第5話 ニコル・ディス・アーテュラス、ちょっとした手違いで、触れると服が溶ける謎の物体Xに襲われる

■第5話 男装メガネっ子元帥、ちょっとした手違いで、触れると服が溶ける謎の物体Xに襲われる

 暗く、深く、遙かに青く。

 天空のごとく、どこまでも突き抜ける光陰の輝きを放って。

 包んであった白絹から、まず青い光が二つ、こぼれおちる。日が暮れ落ちる寸前のような、蒼から藍、さらには漆黒へと。見る角度によって、次々に色あいを変えてゆく。

 それは、さながら人の心を映す合わせ鏡にも似て、玲瓏と陰鬱を同時に宿すルーンだった。ふしぎなことに、通常は含有物を含まないはずの呪石の内部に金砂銀砂を散りまぶし、振るたびに舞う星くずのように見せている。


 刻まれた呪は、《栄光ティワズ》。


 チェシー・エルドレイ・サリスヴァールは、どこか残酷にふくみ笑って、自らのルーンへと手を伸ばした。片手でまとめて鷲掴む。

 同時に、いかにも北方風、豪奢できらびやかなこしらえの大太刀を取りあげた。

 鯉口をくつろげ、おもむろに鋼の音をさせて抜き放つ。

 なめらかに反る段平の刀身。両手を広げてもまだ余る、巨大な一振りである。

 無用心に近づこうとするニコルを、ザフエルが押しとどめる。

「見てろ」

 チェシーは、中空になった兜金かぶとがねの穴へ、二つの《ティワズ》を続けざまに押し込んだ。

 一瞬、ぎらりと。

 銀の刃紋が、青白い色にゆらめいた。霊光が切っ先からほとばしり出る。普段は目に見えないよう、刃の奥深くに鍛え込まれた呪魂があやしく、くらく、透き通る。

 ニコルは、思わずザフエルと目を見交わした。あおざめる燐火に気圧される。


 この世界には、いくつかの稀少な宝珠が存在する。

 たぐいまれなる福音、ふるルーン一文字を刻んだそれらの珠は、薔薇の聖女と呼びならわされる乙女の祈りによって、神々より授けられる。

 今生に存在が確認されているルーンの数は、二十五柱。

 ルーンは、聖女ソロールを守護する騎士フラターに、人智を越えた絶大なる奇跡を与える。

 だが、実際にルーンを手にしても、扱える者は限られていた。

 奇跡を顕現させられるのは、ルーンに選ばれた者だけ。

 今現在、第五師団に存在するルーンは、師団長であるニコルの所持する《先制のエフワズ》、《封殺のナウシズ》。

 参謀であるザフエルが持つ、《破壊のハガラズ》、この三つのみだ。

 そして──


「すごいな。初めて見た。剣にルーンを二連装するだなんて」

 鼻がくっつきそうなほど顔を近付け、まじまじと刀装の妙に見入る。メガネの表面が、青い光を反射した。

「《栄光のティワズ》、あるいは《天空のティワズ》」

 チェシーは、軽やかな所作で、刃先を元どおりの鞘へと納めた。いつにも増して挑戦的なまなざしをニコルへすり流し、うたうように言う。

「これが私の、《天空の巨人ヨトゥンたち》さ」



 漆黒の森を、月影が青く撫でてゆく。静かな夜だった。くろぐろと夜を切り取る稜線の影に隠れた城砦の輪郭は、平時であっても灯火管制下にあり、定かには窺い知れない。

 夜を渡るフクロウの鳴き声が聞こえる。

 聖ティセニア公国最北端。国境要衝の地にして最強の防衛拠点、ノーラス。

 時刻は真夜中である。通常は草木も眠る時間帯だ。もちろん、対ゾディアック北方面軍、第五師団が駐屯するこの城砦においても、大半がぐうぐうと惰眠をむさぼっているはずの時間であった。

