、二刀流のおたまを頭上で打ち鳴らした。スープのしずくを振り落とす。

「ごめんなさい、ヒルデ班長。ちゃんと並びます。お昼もセットでいただきます」

 ニコルは、大慌てで頭を下げる。

 おたま二刀流の女性は、ようやく表情をやわらげた。

「ならいいんだよ、閣下。あんた、食べ盛りの坊やなくせに、ちょっと線が細すぎるんだ。いっぱい食べておゆき。そこの無駄にデカイのもお相伴するんだよ! 分かったかい!」

 厚生部隊給糧班、糧食担当長ヒルデブルク軍曹。

 軍曹というよりは、むしろ、肝っ玉かあちゃんと呼んだ方が相応しいかもしれない。ヒルデ班長は磊落らいらくに笑った。ニコルの手に、昼食一式のトレイをどすんと乗せる。

「ほら、しっかり食ってきな」


 揚げたての角切りじゃがいも。肉汁あふれる、ぷりっぷりの茹でソーセージ。まだじゅうじゅう言っている焼きベーコン。くんせい卵。加えて、カリッと焼いたライ麦の黒パン。ニンニクを効かせた、ごろごろじゃがいもと野菜の煮込みに、好きなだけ後乗せした具材を直角に突き刺して、あふれんばかりにしたスープ。

 見ただけ、匂いを一嗅ぎしただけで、お腹がぐぅぅぅと鳴り出す。ニコルはだらしなく垂れそうになったよだれをあわてて拭いた。

「うはあ、美味そう」

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