 ……約一名を除いては。


「うぐぐぐぐ」

 ランプ一つを慎ましやかに灯した執務室にて。

 我らがニコル・ディス・アーテュラス元帥閣下は、ご愛用の計算尺を前に唸っていた。それも、相当でろでろに行き詰まった声で。

 机には書類仕事の山。林立する針山みたいに積み上がっている。

 はたから見れば、ザフエルの冷酷ブラックきわまりない命令により、強制的に残業させられるの図。まさしく上官虐待である。

「うがあもうだめだ!」

 ニコルは頭をぐしゃぐしゃ掻き回すなり、羽ペンを放り投げた。両手をバンザイしてデスクに突っ伏す。ごいん、と音がした。おでこ強打。

 謎の妖精さんが、ピヨピヨと輪っかを作って頭上で回転している。

 かと思うと、いきなり復活して椅子を蹴立て、飛び上がった。

「ザフエルさんのばかあ! こんな大量の仕事を一度に持ってきやがって。晩ごはん抜きのうえ徹夜で朝まで仕事とか。一体どうしろっていうんだ、こんちくしょうッ!」

 半泣き状態で、ばんばんと両手を机に叩きつける。あまりにも過酷な労働を強いられたせいか、ついに理性の限界を超えてしまったらしい。

 しかし。

 それが何を意味するかは、想像するに難くない。

 ニコルの姿が見えないほど積み上げられた書類の山は、無謀かつ無意味な八つ当たりにより大きく揺れはじめた。

 最初はやや小さく。次第に、頂上から加速度と傾きを増し、ぐらぐらと逆向きに押し出されるトコロテンみたいに振れる。揺れる。ぷるぷる傾く。紙切れが数枚、頂上からこぼれ落ちた。

「ふぐあっ!?」

 気がついた時にはもう、手に負えない状態となっていた。

 第一の試練。ニコルの目の前、第一の書類塔が、大きく斜めに傾いた。

「ハイッ!」

 とっさに右腕の手刀裏拳を使い、拳法の偽達人みたいな気合を発して押し戻す。いや、したつもりだった。

「あちょッ!」

 が、やはり付け焼き刃というべきか。いつの間にか反対側の書類の塔にひじ鉄をくらわしている。

 第二の書類塔が、変な形に、ぐにゅ、と凹んだ。折れ曲がる。

「はうあ!」

 顔面蒼白、息を呑む。これが大道芸人だったら、キコキコ言う一輪車に乗りながら両手にうず高く積んだトレイを乗せ、本日はいつもよりたくさん運んでおりますとか何とか、絶妙な両天秤状態でバランスをとって切り抜けそうなものだが。

 書類の斜塔は、ずずずず、と不気味な効果音を立てながら、絶望的な角度で倒れかかってくる。とっさに、全身を使った不自然な体勢で支える。

 ……止まった。

 どうにかこうにか崩落を防ぎ、安堵の汗をぬぐって、ふう、と一服。

 何とかうまく切り抜けたつもりが。

 気がつけば、思い切り逆の方向へ、全力で押し返しているではないか。

 それどころか第一、第二、のみならず第三の書類山までもが、うにょんうにょんとゼリーのように波打っている。まさしく絶体絶命。端的に言うと、超ヤバイ。である。

「ちょ、ちょっと待っ、たたたた頼むからお願いやめて倒れないでうあああ」

 待てと言われて待てるほど、この世界の重力は微弱にあらず。

 目にも留まらぬ速度で、連打の達人のごとく、両手をしゅばばばとひらめかせて支える。だめだ。傾きがますますひどくなった。しゅばばば。上上下下左右左右。支えても支えても、ぐにゃぐにゃの書類柱はもう、どうにもならない。のれんに腕押し、ぬかに釘。

 いきなり、ノックひとつが高く響いた。

 天佑神助てんゆうしんじょか、期せずしてか、はたまた故意に狙ったものか。

 白皙はくせきの参謀ザフエル・フォン・ホーラダイン中将が、返事も待たずに執務室へ歩み入ってきた。分厚い書類の束を両脇に抱えている。

「閣下、追加のお仕事がございます」

 言いながらすたすたやってきて、ドン、と。悪意にも似た書類の塊をデスクに置く。

「朝までに、全中隊再編成の任官状発行。および、主計監より提出されました臨時予算の承認。それともう一件、内々のご相談が」


 ……崩壊寸前のぐらぐら書類タワーには、見事なまでに一瞥もくれず。





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